「 福田康夫新首相は官僚がお好き 」
『週刊新潮』 '07年10月4日号
日本ルネッサンス 第282回
新首相、福田康夫氏は一体どんな人物か。「平時ではない」、つまり党存亡の危機故に立ったと語る氏はどんな姿勢で政治に臨むのか。
そのことを知る手懸かりのひとつが拉致問題への対処である。自民党総裁選の最中、麻生太郎氏が、福田氏は拉致被害者の家族に死亡情報を断定的に伝えたと理解していると述べたとき、福田氏は珍しく反論した。゛私が断定したことはない。外務省情報によると、こういうことですと、前提をつけて家族に伝えた〟と。
しかし、有本恵子さんの母、嘉代子さんは、福田氏は事実を語っていないと反発する。5年前の9月17日、福田官房長官が最初に゛身内の死亡〟を宣告したのが、実は有本さん夫妻に対してだった。
「私と主人と救う会の佐藤勝巳会長が、椅子に坐って待っていました。外務省飯倉公館の広い部屋の、衝立で仕切られた一画です。そこに福田さんが入って来て、立ったまま私たちに言いました。『残念でした』と。それだけです。で、私は、『ということは、恵子は亡くなってしまったんですか?』と尋ねました。
すると福田さんは言いました。
『そうです』
感情をまじえずに、無表情な顔で、それだけ仰ったんです」
嘉代子さんは、福田氏が右の二言以外、何の言葉も口にしなかったと強調する。゛お気の毒です″゛政府として申し訳ない〟などの、慰めや配慮の言葉もなかった。
傍らにいた夫の明弘氏がたまりかねて話し始めた。
「恵子が亡くなったとしたら、殺されたんです。事故じゃない。絶対に不審な死に方だったはずだ」
夫妻の手元には北朝鮮から送られ
てきた恵子さんの子供とみられる赤ちゃんの写真もあった。嘉代子さんも明弘さんも、恵子さんがどれだけ健康であるかを知っている。若くして死亡というなら、尋常な死ではあり得ないと考えたのは自然なことだ。そう必死で訴える夫妻に対して福田氏は一言も発することなく゛冷静な表情〟で見詰めるだけだったという。
「私は具合が悪くなって倒れそうになりました。すると外務省の人が、部屋の隅のソファーを黙って指さしたのです。私はやっとの想いでそこに行って休みました。15分くらい目を閉じて落ち着いたところで、大部屋から出てきたんです。福田さんが、死亡情報を断定しなかったなんて、嘘です」と嘉代子さん。
当時、福田氏は外務省アジア大洋州局長の田中均氏を軸に北朝鮮外交を進めていた。02年10月15日に蓮池薫さんら5人が帰国したが、福田氏は5人を1週間程度日本に滞在させたうえで北朝鮮に戻し、日朝国交正常化交渉に入ろうとした。それは拉致犯罪国家に、私たちの税金が兆円単位で渡ることを意味する。福田氏らは日朝交流の進展が先で、拉致は国交正常化の出口で解決すればよいとの考えだ。だが、国交を樹立したからといって、拉致問題が解決される保証はどこにもない。
後退する「改革」への道
北朝鮮に対してなぜこのように甘い、希望的観測を抱くのか。理由は、福田氏の官僚に対する絶大な信頼にある。かつて氏は「父の職業を『官吏』と書くのに誇りを持った」と語っている。父、赳夫氏を首相としてよりも、大蔵官僚として、尊敬していたのだ。
福田氏の官僚好きを示す面白いエピソードがある。氏が官房長官、石破茂氏が防衛庁長官だったときだ。特に親しくもなく、石破氏に格別の言葉をかけたこともなかった福田氏が、石破氏の父親が建設官僚だったと知った途端、゛君も官僚の子どもか〟と言って、急に親し気な笑顔を見せたというのだ。
金正日総書記の交渉術をまともに分析すれば、国交正常化の先に拉致の解決があるという外務官僚的戦略がいかに信頼出来ないものであるかは明白だ。戦後の官僚は、たとえ自分の手柄にならなくても、長い目で見て国益につながることなら、地味な仕事でもきっちりとやり遂げる、というより、自分の任期中に手柄を立て、出世したいと願う傾向がある。だからこそ、彼らは戦略性も合理性も欠いた近視眼的外交に陥るのだ。
自らも官僚的な福田氏は、官僚を信頼する余り、彼らの根拠なき希望的観測にも同調するが、彼らのなかには、「たった10人のことで、日朝国交正常化が止まってよいのか」と言い放った槇田邦彦氏のような許し難い輩もいるのだ。
福田氏は自民党総裁に選ばれるや否や、官房副長官に二橋正弘氏再起用の方針を固めた。二橋氏は、安倍晋三氏が、その余りの官僚的思考を嫌って官邸から追放した人物だ。その人物の再起用は福田内閣が安倍内閣とは正反対の路線を進むことを物語る。脱官僚を掲げた安倍氏とは対照的に、福田氏はまさに官僚中心の政治に傾くだろう。
芬々と漂う醜い官僚臭
二橋氏は、古川貞二郎氏の忠実なる後輩だ。古川氏は、村山富市氏から小泉純一郎氏まで、歴代5代の首相に8年7か月にわたって仕えた。その後任が二橋氏だ。福田氏は官房長官時代、この2人と歩調を一にして、さまざまな事案を手がけた。
たとえば靖国神社に替わる国立追悼施設を巡る問題だ。福田官房長官の下に私的諮問機関が設けられ、新たに、無宗教の国立追悼施設を建設する問題が話し合われた。゛追悼懇〟と通称された同会議に、古川氏は政府側委員として入り、追悼施設建設促進の議論をリードした。
次に皇室典範改正問題である。女系天皇制への移行を念頭に、その趣旨に賛同する人々を選んで「有識者会議」を設けた。同会議は、2600
年余りも続いてきた皇室の在り方を、根本から変えていくことになる内容を報告書にまとめた。多くの人が、皇室の消滅につながると懸念した案の作成に、すでに官房副長官を辞していた古川氏が深く関わった。福田氏は二橋氏らに指示して古川氏を有識者会議の一員とし、古川氏は他の委員とともに皇室典範改正の方向づけに力を揮ったのだ。
福田氏は、古川、二橋両氏と、骨の髄までの官僚体質という共通項によって結ばれている。官僚群と一心同体の人物の下では、いかなる改革にも後ろ向きの対応しか出来ないだろう。保守的価値観は基本的に否定され、外交においては中国や北朝鮮の利益が、日本の国益よりも優先されかねない。
日本という国や日本の文化文明を否定する戦後体制からの脱却を掲げた安倍氏を、自民党議員は1年前大挙して支持した。いま、似ても似つかぬ政策と価値観を有する福田氏を、多くの自民党議員がこぞって支持している。なんと節操のないことか。福田氏周辺から芬々と漂ってくる旧く醜い官僚臭は、福田政権が幅広い国民の支持を得るべくもないことを明示しているのである。