「自衛隊機はなぜ飛ばなかったか」
『週刊新潮』’08年6月12日号
日本ルネッサンス 第316回
中国四川省を震源地とする大地震の被災者に自衛隊機で救援物資を送ることを、なぜ中国側は提案したのか。そして同案はなぜ潰れたのか。
中国で進行中のさまざまな変化が自衛隊機派遣問題をきっかけに屈折した形で表面化した。福田政権下の日本は、はたしてそうした動きから、中国の実態を読みとることが出来ているのか。先に進む前に、ざっとこの間の経緯を整理しておこう。
・5月27日、北京の日本大使館に中国政府が救援物資を要請。日本の防衛駐在官と中国国防省の協議で、中国側が「北京や成都などの空港へ自衛隊機で運搬すること」を「容認」する考えを示した。
・27日夜から翌日午後にかけ、日本側は中国側の「真意」を中国国防省、外務省を含むルートで確認し、福田康夫首相が最終決断した。
・28日、町村信孝官房長官が自衛隊機派遣を検討と発表、メディアの報道が始まる。
・29日、各全国紙が一面で一斉に報道。北京では日本外務省アジア大洋州局長と中国外務次官が会談、中国側は自衛隊機派遣案を日本が「自発的に取り下げるよう」要請。
・同日夜、政府は派遣を断念。
この経緯は、日本ではどう報道されたか。31日以降の分析や観測記事を見てみる。
見送りの理由を、『毎日』は「『成果』焦った?日本」と報じた。
『朝日』は「世論見極め急旋回」「強い反発回避」の見出しをつけた。
『日経』は「日中、見誤った歴史の壁」の大見出しで次頁には「先走った『救う側の視線』」(秋田浩之編集委員)のコラムを載せた。
論説も含めて右の三紙の報道に共通するのは、計画の頓挫は日本側の責任が大きいとする点である。たとえば『毎日』は「政府内には歴史的な外交成果を狙う焦りも存在し、それが『自衛隊派遣』の独り歩きを招いた側面もありそうだ」と指摘した。
『朝日』は、31日の社説で「中国の事情を考えると、細心の上にも細心の注意を払って進めるべき問題なのに、自衛隊機の派遣にあまりにも前のめりになりすぎなかっただろうか」と断罪調で問うた。
『日経』は「派遣計画が幻に終わった原因をたどると、やはり日本側の政治的思惑が先走ったことに行き着く気がする」(秋田浩之編集委員)と結論づけた。
胡政権下で進む権力闘争
石破茂防衛相もシンガポールでのアジア安全保障会議で「中国の文化や伝統、国民感情、国民性に理解と敬意を示さなくてはならない」と述べ、恰も、日本側 に「理解」や「敬意」が欠けているかのような印象を与えた。毒餃子、東シナ海、尖閣諸島の問題などでの中国側の振舞いを見せつけられてきたいま、石破大臣 の言葉をそのまま中国側に返したいと思う日本人は私だけではあるまい。
責任は日本側にあるとするこれらの論は、如何にも安易な戦後お馴染みのパターンだ。一連の展開から中国の現状について何を読みとるべきかという分析の視 点が欠けている。責任を日本に帰すだけでは、必ず状況を読み違える。事実は、胡錦濤体制で進行中の熾烈な権力闘争と中国共産党の求心力の低下を示してい る。
中国側はなぜ、自衛隊機派遣を容認したのか。中国外務省の文官でなく、なぜ軍部が要請したのか。
四川大地震の被害の現場で人命救助や復旧作業、そして新たな災害に備えて働いているのは主として軍人たちだ。北京の外務省や党幹部ではない。軍人たちが 目にする被害は凄まじい。豎カ川県では小学校の建物が軒並み崩壊し、児童ら6,000名が死亡した。多くの親が大切な一人っ子をなくし、原因は共産党の腐敗に よる手抜き工事だと考えている。
また、今回の震源地は元々チベット人の領土だった。貧困の中に取り残されたチベット人の被害は、想像を絶する凄まじさであろう。子どもをなくした親た ち、抑圧の歴史に耐えてきたチベット人やウィグル人。復旧の遅れは彼らの不満を強め、新たな紛争へと発展しかねない。その恐怖を身に沁みて実感出来るのが 現地に展開する軍人たちだ。
さらに震源地に近い綿陽市には秘密の核複合施設がある。原爆が開発された米国のロスアラモス国立研究所に相当する核弾頭製造の複合施設、「プラント821」が立地し、それが地震で一部破壊されたのではないかと疑われている(『産経』湯浅博氏、5月31日)。
中国政府は5月20日、地震で彼らの保有する放射性物質32個のうち30個を回収したと発表した。しかしわずか3日後、再び会見を開き、被害にあった放 射性物質は実は50個で35個を回収、15個が未回収と発表した。なんと杜撰な管理か。彼らは放射性物質が一体何であるかも明示しない一方で、プラント 821には大量のコンクリートが搬入されたという情報もあり、「放射能漏れ防止工事の可能性」が示唆されている(『産経』野口東秀記者)。
卑屈な責任論に陥るな
こうした切迫状況を誰よりも承知しているのが軍である。緊急対策の絶対的必要性を認識しているのも彼らである。中国の土台を揺るがしかねない異民族や貧 困農民の暴動、核兵器管理の危機などを乗り切るために、彼らが緊急支援を望んだと思ってよいだろう。また、同じ軍人として、自衛隊の徹底した゛平和志向〟 を熟知していればこそ、彼らは自衛隊機を容認したのではないか。
ここで反発したのが江沢民氏を筆頭とする旧勢力だと思われる。ネット上の反自衛隊の書き込みは彼らにとって好都合だっただろう。彼らはネットでの反対勢力をフルに活用したと思われる。そして胡錦濤国家主席に反対論を飲ませたのである。
一方、胡主席は内心では自衛隊機派遣に前向きだった可能性が高い。同政権誕生の2003年、人民日報論説主幹の馬立誠氏の「歴史問題で日本の謝罪は済ん だ」「日本はアジアの誇り」との主旨の論文が日本の雑誌に載った。それを許したのが胡主席である。対日融和策を望むのは、実利を求めるが故である。彼らに とって友好は、戦術であり手段なのだ。間違っても日中友好や民主主義が胡政権の目標だと考えてはならない。
1989年の苛烈なチベット弾圧の総指揮をとった胡主席の対日外交軸が実利にあると認識すれば、馬立誠論文の出版も、早稲田大学でピンポンに興じて日中友好を盛り上げようとしたことも、今回、自衛隊機派遣を容認したであろうことも、一本の線でつながる。
だが、明らかに胡主席の戦術は未だ中国全体の戦術とはなり得ない。対日強硬派の反対勢力との政治闘争が進行中だからだ。そうした中で何を思ったか、自衛 隊機派遣問題を巡る中国の政治的混乱に目をつむり、日本が悪かったなどと卑屈に事実を曲げて見せるのは、余りに読みが甘く、国益に反するものである。