「 技術大国・日本は「中国の下請け」になる 」
『週刊新潮』'07年12 月20日号
[特集]日本ルネッサンス・拡大版 第293回
日本は戦後、安全保障も外交も基本的に米国主導の下でやってきた。一人前の国家でなくとも、経済だけは世界一の水準を達成し、幾世代もかけて磨き上げた優れた技術を誇ってきた、と私たちは考えてきた。
しかし、いまや、経済、技術分野においてさえ日本は敗北しつつある。日本の技術にかげりが生じたからではない。21世紀の地球経済を支配する戦略的枠組、「国際標準化」競争でとり残されつつあるからだ。
国際標準化、或いは標準化競争の身近な事例は携帯電話である。現在、携帯電話には第2世代(2G)と第3世代(3G)がある。3Gでは2Gに較べて通信速度が10倍以上という高速通信が可能だ。テレビ放送を含め、データ量の大きい動画も送受信出来る。テレビはすでにパソコンに組み込まれているが、3Gの出現はやがて携帯がパソコンにとって代わる可能性を示すものだ。
携帯電話の国際標準化で、日本は大敗を喫した。その損失を東洋大学経済学部の山田肇教授が分析した。
「07年度上半期で世界で28億3,000万人が携帯電話に加入しています。2Gが22億8,000万、3Gが5億5,000万です。3Gのインフラ整備は2Gの3倍もかかるため、途上国は2Gの段階でとまっています。
その2Gの国際標準化で日本は敗れ、ヨーロッパGSMが勝ちました。NTTドコモのiモードは、世界標準にはなれず、海外で使えない。また売ることも出来なくなったのです」
欧州仕様のGSMは世界市場で06年上半期からの1年間で約5億台を売り上げた。1台1万円として5兆円市場だ。日本はGSMの規格に全く参加していないため、売り上げはゼロだ。仮に日本がGSMに参加し、半分のシェアでも持っていれば1年間で2・5兆円、3分の1でも1・6兆円を得ていた計算になる。
「日本の電子工業の全生産高は06年で約20兆円。2Gの携帯の国際標準から取り残されたことで、日本は毎年、年間売上高の、少なくとも10%の損失を出していると考えてよいでしょう」と、山田教授。
そして最近新たに3Gの国際標準として認定されたのが、中国のTD-SCDMAだ。開発を担ったのはシュー・グアンハンという人物だ。米国在住の彼は中国政府から高給、豪華マンション、種々の特典を以て呼び戻された。経済ジャーナリストの岸宣仁氏が語る。
「インフラ整備が追いついていないために、中国では3Gはまだ、本格的に市場に出ていませんが、来年の北京五輪までには出てくるはずです。すると、TD-SCDMA以外の第3世代携帯は売れなくなります。中国にとってまさに歴史的な勝利になるでしょう」
国際標準化に敗れたが最後、標準を取った国の仕様に従い、おまけにロイヤリティーを支払う。それが21世紀の国際経済の基本としての国際標準の性格だ。
そもそも国際標準は「フォーラム」標準、或いは「デファクト・スタンダード」という形で、米国が主導してきた。前者は複数の企業が集って自分たちの技術やシステムを国際規格として確立する方法だ。後者は、たとえばマイクロソフトの「windows」のように、市場を席巻することによってルール以前に国際標準になったケースだ。
だが、1995年にWTO(世界貿易機構)が〝TBT協定〟を作ったときから世界標準市場に大変化が起き始めた。
TBT協定とは、Technical Barriers to Trade、つまり、「貿易に関する技術障害を取り除く協定」という意味だ。同協定の重要点は、国内規格は国際規格に従うべしと義務づけた点だ。ある規格が国際標準を取っていれば、WTO加盟国は皆、その規格の製品が自国に参入することを妨げられないという意味である。
世界経済支配の野望
キャノン顧問の丸島儀一氏が説明した。
「日本にはJIS規格があり、以前は同規格に合わない製品は日本に入れず、JIS規格が貿易障壁になっていました。TBT協定はそれを取っ払ったのです。同協定は世界標準を優先するもので、各国は規格を世界標準に合わせなければならないのです」
そして強い力を与えられた国際標準は国連機関のISO(国際標準化機構)、IEC(国際電気標準会議)、ITU(国際電気通信連合)などが決定する。岸氏が語った。
