「 『テロ特措法』延長はどうなる? 」
『週刊新潮』 '07年9月27日号
日本ルネッサンス「拡大版」 第281回
若き宰相として輝けるスタートを切った安倍晋三首相はなぜ頽(くずお)れたのか。
「理由は明白です。安倍晋三が安倍晋三でなくなったからです」。こう指摘するのは拓殖大学日本文化研究所教授の遠藤浩一氏だ。
安倍首相はなぜ安倍首相でなくなったのか。突きつめれば、首相自身が、或る意味、戦後体制の落とし子だったからではないか。幾層にも重ねられた政策論の深奥にある首相の心の部分に光りを当てると、そこに見える決定的な弱さこそが首相の否定する戦後体制の欠陥を凝縮するものだったと認識せざるを得ない。
そもそも戦後体制とは何か。首相の発言を集めれば、それが、敗戦以前の日本を全否定して作られた現行憲法を後生大事にし、自立国家であることを忘れたかのような日本のあり方を指すのは明らかだった。「脱却」とは、日本的価値観の覚醒によって、自力で日本を守り、日本文明の本質を体現する国家及び国民になることを意味していた。
その想いを政治家としての自分にあてはめ、首相はこう述べている。「わたしは、つねに『闘う政治家』でありたい」「確たる信念に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ」(『美しい国へ』文春新書)。
「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾ゆかん」という言葉も首相は好んで口にした。
喪失した価値観の再構築は、まさに「千万人といえども吾ゆかん」の「覚悟」のうえにしか成り立たない。そして首相の前に立ち塞がる゛千万人″は、戦後60年余り、戦後体制にどっぷりと浸ってきた日本であればこそ、政・官・メディア界、いずれの分野にもあふれている。
憲法改正を軸にした大改革への試みは、深い歴史的意義を有する。が、改革が根源的であればある程、抗う力も大きい。安倍政策のおよそ全てに、偏向報道と非難されても仕方がない強い批判を浴びせ続けた『朝日新聞』のみならず、保守的論調の『読売新聞』さえも、安倍批判の気配を見せたことを忘れてはならない。
一例が靖国神社問題だ。ここ数年、『読売』社説が゛A級戦犯″の靖国合祀を批判し、分祀論を展開してきたのは周知のとおりだ。『読売』社説は代表取締役会長・主筆の渡辺恒雄氏の影響を、当然のことながら受ける。そして渡辺氏は『北京週報』誌上で靖国神社参拝に関して旗幟鮮明の論調を展開した。今年8月10日の「日本語版」で氏はこう語っている。
「今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。安倍氏は参議院選挙の後に引き続き首相でありつづけるが、私も彼に絶対に靖国神社に行ってはならないと進言しなければならない」
氏は他の誰が首相になっても靖国神社を参拝しないと約束しなければならないとして、こうも語る。
「さもなければ、私は発行部数1,000数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す」
゛『読売新聞』一千数万部″の総力をあげて、靖国神社に関する特定の考えを総理大臣に強要すると公言する渡辺氏の姿勢は、一千数万部の事実上の私物化であり、言論及び思想信条の自由の上に活動する言論人にあるまじき主張である。
闘いを忘れた首相
一方安倍氏は、自民党幹事長代理時代の04年11月、小泉首相の参拝について「次のリーダーも、その次のリーダーも受け継ぐことが大切だ」と語った。01年8月の講演では「大切なのは何年も連続で参拝することだ」と主張した。
しかし、首相就任が現実味を帯びてくるにつれ参拝するか否かを明らかにしない曖昧路線をとるに至った。明確な主張を打ち出しながら、遂に、首相として一度も靖国神社を参拝せずに終わった首相が、メディア界の論調に揺らぎ屈服した可能性は否定できないだろう。
安倍路線を打ち消す力学が働くなか、靖国神社問題同様、首相は、不戦敗を重ねていった。闘って切り崩すべき対象を認識していながら、行動につながらない。批判に屈服し、国内外で自らの、そして日本の主張を後退させる姿は、首相が否定した、信念も主張もない日本の゛戦後体制″そのものではないだろうか。
なぜそうなるのか。首相が父・晋太郎外相の秘書官であった時代から見守ってきた後援会関係者が語る。
