「 韓国大統領選、直前で新たな展開 」
『週刊新潮』'07年11 月22日号
日本ルネッサンス 第289回
韓国大統領選挙まで残り6週間となった11月7日、突然、新しい候補者が名乗りをあげた。10年前、ハンナラ党を創った李会昌(イ・フエチヤン)氏だ。大統領選のトップを走ってきたのは保守系で同党候補の李明博(イ・ミヨンバク)氏、『朝鮮日報』の調査では断トツの55・5%の支持率だ。その後ろに左派の与党候補、鄭東泳(チヨン・ドンヨン)氏が約16%の支持率で低迷していた。だが、保守系の李会昌氏立候補で事態は劇的に変わりつつある。
まず、保守票は確実に割れる。つい連想するのが、過去2回の大統領選挙での保守系候補の敗北だ。その保守系候補が李会昌氏自身であり、敗北の原因が保守陣営の分裂だったことも想起せざるを得ない。
97年の大統領選挙では、党予備選挙で敗れた候補者が離党し保守票が二分されたのだ。勝ち残った李会昌氏は2人の息子の兵役免除問題で支持率が急落、金大中氏に敗れた。
氏は02年の大統領選挙でも敗北した。このときは左派陣営がネットを悪用し、李会昌氏が息子たちの兵役免除の真相隠蔽工作を行った、或いは妻が20万ドルの賄賂を受けとったなどの情報を流した。その一方で左派陣営は金大中氏が中心になって候補者を盧武鉉氏で一本化した。保守勢力は、左派勢力の情報操作にも勢力結集にも対抗できず終いだった。
真逆の敗北を2度繰り返した李会昌氏だが、選挙後の調査で氏に関するスキャンダルが根拠のない偽情報だったと判明した。それでも政治生命は終ったと見られ、氏は政界引退を宣言したのだった。
その人物が、突然、自ら創ったハンナラ党を離れ無所属候補として立ったのである。2度にわたる保守の敗北を見てきた人々は、「またか」と憂える。敗北原因となった保守の分裂を、李会昌氏自身が引き起こすのかと疑念を抱く。
左翼革命を阻止できるのか
12月19日の大統領選挙で問われる最重要の事柄は、韓国の保守勢力は果たして自国の北朝鮮化を阻止出来るかという一点である。それは朝鮮半島の未来のみならず、日本の安全保障と国益をも大きく左右する要素だ。今年、保守候補が敗れた場合に起こり得ることは、南北首脳会談で発表された「10・4宣言」及び北朝鮮についての盧武鉉大統領の発言などから、容易に予測できる。早稲田大学現代韓国研究所客員研究員の洪辭虫≠ヘ、今回の選挙は単なる政権交代の選挙ではなく、体制交代の選挙だと断言する。なぜ、体制交代が必要なのか、氏は次のように語る。
「盧武鉉大統領は韓国と国民の利益を代表していません。まるで韓国を金正日に捧げようとしているかのようです。たとえば、平壌訪問前から大統領は、首脳会談では金正日が嫌うことは言わないと公言しました。実際平壌では、金正日の長寿を祈って乾杯する一方で、北の住民の人権にも、朝鮮戦争当時から今日まで韓国国軍や民間から北に拉致された同胞についても触れませんでした。
加えて大統領は北への経済協力は改革・開放のためのものではない、北の体制を尊重する用意周到な配慮が必要だと述べました。金正日体制をそのまま受け入れ存続させる驚くべき発言で、これらの点は10月4日の共同宣言に明記されました」
大統領は日本円にして少なくとも6兆円を超える大型経済援助を約束した。間もなく任期切れだが、退任後も、北朝鮮支援策を後任大統領が変更できないように「五寸釘」を打ち込んでおくとまで述べている。
「大統領の目論見は、北の独裁者の下で連邦政府を作ることです。金正日の狙いは韓国を呑み込む左翼革命の達成です。盧武鉉路線はそれを受け入れることなのです。だからこそ、政権交代でその企みを阻止することが必要です。それは親北・左翼体制から親日米・保守体制への交代に他ならないのです」と洪氏は言う。
では先述の李会昌氏の出馬は、韓国がいま最も切実に必要としている゛体制交代〟にどのような影響を及ぼすのか。韓国で最も信頼されている言論人、趙甲済氏は李会昌氏の出馬を否定的にとらえてはならない、それこそが韓国の真正保守の懊悩を一挙に解決するものだと主張する。趙氏の言葉には少し説明が必要だ。
暗殺の危険性さえ……
現在大統領選でトップを走る李明博氏とハンナラ党は、幅広い支持を得るために、鮮明な保守政策を掲げることをせず、中道路線を採用した。安全保障政策も北朝鮮政策も、驚くほどの゛柔軟政策〟だ。左派政権の現与党よりも尚北朝鮮寄りの政策を掲げる李明博氏とハンナラ党に保守層は不満を抱いたが、他に支持候補がいないため、不満が高じていた。そこに李会昌氏が旗揚げしたのだ。
氏は左派政権を終息させる、一方的妥協でしかない対北融和策の太陽政策を破棄する、などの保守政策を打ち出した。但し、国民多数の支持を得られない場合、保守系候補の一本化のために自分は大統領選挙から降りるとも公言した。
趙氏は、李明博氏以外の選択肢がなかった保守層にとって、もうひとつの、より保守らしい選択肢が出来たことを評価しているのである。
新たな保守系候補の出現は、大統領選挙につきまとう不吉な懸念をも消し去る効果があると氏は述べる。
「私たちが最も恐れてきたのは、暗殺を含めて李明博候補の身に何らかの危害が及ぶことです。韓国の公職選挙法では、12月2日から19日までの間に候補者に死亡を含めて異変があっても、代替候補を立てられない。李明博氏が暗殺でもされれば、ハンナラ党と保守勢力は候補者を失い、左翼系候補者だけが残ります」
趙氏は李会昌氏の出馬で、保守系候補が゛消されてしまう〟事態が起きにくくなったと分析するのだ。氏の指摘は、韓国の政治的暗闘の凄じさを痛感させるが、事実、李明博氏への盧武鉉政権及び左派陣営の攻撃は熾烈を極める。李明博氏追い落としのために政府の総力を挙げて取り組んでいる。たとえばBBK疑惑と呼ばれる事件である。
これは李明博氏と関係があると言われる若いベンチャー起業家384億ウォン(約46億円)を横領し米国に逃亡したケースだ。犯人の起業家が今月中に韓国に引き渡される。左派陣営は絶好の李明博氏攻撃材料を得ることになる。李明博氏への支持率急落もあり得るだろう。
「そのような場合、もうひとり、保守系候補がいることが大事なのです。左派が、スキャンダルの攻撃で李明博氏を倒すとしても、保守系候補が全滅することにはなりません。3度、左派系候補に政権を渡し、韓国を北に捧げるようなことがあっては、絶対にならないのです」と趙氏。
李会昌氏の立候補表明後、韓国国民の支持は李明博氏41・2%、李会昌氏21・9%、鄭東泳氏13.1%だ。保守支持は60%を超え、保守の支持基盤が広がり、左派への支持は減少した。激しく展開する韓国政治だが、方向性は間違っていないと思われる。