「 集団自決命令、大江作品の歪曲 」
『週刊新潮』'07年12月6日号
日本ルネッサンス 第291回
第二次世界大戦末期の沖縄で、果たして日本帝国陸軍は住民らに集団自決を命じたのか。大江健三郎氏の『沖縄ノート』(岩波新書)は、軍命令を揺るぎない前提として書かれ、1970年の初版以来、今日まで50刷を重ねてきた。
慶良間列島の渡嘉敷及び座間味両島で集団自決を命令したとされた守備隊長、赤松嘉次大尉と梅澤裕少佐らを、大江氏は〝屠・ー者〟と呼び、その行為を〝人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊〟と断罪した。
だが、集団自決命令は存在しなかった。渡嘉敷島守備隊長の赤松大尉は住民らに「あんたたちは非戦闘員だから、最後まで生きてくれ、生きられる限り生きてくれ」と述べたことが明らかになっている。だが、山中に避難した住民らは「村長以下、みな幹部も、捕虜になるより死んだほうがいい」として「半狂乱になった」。自決に失敗した住民救済のために赤松隊長が衛生兵を派遣して治療させていたことなども判明した。
これらは1973年の曽野綾子氏の『ある神話の背景』に詳しい。同書はいま「『集団自決』の真実 日本軍の住民自決命令はなかった!」の題名でPHPより出版されている。
同著から9年後の1982年、座間味島での梅澤隊長の命令も存在しなかったことが明らかになった。梅澤隊長が命令した、それを自分が聞いたと語った唯一の証人、宮城初枝氏が、戦後、島の人々の暮らしが苦しく、戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を受けるために、村の長老に指示されて厚労省に心ならずも偽りの証言をしたと告白したのだ。
大江氏の『沖縄ノート』はその大前提が崩れ去ったのだ。ちなみに、氏同様、日本軍が自決命令を下したと書いた中野好夫・新崎盛暉著『沖縄問題二十年』は曽野氏の著作が出版された翌年に絶版となった。家永三郎氏も『太平洋戦争』中の関連記述を削除した。集団自決命令を、彼らも否定せざるを得なかったのだ。にもかかわらず、大江氏は過ちを改めようとしない。曽野氏の著作も宮城初枝氏の証言も極めて詳細で具体的だ。事実を直視すれば、大江氏の著作は訂正されなければならない。
「僕は自分が、直接かれにインタビィューする機会をもたない」と書いたように、氏は当事者たちに会っていない。関係者に取材せずに書いたのだ。
梅澤氏らが『沖縄ノート』などの出版停止と謝罪広告などを求めた大阪地裁での裁判は現在も続行中だ。最終弁論は今年12月21日、判決は来年の春の予定だ。
『沖縄ノート』執筆に当たって大江氏が参考にしているのが『鉄の暴風 現地人による沖縄戦記』だ。今回初版本をようやく入手した。読んでわかったのは、同書の事実関係における杜撰さと強い反日感情だ。
米軍賛辞と反日思想
1950年8月30日発行の初版は沖縄タイムス社編、朝日新聞社刊である。初版の4頁にわたる「まえがき」は次のように括られている。少し長いが引用する。
「なお、この動乱を通じ、われゝ沖縄人として、おそらく、終生忘れることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。国境と民族を越えた彼らの人類愛によって、生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更生第一歩を踏み出すことができたことを、特筆しておきたい」
米国への歯の浮くようなこの賛辞、客観的理性的評価を完全に欠落させた一方的な賛辞は何を意味するのか。
1950年当時、日本はまだ米国の占領下にあった。沖縄を除く日本の独立回復は52年4月28日、沖縄が米軍の占領から解かれたのは72年5月15日だ。占領下の日本で米国が行ったのは日本人の洗脳だった。彼らは厳しい検閲制度を敷き、米国批判を厳禁した。そのうえで戦中戦前の日本のすべてを批判、非難し、日本国の〝軍国主義〟やその力の前に屈服した〝暗黒政治〟を強調することで、米国の罪を消し去ろうとした。原爆投下も無差別空襲も、それは野蛮な日本の軍国主義の前では致し方のないことだとして米国の正義と人道を際立たせようとした。
米占領軍による日本人洗脳の意図が明らかに同書を貫く軸であり、その反日思想は、赤松、梅澤両隊長への事実無根の非難となって迸(ほとばし)出る。
「赤松大尉は、軍の壕入口に立ちはだかって『住民はこの壕に入るべからず』と厳しく、構え、住民達を睨みつけていた」とし、地下壕内で開いた将校会議では「まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残ったあらゆる食糧を確保して、持久態勢をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」と「主張した」と書くのである。さらに「これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し」たと、書いている。
自身の間違いを訂正せよ
だが、前述のように赤松大尉は住民に「生きのびよ」と諭した。『鉄の暴風』で「慟哭」したと書かれた副官の知念氏は同書の記述を完全否定した。第一、地下壕での将校会議そのものがなかったと証言した。
梅澤隊長に関しても事実無根の記述が並んでいる。梅澤隊長が守備した座間味島での戦闘について、こう記述しているのだ。
「日本軍は、米兵が上陸した頃、二、三カ所で歩哨戦を演じたことはあったが、最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降、隊長梅沢少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した」と。
住民に集団自決を命ずる一方で、軍人は戦いもせず、陣地に隠れ、投降した、日本軍はなんと卑怯な軍かと言っているのだ。そのうえ梅澤隊長の情死が「判明した」というのだ。
だが事実は正反対だ。梅澤隊長は勝てる見込みのない戦いで、部下を死なせないように努力した。沖縄戦以前は部下を死なせたことのないのが誇りだった。しかし、熾烈な沖縄戦は過酷な結果をもたらした。直属の部下104名中、実に70名が戦死したのだ。生還者はわずか34名にとどまる。戦わなかったのではない。「全員投降」したのでもない。また氏は情死したのではない。氏は、90歳の現在も矍鑠としており、裁判にも証人として立った。
『鉄の暴風』にはこの種の出鱈目をはじめ、〝反日情報〟が満載されているのだが、これらのあまりにも明白な間違いは、その後重ねられた版からひっそりと削除された。
ノーベル文学賞受賞作家、大江氏の頼った書はこの程度のものだった。沖縄を、これ以上歪曲してみることは、沖縄で戦死した軍人、軍命がなくとも死ぬべきだと考えて自決した民間人、爆撃などで亡くなったすべての人々に対する冒轢・ナある。大江氏は直ちに自身の作品における間違いを訂正すべきであろう。