「猪瀬直樹氏の“大反論”に反論する,それでも道路公団改革は失敗」
『週刊ダイヤモンド』 2008年4月26日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 737
「道路公団の民営化は失敗に終わった」と本誌3月22日号の特集「『道路』の暴走」に書いたら、元道路関係四公団民営化推進委員会委員だった猪瀬直樹氏が4月5日号で「道路公団改革は成功した」と「大反論!」した。後述するように氏の論は自己矛盾に満ちており、道路改革の失敗を認めず、成功だと言い張るのは、独り善がりにすぎない。
そもそも道路公団民営化は何を目指したのか。道路公団の問題の根本は、返済できそうもない借金を重ねながら、必要性も低く、採算性も悪い高速道路を作り続けていた点だ。どれほど債務が増えようが特殊法人としての道路公団はつぶれないのであり、経営に失敗しても、誰も責任を取らないのである。
無責任体質に染まり切っていた道路公団の改革の手段として、小泉純一郎首相(当時)は民営化を選んだ。返す当てのない借金を重ねて採算の取れない高速道路を作り続ければ、会社は破綻する。破綻を来せば、経営陣は責任を問われる。したがって、経営陣は不採算路線の建設をやみくもに進めるような愚かな決定は下さなくなる。高速道路の建設は、合理的な経営判断によって決定され、建設にもおのずとブレーキがかかる。小泉首相が提言した民営化は、まさにこの経営の規律の確立を促すはずだった。
したがって、改革が成功したか否かを論ずるには、改革で誕生した各道路会社に経営の規律が働いているか否かが重要な基準となる。これまでに積み上げた約40兆円の債務を返済しながら、高速道路はどこまで建設するのかを会社が自ら判断できるか否かが問われるわけだ。具体的には、整備計画が作られていた9,342キロメートルの高速道路のうち、当時すでに供用されていた7,000余キロメートルを除く残り約2,300キロメートルのうちのどの部分を建設、あるいは凍結するかを、会社が自ら決定できれば、民営化は成功したといえるのであり、逆は失敗を意味する。
現状では、道路会社に、経営の規律はまったく働いておらず民営化は明らかに失敗に終わっている。道路会社の現状については、3月22日号でも詳述したが、再びざっと説明する。
旧公団などは6つの道路会社に生まれ変わり、6社を日本高速道路保有・債務返済機構(以下、機構)が束ねる。6社が高速道路を建設する一方で、6社の道路資産と債務は機構が一手に引き受ける。6社が新たに作る道路は、完成時点で機構の保有に移される。道路建設にかかるすべての借金も機構が引き受ける。返済も機構が受け持つ。資産も債務も経営権も、すべて機構が握る。道路会社には借金もない。資産もほとんどない。加えて各会社は利益を上げてはならないとされた。これでは経営の規律以前に、いかなる経営努力へのインセンティブもない。こんなものがまともな会社でありうるはずがない。
だからこそ、各会社は、民営化以前に整備計画が作られていた9,342キロメートルのうち、国が直轄する部分を除くすべてを建設することになった。採算性も無視して、返済できそうもない借金を重ねる公団時代の悪しき体質がそっくり残ったのだ。その延長線上に、今、道路族は14,000キロメートルまでの建設を視野に入れて蠢いている。民営化によって確立を目指した経営の規律はどこにも見えないのである。
道路建設の決定権と資産、責任を担わせてこそ採算を重視する
だが、猪瀬氏はなおも言い募る。改革は成功だったと。「道路公団民営化を成し遂げたことから学んでほしい」「今後、必要なのは、民営化後の改革のDNAを不断の努力で引き継いでいくこと」とも語る。改革の成功の証しは、氏は「旧公団がつくった40兆円の借金と、民営化後に整備する道路の費用を合わせた借金を、税金を投入せずにどうやって返していくか、その枠組を」つくったことだと主張した。
「コスト削減と規格の見直しなどで、6.5兆円を削り、最終的に民営化後の新会社の最大投資額は7.5兆円になった。これに国が税金で建設する新直轄分の3兆円を合わせて、新規の高速道路建設は10.5兆円と、以前の約半分にまで減らした」と胸を張る。
これらは机上の計算にすぎない。四五年後に借金がきれいになくなる保証はどこにもない。