「成蹊小学校に入る頃から晋三さんは秘書に送迎されていたと聞きます。受験の苦労を一度も味わうことなく大学までエスカレーターで上り、卒業後は米国に語学留学、そのまま神戸製鋼に入社。3年後に退社して父上の秘書官になり、父亡きあと政界に入り、当選5回で宰相の座に上りつめる。なんとシンプルな経歴でしょうか」
権力の構図のなかで、華麗さを尚一層彩るはずの闇の暗さ、己れを奮い立たせる刻苦勉励の痕跡も窺えない順調な経歴は、首相が幼少の頃からいかに守られてきた存在であるかを示す。戦後日本が米国によって守られ、闘うことを忘れてきたように、首相もまた、政治家の家の三代目として手厚く守られ、闘わずとも、道は自然に切り拓かれてきた。先の人物はこうも語る。
「1996年、山口県知事選挙をめぐって、当時1年生議員の晋三さんが、幹事長代理の野中広務氏のところに抗議に行きました。山口県のことに手を突っこむのはおかしいと詰め寄り、最後に『このくそじじい!』と悪態をついた。が、武勇伝として語り継がれるこの種の激しさは、周囲が彼を鼓舞する状況下で起こるのです。ギャラリーなしでは駄目。孤独のなかで一人でも闘う内面の強さから来る激しさではないのです」
首相は局面毎に闘いを避けてきたと、遠藤氏が語る。
「昨年9月1日、自民党総裁選への出馬宣言を安倍氏は広島で行いました。゛タカ派イメージを払拭出来る″という理由だと報じられた。しかし、安倍氏がタカ派で何が悪いのでしょうか。氏は゛タカ派″ゆえに総理大臣になったのです」
第一次安倍内閣で麻生太郎氏を幹事長にする積もりが、森喜朗元首相の説得で中川秀直氏を就任させたように、゛不戦敗″は死活的に重要な人事をも失敗させた。
闘いきれないために、首相の゛輝き″の根幹である保守の理念さえ、削り取られた。民主党の菅直人氏に詰め寄られ、祖父岸信介の戦争責任を認めたくだりだ。また、第二次大戦ではひたすら日本が悪かった、日本は一方的に謝罪すべしという趣旨の村山富市首相談話も、根拠のない慰安婦強制連行を認めた河野洋平官房長官談話も、早々と認めた。
失われた゛日本自立″
「85年、土井たか子氏に寄り切られて晋太郎氏が日本の戦争は『侵略戦争』であるかのような答弁をしたのですが、二代続けて同じ過ちを繰り返したと思います」と遠藤氏。
訪米前に、靖国神社に参拝もせずに関係打開のため訪中したが、日中関係は打開されるどころか、本質的な問題が日本不利の色合いを強めて先送りされただけだ。対米関係においても保守系政治家らしからぬ軌跡を辿った。米国下院での慰安婦決議のときに、米国に向かって「これは全て故なき非難です」と、事実に基づいて理性的に言えず、結果として、事実上、日本の非を認めた。
とはいえ、首相の成し遂げたことには大きな歴史的意味がある。それらは後に必ず評価される。外交評論家の田久保忠衛氏が語る。
「安倍さんは初めて、憲法改正を正面から問いました。日本経済の動脈硬化を改革しようとした小泉改革を受け継ぎながら、マッカーサー憲法を変えようと国民投票法を制定しました。東京裁判史観やマッカーサー史観に基づく教育基本法や教育制度の改革も緒に就けました。これらは極めて大きな成果です」
田久保氏は国家を支える経済、政治、軍事の3要素の内、日本は経済は一流、政治は二流としても、軍事だけはどうにもならないレベルにあると指摘する。
「自衛隊は戦える軍隊ではないのです。゛ポジティブ・クローズ″に基づいて行動し、役割を果たすために、根拠となる新法をその度に作ります。そこに書かれていることしかしてはならないのです。他方、世界の軍隊はネガティブ・クローズで動きます。捕虜の虐待などの禁止事項を定め、それ以外は自由に行動出来ます。日本と国際社会は、軍関連の法律の性格が正反対なのです。
加えて、世界の軍隊は文民統制、軍の知識がある政治家が軍を統制します。日本だけは政治家と軍の間に内局と呼ばれる官僚組織が介在し、彼らが制服組を抑えて防衛政策を作成します。文民統制ではなく、官僚が防衛政策を支配する。異常なる文官統制です」
官僚たちがいかに゛軍事力〟を嫌い、マッカーサーが定めた゛戦力なき商人国家〟としての日本の姿にこだわるか。91年の湾岸戦争のとき、自民党幹事長だった小沢一郎氏は軍事的貢献の代わりに130億ドル(1兆7,000億円)の大規模支援を決めた。にもかかわらず、クウェート政府からも評価されなかったことに衝撃をうけ、日本は゛普通の国″になるべしと提言、これによって氏は、政策と理念に強いと、評価を高めた。