「米国が如何にデファクト・スタンダードの規格をもっていても、国際標準を取らなければ効力を発揮出来ない仕組みになった。それまで国際社会が決める国際標準に距離を置いていた米国が猛然と国際標準を取りに出るようになりました。ISOやIECなどの委員会の幹事国のポジションをとり、年間1,000件を超える国際標準化の申請を米国有利に審査するためです」
国際標準の意味とTBT協定の重要性に気づいたのは米国だけではなかった。中国もまた、問題の本質を鋭く掴んだ。中国はこれまで知的財産権の目に余る侵害で各国から訴えられ、膨大なロイヤリティーの支払いを求められてきた。国際標準の恐るべき力を否応なく読みとっただろう。そして決意したに違いない。ロイヤリティーを払う側から、払わせる側に立つと。彼らも猛然と行動を開始した。
01年、中国政府はWTOに加盟するとともに、国務院直轄組織として「国家標準化管理委員会」を設けた。科学技術を振興するだけでなく、その技術を国際標準として国際社会に認めさせ、中国が21世紀の経済を支配したいとの意図が透けて見える。岸氏は、同委員会の秘密性を協調する。それでもすでに具体化された事柄から中国の標準化の手法が見てとれる。彼らがまず目指すのは国家標準の確立だ。ある規格を中国独自の国家標準とし、次の段階でこれを国際標準に格上げしていくのだ。
たとえばEVDだ。日本人にとって聞きなれないEVDとは、従来のDVDにハイビジョン映像を詰め込むものと考えてよい。中国の家電店では日本のDVDよりもはるかに広い売場面積を占める。前述の山田教授は、これは日本のHD-DVDのような次世代のDVDでなければ無理なはずだと語るが、中国は〝独自の圧縮技術〟で開発したと主張する。
だが三菱電機開発本部国際標準化推進グループマネージャーの田井修市氏も、中国の狡猾さを指摘する。
「次世代のDVDであるHD-DVDのデータの変復調器の標準を少しだけ変えたものを、中国はChina-H-DVDとして、独自の標準だと主張し、国家標準にしたのです。そうして、ロイヤリティーの支払いを逃れるのです。非常にズルいやり方です」
中国は、厚顔にもそれを中国の国家標準と定め、IECに国際標準化を申請することだろう。もし、これらが国際標準になれば、TBT協定によって中国は日本のDVDの中国市場への参入を拒否することも出来る。中国国内でEVDが普及すれば、外国企業は、EVD規格に合わせざるを得ない。日本を含む外国企業は、中国に、EVDに関する巨額のロイヤリティーを支払う羽目にもなる。
元々の技術はこちらが開発したとの自負があればあるほど、納得出来ないやり方だ。だが、3G同様、国家標準や国際標準は、取ったもの勝ち、この冷徹な事実は変わらない。
海外留学への〝厚遇〟
中国が狙うもうひとつの国際標準は無線LANである。岸氏が説明した。
「これはパソコンなどから情報を飛ばす際の技術です。同分野は米国がWiFiという規格で事実上、市場を支配していました。ところが中国政府はWAPIという国家標準を作った。もし、中国政府が国内はWAPIでなければ駄目だと言えば、米国はWiFiを売れなくなります。当然、この件は米中間に深刻な摩擦を引き起こしました。04年4月に、呉儀副首相がWAPI義務づけの導入を無期限に延期すると発表し、一応、問題は小休止しています」
だが、岸氏は米中両国の妥協は一時的なものにすぎず、いずれ中国と米国の摩擦は再燃すると見る。
中国が独自の無線LANの国際標準化にこだわる背景には、米国を凌ぐ大国化を目指す政治的野心も透視される。
固定電話のインフラが不十分な中国では、携帯電話の普及速度は目ざましい。今後、携帯に無線LANの機能が付加されれば、爆発的に成長する可能性がある。巨大市場が予見されるとき、その国際標準を取って、中国自身が潤うべきだと彼らは考え、実行しつつあるのだ。また、独自の無線LANを用いて、米国の技術への依存をなくせば、中国国内の情報を盗聴される恐れもない。経済活動及び情報管理の双方で中国は主体性を保ち、如何なる形でも米国に〝支配〟されなくて済む。中国の米国へのライバル意識は強く、だからこそ、国際標準獲得のための中国の努力は多岐にわたる。
