「 日・台が打ち勝つべきは強硬路線と柔軟路線を使い分けるしたたかな中国 」
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 694
6月1日、東京都港区の国際文化会館で台湾の李登輝前総統の講演を聴いた。日本の近代化に力を尽くした後藤新平の生誕150周年を記念して創設された「後藤新平賞」の、第一回受賞者としての記念講演だった。会場には内外の記者団が詰めかけ、立ち見も出る盛況ぶりだった。李前総統は語彙豊富な日本語で約一時間語った。
李前総統は、台湾近代化の基礎を築いたのは、日本による台湾統治の下、第四代総督、児玉源太郎に登用された後藤だったと、以下のように讃えた。
後藤は、台湾の社会基盤を築く諸事業の展開に当たって、まず「台湾旧慣習調査会」を開いた。台湾の土着民や漢民族の文化・習慣を学び、それらを尊重することで新事業を推進。台湾人の慣習を司法、行政等に反映させ、台湾的制度として定着させた。総督府の中央研究所に科学部と衛生学部をつくり、台湾独自の動植物の研究をさせた。
李前総統は、これらすべて、台湾を台湾として認めた結果、生まれた政策であり、台湾人に対する前向きの視線が、日本による台湾統治の根底にあった。この統治の基本理念が日本の価値観であり神髄なのだと示唆したのだ。
そのうえで、李前総統は、自らと日本についても語った。
「1923年、台湾の片田舎に生まれ、今年で満84歳。台湾人に生まれた気概を持つとともに、22歳までは日本の徹底した義務教育とエリートとしての訓練を受けた」「自分はいったい何者かという自我の悩みを経て、肯定的な人生を見出すことができたのは日本的教育のおかげだった」というのだ。
政界入りし、12年間の総統時代に「一滴の血も流さずに、静かなる革命によって台湾の政治体制を軍事的独裁体制から民主的体制に変革させたことは一生の誇り」と自負も見せた。
李前総統の心のこもった講演を、4月の温家宝・中国首相の日本における発言と対比せざるを得ない。温首相が国会演説で歴史問題に関連して厳しく釘を刺したことはここではおくとして、歓迎宴で、温首相が自分の母親について触れたくだりはじつに“印象的”だった。「国会演説が終わったあと、ママに電話をすると、ママは、お前の演説はとてもよかったとほめてくれた」と語り、なごやかな笑いを誘ったのだ。
だが、温首相はかつて米国でも自分の母親について語っている。そのときはほぼこんな内容だった。
「自分が子どもの頃、日本軍が中国に侵略してきた。私は母親の後ろに隠れ、母親のスカートを握り締めて震えていた。凶悪な日本軍から私を守ってくれたのが、母親だった」
母親に触れることで日本人の微笑を誘い、温家宝氏も人の子だと思わせた。が、同じ母親を題材にしても、米国では180度異なるスピーチをする。アジアでの覇権の確立、日本の封じ込めなどの大目的は変えることはないが、そこに至る戦術は、強硬路線から柔軟路線へ自在に変化するのが中国だ。
日本と台湾が打ち勝たなければならないのは、このしたたかな中国である。
その際、アジア諸国に、中国の軍事的勢力拡大を快く思っている国は一国もないことをまず確認したいものだ。たとえばASEANの優等生、シンガポールである。リー・クアンユー元首相が鄧小平氏と関係が深いなど、同国は非常に親中的だとされている。しかし今、同国が進める海軍力の大増強は、マラッカ海峡の中国海軍の支配を許さないためだと分析されている。
中国の脅威を痛感しているのは台湾だけでなく、ほかのアジア諸国も同様なのだ。だからこそ、日本は李前総統が絶賛した“日本的価値”に基づく外交に自信を持ち、アジア諸国がそれぞれの独自性を保って生存していけるような国際政治の枠組みづくりを目指すべきだ。その第一歩は、台湾との関係を目に見えるかたちで深めていくことだろう。
台湾有事のシナリオは既に出来ている?(仮説)
参院選も一段落したので、
久しぶりに世界情勢に目を転じてみようと思います。
しばらく目を離しているスキにも世界は激しく…
トラックバック by 途転の力学 — 2007年08月02日 12:32
多極化時代のパワーバランスを読む(その1:政治体制と国家のスタンスによる分類)
米国がついに、イランの革命防衛隊をテロ組織に指定する
可能性が高まってきました。
トラックバック by 途転の力学 — 2007年08月19日 09:35