机上の計算は、道路公団と国土交通省道路局のお家芸だ。彼らは債務返済の期限を30年、40年、50年と延ばし、そのたびにもっともらしい計算をしてみせた。だが、すべて机上の空論だった。そして彼らは行き詰まった。猪瀬氏は彼らと同じなのだ。
第一、コスト削減や、その前段階の建設計画の決定は、会社が判断するべき事柄だ。民営化委員会は、そうした事柄に関して合理的な判断の下せる会社づくりを目指したのではなかったのか。それをせずに、猪瀬氏が机上の計算をしてみせたところでなんの意味があろうか。
「大反論!」で猪瀬氏は道路公団改革を絶賛したが、興味深いのは、氏が絶賛する現在の民営化は、氏がかつて賛同した改革案とは似て非なるものだという点だ。自分の発する言葉を理解していれば起こりえない自己矛盾を、氏はいくつも露呈してきたが、その一つ、2002年12月6日に民営化委員会が提出した意見書を見てみよう。
民営化委員の一人、松田昌士氏の発案によることから、世に「松田案」と呼ばれたこの「意見書」に賛成したのは、7人の民営化委員のうち、猪瀬氏を含む5人だった。内容は後述するように、道路改革に必要な要点をきっちり押さえた立派なものだった。
ちなみに意見書に反対の今井敬委員長は委員長を辞任し、中村英夫委員も以降、委員会への出席を取りやめた。委員会は同意見書によって、二分されたのだ。
今井、中村両氏の事実上の辞任にもめげず、「松田案」のなかで、猪瀬氏らは「必要性の乏しい道路建設をストップし」40兆円に達する債務を「確実に返済していくことを第一優先順位とする」と敢然と主張した。「基本認識」として、公団方式による「高速道路等の建設は限界」だと断じ、「新たな組織は、自らの経営判断に基づき事業経営を行う」と強調した。
「早期の債務返済」と「規律ある経営」を担保するために、意見書は、機構と各会社の役割を明確に規定した。
機構は、「債務の返済、借り換えのみをその業務とする」とし、それ以上の権限を機構に持たせなかった。他方、前述のように会社については、新たな高速道路の建設は、「自社の経営状況、投資採算性等に基づき判断し、自主的に決定する」ことを定め、それを担保するために、「なお、工事により形成された資産は、新会社に帰属する」と続けて書き込んだ。
これがどれほど重要な意味を持つかは、猪瀬氏が誇る現在の民営化と比べれば明らかだ。現行の機構と道路会社の関係では、道路会社が作る高速道路が、工事完了時点ですべて、機構の保有に移ることはすでに指摘した。工事にかかった費用(債務)もすべて、機構が引き受け、返済も機構が行なうのである。会社にはなんの責任も残らない。だからこそ、会社は不採算路線でも構わずに作るのである。
一方、意見書に明記されたように、作った高速道路が会社の保有になれば、道路建設のための債務の返済も会社の責任になる。無責任な決断をすれば、会社の土台は揺るぎ、経営者は責任を負わなければならない。おのずと経営の規律が働き、不採算路線は作られなくなる。
もともと、猪瀬氏らが推した上下分離の構造こそ放漫経営を生み出す元凶である。だが、意見書に盛り込んだ歯止めがあれば、上下分離の下でも無責任経営は回避できる。「松田案」が実施されれば、道路改革は成功すると期待されたゆえんである。
ところが真の改革につながるはずの意見書の提出を受けた小泉首相は何を考えたのか、法案の作成を国交省に丸投げした。そして一年後、国交省が示した民営化案は完全な骨抜きだった。意見書をまとめた田中一昭氏と松田氏は憤りのあまり委員を辞任した。川本裕子氏は以降の委員会への出席を拒み、事実上辞任した。そして、猪瀬、大宅映子両氏だけが残ったのは周知のとおりだ。両氏は、意見書とは似ても似つかぬ偽物の改革案を評価したのだ。猪瀬氏の自己矛盾の闇はさらに続く。
道路局の作成した法案は、古賀誠氏らをはじめとする道路族の面々を満足させた。そして06年2月7日、高速道路の整備計画を決める国土開発幹線自動車道建設会議(国幹会議)が開かれ、整備計画に基づいて9,342キロメートルの全線建設が打ち出されたのだ。新聞はこれを「道路公団改革 骨抜き」(「読売新聞」06年2月8日朝刊)などの見出しで報じた。
