「 年金改革、国は国民を騙すな 」
週刊『週刊新潮』 2007年6月7日号
日本ルネッサンス 第266回
日本国政府の年金管理の杜撰さは犯罪的である。関係者全員が刑事罰に問われても仕方のないような酷い状況である。日本の公的年金資金は、これまで常に官僚の利益を念頭に浪費されてきた。暫く前はグリーンピア事業の、限りなく壮大な無駄と惨めな失敗が注目された。天下り官僚の再就職先となったグリーンピアは潰れ、叩き売られ、年金資金には損失だけが残された。
年金問題を取材していた9年前、官僚たちの信じ難い無責任さを痛感したことがあった。当時厚生省は20兆円を超える額を自主運用していた。年金福祉事業団を通して一部はグリーンピア事業に使われ、株式市場には約10兆円が投資されていた。そして厚生省は資金の運用全体で1兆4,000億円の損失を出していたのだ。この点を尋ねると、矢野朝水年金局長(当時)は、「23兆円余りの運用で1兆4,000億円の赤字は、市場の平均並みです」と言ってのけた。退職後の暮らしに、或いは老後のために年金保険料を払ってきた国民の切実な思いなど、殆ど感じていないような回答だった。
宙に浮いた5,000万件を超える年金保険料の支払い記録は、まさに、年金局長が示した無責任と同質だ。5,000万件余にのぼる納付を受けながら、それが一体どこの誰からの納付か確認出来ないとはどういうことか。民間企業がこのようなことをしたら、その企業は一夜にして潰れていく。雪印を見よ。不二家を見よ。民間企業は厳しい自己管理責任を問われている。官僚たちは、民間における責任の取らされ方の厳しさを知るべきだ。
安倍晋三首相は5月28日、歴代の社保庁長官の責任を明確にするよう指示を出したが、当然である。対して渡辺喜美行革相は、責任の取らせ方について、「考えつくのは退職金の返上と二度目以降の天下り斡旋の禁止」と述べた。
しぶとく残る官僚のエゴ
だが、問題をそのように矮小化してはならない。長官を含めて社保庁の責任を問うのは当然だが、私たちは日本国の年金制度全体の歪みをなおすことから考えなければならない。
社保庁の卑しき官僚たちが、国民が納めた年金保険料を自分たちの宿舎の建設や、自分たちが乗りまわすハイヤー用の自動車購入にあてていたことが示すように、日本の年金問題の病巣は、自己の利益を最優先する官僚たちなのだ。
官僚たちは、国民の納めた年金を浪費してきた一方で、年金制度そのものを自分たちの都合のよいように作り上げてきた。そこから年金における大きな官民格差が生まれたのだ。政府は4月13日、年金一元化法案を国会に提出した。その本来の狙いは年金保険料や給付における官民格差を解消することである。だが、政府法案には官僚のエゴイズムが色濃く残されており、これでは官民格差は解消されない。
日本の公的年金制度が国民年金と被用者年金に大別されるのは周知のとおりだ。国民年金は自営業、農業従事者、家庭の主婦など給与所得者でない人たちが入る。被用者年金は厚生年金と共済年金に分かれ、前者は民間企業で働く人たちの年金制度、後者は公務員の制度である。政府法案はこの二つの被用者年金を2010年度にひとつにする案である。
年金統合の閣議決定がなされたのは1984年である。23年目にしてようやく実現への第一歩を踏み出したわけだが、官僚たちのエゴイズムは前述のように十分に発揮されている。例えば統合する際に自分たちの手持の積立金の約半分を、自分たち用に取り分けておくというのだ。
ちなみに厚生年金の加入者は3,300万人で積立金は156兆円、共済年金は500万人で52兆円と推計されている。現在残高で何年分の年金が給付出来るかを示すのが積立比率であるが、厚生年金は約5.25年、共済年金は9.83年だ。共済年金の資金の潤沢さがわかる(『日経』4月7日)。
共済年金側は、統合に際しては厚生年金と同じ積立比率、5.25年分だけを持ち寄ると言っているのだ。これは額にして約28兆円。残り24兆円は企業年金のように、厚生年金と統合した後も自分たち用に職域加算などの形で使いたいというのだ。
年金失策は政権を滅ぼす
統一された年金を所管するのは厚労省だが、その厚労省は、共済年金側に積立金全額を持参せよという理屈が立たないとして、共済年金側の主張に理解を示している。だが、共済年金側の主張は非常におかしい。どのようにおかしいか。
第一に、公務員(官僚)は、共済年金が保有する積立金を自分たちが納付して貯えたものだと考えてはならないのだ。確かに、共済年金の保険料は官僚一人ひとりが自分の給与のなかから納付する。同時に同額のお金が彼らの所属する官庁から支払われる。それらが積立金となって貯えられていく。しかし、官庁が支払う保険料は、言うまでもなく、全て税金で賄われていることを忘れてはならない。
他方、民間企業の従業員のための厚生年金では、一人ひとりの支払う保険料と同額のお金を雇い主である企業が納付し、これらが厚生年金の積立金となっている。それらは全て、民間の努力で積み立てたものだ。そこには一銭の税金も投入されてはいない。共済年金の積立金と異なり、完全に自前の資金なのだ。
共済年金側が、積立金の約半分を企業年金のようにして活用したいというのもおかしな話だ。企業年金は、退職金の一部という考え方がある。役所と異なり、民間の退職金支給額は決して多くはない。それだけでは老後の暮らしを支えるのに不十分かもしれないために、企業も社員も各々工夫し、納税の義務を果たしたうえで独自の企業年金制度を築き上げてきた。これもあくまでも民間企業と社員の自助努力の果実なのだ。
共済年金側が積立金の約半分を自分たち用に取り分けることに厚労省が理解を示すのは、それによって彼らもまた潤うからだと思われても仕方がない。他にも、共済年金は保険料が低いにもかかわらず、受け取る年金は民間よりも高いなどの格差があるのは、今更、言うまでもない。
年金制度を考え、作り上げていく官僚たちが、自らに最も都合のよい仕組に拘泥するのであれば、年金改革など出来はしない。だからこそ年金改革を社保庁改革だけに矮小化せず、官民格差のなかで腐り続ける年金制度全体の作り直しを目指さなければならないのだ。5,000万件余の宙に浮いた年金保険料支払い記録の徹底解明は、そのことへの第一歩である。この点を曖昧にすれば、国民の日本国に対する信頼はとりかえしのつかないところまで、失われていく。それは安倍政権への信頼の喪失につながるだろう。