「中国の正体見せた、チベット暴動」
『週刊新潮』'08年3月27日号
日本ルネッサンス 第306回
ラサ燃ゆ。世界注視のなかで発生したチベット暴動を、中国の胡錦涛国家主席は臍を噬む思いで見詰めていることだろう。
1989年春、今回と同じくラサで発生したチベット人の暴動を、後に語り草となる苛烈な弾圧で鎮圧したのが、当時、チベット自治区党委員会書記の胡錦涛氏だった。中央政府の指示を待つことなく、自ら鉄兜をかぶって軍を出動させ、僧侶らを徹底弾圧して鎮圧した。その功績が時の最高実力者、鄧小平に認められて、氏は異例の出世を遂げ、将来の国家主席の座を約束されたのだった。
いま、氏は中国共産党のトップに登りつめ、政権二期目に入った。眼前の課題は北京五輪と2010年の上海万博の華麗なる成功である。
3月5日に開幕した全国人民代表大会で胡主席は中国全土の調和ある発展の推進を謳い上げた。チベットに関しても「この5年間は、インフラ建設が最も目覚ましい5年間だった」と、誇らし気に語った。
その言葉に真っ正面から挑戦したのが、3月10日、チベット自治区のラサで始まった約500人の僧侶による平和的なデモだった。その後、多くの学生、市民が参加し始めたデモは、中国の警官隊が発砲する中で暴動化した。「路上に放置されている遺体は数えきれない」、「死者は100人を超えた」などの報道が入りまじる。中国当局の厳しい情報操作と言論封鎖のため正確な事態はわからない。
確かなことは、チベット人が49年前の同じ日のことを忘れていないことだ。あのとき、独立を求めたチベット人に中国共産党が大弾圧を加え、チベット仏教の指導者ダライ・ラマ法王がインドに亡命したのだ。
チベット文化の〝虐殺〟
元々独立国だったチベットを、中国が軍事侵略したのは1950年である。仏教を国家の根幹とするチベットは、軍事力を国家の基本とする中国に対し勝ち目はなかった。彼らは屈しはしたが、チベット人は中国人ではなく、チベットは中国領ではないという事実は変わらない。
チベット人の反乱は続き、1959年のチベット動乱では凄まじい虐殺が行われた。僧侶らを中心に8万7,000人の犠牲者が出たといわれる大虐殺だった。1989年春にも、チベット人は立ち上がった。このときは、前述のように胡錦涛氏が大弾圧の指揮をとった。
だが、軍事力だけで物事を解決することは出来ない。中国共産党は、やがて懐柔策と強硬策を組み合わせ、アメとムチの政策をとり始めた。経済を発展させ、生活水準の底上げで懐柔するのが、中国共産党のひとつのやり方である。だが、それは、チベット人の幸福や安寧のためではない。究極的にはチベット文化の消滅を伴う、チベット民族の漢民族への溶融政策なのである。
中国政府は、移住者には税を軽減したり、土地を与えたりして、漢族のチベット移住を奨励してきた。漢族の男性とチベット族の女性の結婚を奨励し、教育ではチベット語の使用を禁止し、中国語を習わせた。チベット仏教の質的変化も進めさせた。
チベット人の国に多くの漢民族が移住し、男たちはチベット族の女性と結婚し、チベット語を奪い、チベット人の心の支えである仏教の教えにも踏み込んでくる。これではチベット人がチベット人であり続けることは難しい。こうした一連の占領政策を、ダライ・ラマ法王は「チベット文化の虐殺」と非難する。
であれば、どれだけチベット経済が底上げされても、チベット人の幸福にはつながらない。中国支配の徹底強化に比例して、チベット人の悲劇と怒りは深まり、中国支配も受け入れられることはないのである。
だが、中国共産党は、チベットは歴史的に見て中国領だったと主張する。しかし、チベットは古来、宗教、政治、経済、文化、どれをとっても中国との関係よりも、インドとの関係のほうがずっと深かった。中国共産党の主張は明らかな偽りだ。
日本の責務とは何か
チベットと中国の疎遠を示す面白い事例を平松茂雄氏が『中国の安全保障戦略』(勁草書房)で書いている。1949年に中華人民共和国が誕生し、チベット代表団も建国記念式典に参加することになったときのことだ。彼らはまず、ヒマラヤ山脈を越えてインドに出た。ニューデリーから空路香港に向かい、香港から鉄道で広州に行き、武漢を経由して北京に辿り着いたというのだ。つまり、両国には、元々、両国を結ぶ交通路がなかった、直接的な往来は殆どなかったわけだ。
チベットが中国の一部だったとしたら、往き来する交通路があって当然だ。往来もなく、したがって交流も殆どなかった二つの国が一つの国だったとの主張は成立しないだろう。
だからこそ、1950年にチベットを軍事侵略した毛沢東は直ちに道路建設に乗り出した。まず、中国本土とチベット及び新疆を結ぶ3本の幹線道路を作った。チベット全土に中国の支配が及ぶように、軍の駐屯地や基地を作り、それらを結ぶ道路建設を一斉に開始した。チベットを拠点にして、インド、ネパール、ブータンの国境に通ずる道路も建設した。他国の領土も自国領と考える中国共産党は、このとき、150キロにわたってインド領を突っ切る形でチベットと新疆を結ぶ道路を建設した。このことが原因でインドと中国の国境紛争が起きたのだ(前掲書)。
このような歴史的背景を負うチベット独立運動は、中国の徹底した弾圧と、国際社会の無気力によって、これまで抑圧されてきた。時間の経過は弾圧者の中国有利に働く。ダライ・ラマ法王の亡命からすでに49年、法王は72歳である。法王は、当初は主張していた独立をもはや口にせず、「高度の自治」の要求に後退した。亡命政権としての長年の活動と、自身の高齢化のなかで、法王は現実を見詰めて戦略目標を絞り込んできたのである。だが、それさえも中国は拒否し、チベット文化そのものの消滅を伴うチベット人の中国人化を進めてきた。そうしたなかで、チベット人がチベット人の魂を失うことなく、独立、或いは高度の自治を達成出来るのか。その恐らく、最後の訴えが、オリンピックを目前にした中国に世界の注目が集まる、現時点での抗議なのだ。
胡錦涛政権がどのような手段を取るのかは予断を許さない。だが、チベットの必死の抗議は周辺の四川省、青海省などに拡大しつつある。福田康夫首相をはじめ、日本国政府は、ここで沈黙してはならない。チベット弾圧、ダルフール(スーダン)の虐殺への事実上の加担、毒入り餃子事件の全面否認。こんな中国に平和とスポーツの祭典を主催する資格はあるのかと問い、北京五輪の参加に厳しい条件をつけるべきだ。それこそが、自由と民主主義、法治を尊重する日本国としての責務である。
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