対して外務事務次官だった小和田恒氏は、日本は普通の国を目指すのではなく゛ハンディキャップ国家″でよいと反論した。軍事的貢献はせず、ひたすら金を出し
続けるのがよい、他国が100億ドルなら、日本はその2倍、3倍出す、そのかわり他の責任は回避しようというものだった。
小沢氏はすべてを「カネ」で済ませるこの政策をかつて厳しく非難したが、驚くことにいまや、賛成に回っているのだ。そして小沢路線にも官僚路線にも反対するのが安倍氏である。
中国、ロシアの軍事力拡大やテロとの戦いを前にして、小沢路線も官僚路線も通じはしない。日本が責任ある自立国家になる第一歩は、安全保障面での自立である。田久保氏が指摘した。
「集団的自衛権の行使についても検討した安倍路線は日本の自立を目指すもので、米国の共和、民主両党とも歓迎する点です。日本が普通の民主主義国になり、それを支える軍事体制を作ることが、米国依存を続けてきた戦後体制からの脱却の基本です。米国には、自立出来ない日本は米国の被保護国だとの冷めた見方があります。日本への冷たい視線は中国への熱い視線となります。日米同盟が揺らぎ、米中関係が強まるとき、日本は想像以上の危機に見舞われます。そうであってはならないとした安倍氏の貢献は大きいのです」
「福田登場」で自民党の終焉
だがいま、自民党は、安倍氏とは全く考え方の異なる福田康夫氏を新総裁に推しつつある。憲法改正を至上命題に掲げた安倍氏に対し、福田氏は憲法改正には慎重である。拉致問題については、2002年10月15日に蓮池薫さんら5人が帰国したとき、彼らを1週間ほどの滞在で北朝鮮に戻し、日朝国交正常化交渉を開始すべきだと主張した。被害者を拉致犯罪国の北朝鮮に戻すのも国交正常化を進めて巨額の支援をするのもおかしいとして、5人を日本にとどめたのは安倍氏である。拉致被害者の家族に、北朝鮮の一方的な情報を元に「あなたの娘さん(或いは息子さん)は死んでいます」と宣告したのも福田氏だ。福田氏は集団的自衛権も進めてはならず、靖国問題では国立追悼施設の建設を主張する。
氏の主張は、むしろ小沢氏と似通っている。昨年9月、雪崩を打って安倍氏支持にまわった自民党が、その反対の理念を持ち、小沢氏と同質の政策を掲げる人物を選ぶことは、戦略性も合理性も欠いている。
2000年以降の選挙では、自民党は比例区で1600万から2600万票の間で増減を繰り返してきた。小泉改革で地方組織が解体された自民党の頼みの綱は、郵政選挙のときのような強烈な゛風″である。
一方の民主党は2003年以降、常に2100万票を得てきた。これは03年の自由党との合併で、小沢一郎氏が入り、民主党のリベラル色が薄まって保守色のイメージが強まり、保守票が入りやすくなった結果だと遠藤氏は分析する。この状況下、2年以内に必ず行われる総選挙で自民党に生ずる変化はなにか。
「次の選挙に勝てるのか否かという問いに見向きもしない選択、福田総裁の選出は、自民党の終焉を意味します。自民党は真に判断能力を停止させています」と遠藤氏。
行き着く先は政権交代だが、小沢氏の考えを基本とする民主党政権では、まず対米関係が行き詰まる。国連至上主義も日本の国益を守ってはくれない。
その行き詰まりのなかで、政界再編と銘打った政治の混乱が生ずるのは避けられない。自民党凋落で自公連立が解消される可能性もある。゛保守の星″安倍首相の残した傷跡の深さを哀しみつつも、混乱のなかに真正保守政党の蘇りを期待するものである。
米国の中国よりの舵を取らせる決定打であるテロ特措法不成立…
テロ特措法問題が守屋問題で終始し、結果的にテロ特措法が成立しない場合、わが国にとって、また国民生活にいかなる問題が生じるのか。国会議員は自覚しなければならない。
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トラックバック by 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN — 2007年10月30日 23:47
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