「公務員制度改革に抗う過去官僚」
『週刊新潮』’08年6月5日号
日本ルネッサンス 第315回
社会保険庁や国土交通省道路局の事例を持ち出すまでもなく、日本の官僚の所業は異常である。国民の努力、勤勉、苦労を水泡に帰す税の使い方の出鱈目さと、彼らが立案する政策の、国益に反する実相はまさに許し難い。少数の例外を除いて、いまや、国家国民の利益よりも自己利益の確保に悪知恵を働かせる官僚の在り様を変えることなしには、日本の未来はない。そのための改革、国家公務員制度改革基本法案が、最終局面にきて、なんと、葬り去られそうになっているのだ。官僚と官僚出身の議員たちが国民の利益を蔑ろにし、既得権益にしがみつき続けるべく、跋扈しているのである。
08年4月4日に閣議決定された国家公務員制度改革基本法案の柱は、①官僚主導から政治家主導政治への立て直し、②縦割りの各省人事の弊害の打破、③キャリア制度の廃止、である。
行革担当大臣の渡辺喜美氏は、゛過去官僚〟と揶揄される先輩、同僚議員らの改革反対の批判に晒されながらも、同法案をまとめた。
過去官僚とは、役所出身で、公務員制度改革阻止に向けての抵抗を続ける政治家のことだ。過去官僚はかなりの数にのぼるが、中でも最も権力をもち、したがって最も目立つのは、旧大蔵省出身の伊吹文明自民党幹事長だと言えるだろう。
もはや説明の必要もない改革の3本柱だが、それでも、政治が如何に官僚主導に陥っているかを、改めて強調しておきたい。
①にこめられた意味は、現行閣議の実態を知れば、自ずと明らかだ。政府の政策決定の要である閣議は形ばかりだ。閣議では閣僚が問題を討議し、時には烈しい議論も戦わせて、決定していくとの印象を持ちがちだ。だが、月曜日と木曜日に各省の事務次官会議が開かれ、全省の意見の一致を見た事柄のみが、翌日、つまり、火曜日と金曜日の閣議にかけられるのは周知のとおりだ。各大臣は、官房副長官が読み上げる各案件に黙々と署名するのみ、それが閣議なのだ。次官会議の決定事項以外の事柄を閣僚が語れば、閣議は直ちに懇談に切りかえられ、正式な議題と見做されず、正式な議事録も残されない。大臣発言は事実上無視され、官僚の了承を得た事柄のみが重要視される馬鹿馬鹿しい儀式に、歴代大臣らは耐えてきた。形骸化した閣議は政治の無力と無気力を象徴する。
血税12兆円が天下り先に
この官僚主導を真の政治家主導に変えるには、内閣主導の政策立案スタッフを置くとともに、さらに重要なのは、官僚を主導するのは大臣であることを制度上徹底させることだ。官僚のなかには立場を弁えず、大臣の意向に逆らって、国会の実力者詣でをする者がいる。官僚が内閣も大臣も飛び越して、「わが省の考え」を説明して回る。役所出身の政治家はいまや100人を超える。役所の先輩を見つけ、省益擁護で協力体制を築くのは、彼らにとって容易であろう。その結果、置き去りにされるのが国益である。そこで、官僚らが大臣の指示もなく無闇に政治家詣でをすることを禁止すると、法案は定めている。
②と③は公務員人事を根幹から変えることで可能になる。第一種国家公務員試験に合格すれば、その後は能力も適性も厳しく審査されることなく、一生高級官僚としての道を歩むのが中央官僚たちだ。彼らは出世を重ね、次官が誕生すると同期は全員が退職する。働き盛りの50代半ばで退職する彼らの再就職、つまり天下りを斡旋するのが各省官房長の最重要の仕事だ。06年時点で天下りの人数は2万8000人、天下り先の法人は4500、注入された税金は約12兆円にものぼる。
中央官僚のピラミッドの一員になれば、一生、安泰なのだ。その甘い構図がたとえ国益を深刻に損ねるものであっても、決して崩したくないと考える官僚が圧倒的多数を占める。日本国の醜悪と悲劇である。
本来は優秀で国家のために働く志を持っていた一群の頭脳集団を、各省の枠内にとどめ、省益、局益、個人益で縛りつける制度こそ変えなければならない。そのためには内閣人事庁を作り、官僚の採用を各省の壁を越えて一手に引き受けさせると、改革案は記す。内閣人事庁は各人の適性、希望を勘案し、各省大臣に幹部人事の助言を行うというものだ。幹部人事とは、12人の次官を筆頭に全省で約100人の局長、部長または審議官も加えて、計約900人を指す。
公務員制度改革の内容について、自民党と民主党間には、多少の相違点はあるが、乗り越えられないものではない。にもかかわらず、同改革は過去官僚たちによって潰される瀬戸際に追い込まれている。彼らの考えは、たとえば5月23日の伊吹幹事長の以下の発言に集約される。
「(民主党は)党首同士が話したって持って帰ってその通りにならなかった党だ」「余程慎重にやらないと」結果的に「民主党内がうまくまとまらずに参院で廃案になったら、一番総理の意向に反することだ」。
自己の利益で改革を潰すな
公務員改革法案が不成立になれば民主党の責任だと言わんばかりだ。しかし、前述のように民主党の考えは、自民党案と余り変わらず、歩み寄りもみせている。改革が潰された場合、民主党の所為では全くなく、伊吹幹事長の民主党責任論は通らない。
それでも、自民党が圧倒的議席をもつ衆議院で法案を可決して参議院に送付しても、民主党がまとまらずに否決、廃案になりかねず、そんなことをしてはならないのだと、氏が語る真意は、参議院への送付を止めようという意味だと解釈されている。つまり、今回はこの法案を通さない。衆議院で採決せずに継続審議にしたいという意味にもとれる。
ある法案が継続審議になった場合、国会の構成が変わらない限り、次の国会で審議される。しかし、仮に解散総選挙が行われれば、当然、国会の構成は同じではあり得ず、ゆえに、法案は廃案になる。
彼らは、福田政権がいつまでももつとは考えていないだろう。流動的な政治状況下で、今国会での成立さえ阻めば、同改革は将来、消えていくと彼らは踏んでいるのだ。またそれが真の狙いなのだ。
今国会の会期を考えると、5月中に審議入りしなければ、法案は潰れる可能性が高い。官僚が官僚のためだけにこの国を操る体制が変わることなく、また続くのだ。
頭脳明晰な過去官僚たちはそんなことは日本の国益にも国民の幸せにもつながらないと、十分、承知のはずだ。にもかかわらず、改革を潰すとすれば、それは民主党と自民党の改革派に反対する彼ら過去官僚群の、頑迷固陋ゆえの抵抗だと、私たちは十分認識している。国民が知っているということを、過去官僚たちは肝に刻むべきであろう。
櫻井よし子氏に同感
公務員改革について、櫻井氏はブログで卓越した意見を述べている。まさに同感。この官僚という鵺は、どんな体制になっても生き残ろうと画策するだろう。その息の根を止めようとする…
トラックバック by ごまめ — 2008年06月05日 21:10