だが、猪瀬氏はまたもや評価した。根拠は、9,342キロメートルのうち、「当面、着工を見送る区間」があるからだと述べている(「読売」同)。当面、着工を見送る区間は五ヵ所、100キロメートルあまりの短い距離だ。「抜本的見直し区間」と呼ばれる同区間が設けられたことを、氏は「高速道路の建設を凍結するという意味」「これまで止められなかった公共事業を、今回初めて止めたのは画期的」だと絶賛した。
「当面」見送られてもすでに予算復活の区間も現出
はたしてそうか。百歩譲って、100キロメートル余の着工を「当面」見送ることが「画期的」だとしても、問うべきは、それを誰が決めたのかという点だ。決めたのは高速道路建設を審議する国交大臣の諮問機関、国幹会議である。国幹会議はその前身の組織を衣替えするかたちで、01年1月に発足した。以来07年までに三回開かれたきりだ。だいたい2年に一回開かれる会議では、国交省が案を説明し、小一時間程度の議論で、国交省案が了承されてきた。国交省や道路族の隠れ蓑となっているのである。
そこで決定された「抜本的見直し区間」は、整備計画路線のすべてを作るというあからさまな計画を発表するのはさすがに憚られたために、「改革派の顔を立てただけ」(「読売」同)の見直しを演出したのであり、取り繕いにすぎない。繰り返しになるが、建設の主体となる道路会社はなんの決定権も与えられていない。すべてが改革以前の旧状と同じなのである。
いくら猪瀬氏が弁明しても、民営化はこの点で完全な失敗なのだ。
さらに抜本的見直しの意味を、猪瀬氏に問うてみたい。物書きならずとも、「当面」の意味するところはわかるはずだ。当面とは、その決定はあくまでも当面であり、いつか状況は変わるというのが前提である。
事実、道路局は、当面着工しないと言いながら、工事費を予算に組み込んでいる。機構と西日本高速道路株式会社との協定によれば、第二名神の大津市~城陽市間の25キロメートルと、八幡市~高槻市間の一10キロメートルは工事予算が「収支予算の明細」のなかに、すでに組み込まれているのである。取りも直さず、同区間の事業費と供用予定年月日などはすべて確定されているということだ。
姑息な彼らは、四五年間の収支一覧表に、小さな文字で数字をびっしりと書き込み、その表の下に、これまた小さな文字で(注)を入れた。拡大鏡で読むと、抜本的見直し区間の「残事業費も含めて算出」と記されている。
なんと見え透いていることか。だが、偽りの民営化を評価し続ける限り、猪瀬氏は国交省のこの見え透いた弁明にしがみつかなければならない。他人事ながら気の毒なことである。
それにしても、02年の意見書の内容と、03年の骨抜きの合意、その後の“改革”のあり方はまったく相いれない。にもかかわらず、その双方に賛同する猪瀬氏の自己矛盾の闇は深い。
私はかつて、氏における矛盾と偽りについて、『権力の道化』(新潮社、現在は『改革の虚像 裏切りの道路公団民営化』として文庫本化)で触れたが、氏は「大反論!」でも同じ過ちを犯している。「公団民営化の成果の尺度は9,342キロメートルという距離ではなく、半減した投資額だ」と断言して、自分の行なったコスト削減こそが民営化の成果だと強調したが、二年前の06年、「週刊文春」3月2日号の「ニュースの考古学」では正反対の考え方を披瀝している。関西の政財界と西日本高速道路会社の石田孝会長らが第二名神の「抜本的見直し区間」の建設を首相官邸に陳情した件を取り上げ、次のように書いた。
「僕も石田会長に、ダメですよ、と伝えた。石田会長は『(10,600億円から)6,800億円にコストダウンできるのでやりたい』と主張した。ダメなものはダメなんですよ、官邸もダメだと言ったでしょ、と繰り返し警告したのに、まだよくわかっていないようだ」
二年前にはコストダウンしてもダメだと言い、今日においては、「9,342キロメートルという距離の枠内で」「費用をどう抑制するか」が「最大のポイント」だと主張を反転させている。
そして三度、指摘すべきは、民営化が正しく行なわれていさえすれば、不採算路線の建設を西日本高速道路会社が望むはずがないということだ。常識で考えれば、不採算路線を建設し、返済し切れない借金を抱える愚は、健全な企業なら金輪際、犯さない。
だが、自らの失敗を糊塗することばかりに考えを巡らしていれば、猪瀬氏がそうした点に気づかないのは当然であろう。失敗を成功と言いくるめる前に、自らの発言の矛盾を厳しく問い直すべきであろう。