中国政府の理工系人材の育成への力の入れ方は、「技術覇権主義」と呼ぶべきものだ。海外留学組の優秀な人材の呼び戻しにも熱心だ。〝海亀派〟と呼ばれる帰国組には旅費、帰国後の研究開発費、住居、車をはじめ、種々の特典が提供される。結果として、1978年の改革開放政策以来、すでに数十万人が帰国した。3G携帯の開発を主導したシュー氏もそのひとりであることはすでに指摘した。
こうして開発、または模倣した技術を国家標準とし、国際標準に格上げするには、国際標準化機構の幾十もの委員会に代表を送り込み、幹事国として議論を自国有利に導くことが重要だ。中国はそのための人材も育ててきた。田井氏はこう語る。
「中国の国策としての世界標準への取り組みには驚嘆します。日本が国際会議に10人出席するとしたら中国は数十人規模。また彼らは驚くほど優秀で、上海交通大に落ちた人が仕方なく米国の名門、MITに行ったといわれるくらいです。
標準化会議では英語やフランス語が飛び交います。そこに送り込まれる人材は、まず、自国の技術を熟知して、その利点を英語などで力説し、主張し、説得する能力を備えていなければなりません。この種の会議では10年20年と同じ会議に出席して顔役になることも大事です。日本の人事システムでは難しいこうした人事を、中国はじめ諸外国はしているのです」
これらの委員会は、大国も小国も皆、一国一票制だ。中国はODAの供与、武器売却など、あらゆる手段でアフリカ、アジア諸国に支持を広げてきた。標準化を審議する委員会でも中国の国家ぐるみの対策が奏功しつつある。では日本の対応はどうか。岸氏が憤る。
「国際標準化の持つ深刻さを本当に理解している政治家、官僚は何人いるのか。日本は恐るべき空白のなかを漂っているのです」
日本に欠落する危機意識
日本のもの作りの水準は高いから大丈夫という認識で安心している場合ではないと岸氏は憂う。そして指摘する。もの作りでは逆立ちしても日本にかなわない中国がいま高く掲げているのは、「三流国は製品を売り物にする。二流国はブランドを売り物にする」という教訓だ。では、一流国は何を売り物にするのか。国際標準である。日本は国家も企業も経済の仕組みが大転換していることを、見間違えてはならないのだ。
キャノン顧問の丸島氏も、日本の対応は余りにも鈍い、と強い危機感を抱く。国を挙げて取り組む重要性への認識もなく、またそのシステムも整っていないため、各企業がバラバラに動き敗北に至るというのだ。日本にとっていま大事なことは、国家としてまとまることだと強調する。
「かつてキャノンに務めていたとき、デジタルカメラを世界標準にするべく尽力しました。当時は国内でわが社と富士フィルムの二グループに分かれ、激しく対立していました。しかしそれでは国際社会で敗れる。我々のもの作りも無意味になる。そこで富士フィルムさんと話しました。最初はなかなかわかってもらえませんでしたが、最後に納得し、規格の統一が実現しました。国際標準をとって今では世界の80%のシェアを占めています。自分の企業だけが得をしようと思うと、日本全体として負けてしまう。だからこそ、協調して、そのあとで競争することが大事です」
丸島氏は、日本の企業に日本国を担うという意味での連帯感や協調心が薄いことや行政府が企業をまとめ、指導出来ないのは、米国の長期戦略に日本が嵌ったからだと語る。
「米国はかつての日本の護送船団方式の経済に敗れました。これを崩そうと、中曽根政権時代に民活を進めさせ、行政府の権限を奪いました。一方米国は、反対にかつての日本のような垂直・水平両面にわたる共同開発をどんどん認めていきました。これが米国の産業競争力を高めたのです」
訴訟も含めて、米国市場での熾烈な闘いで勝ち残ってきた人物の言葉だけに、強い説得力を持つ。
防衛も外交も米国任せの戦後日本は、全き意味での国家ではないのである。国家たりえていない日本が、国際標準という国家的要素を最も必要とする難問に直面しているのが現状だ。国と企業、企業と企業が、共に対処しなければ、日本はジリ貧国家になり果てる。そのことの深刻さにいま気づかなければならない。