「 もっと闊達にしたい改憲論議 」
週刊『週刊新潮』 2007年5月31日号
日本ルネッサンス 第265回
憲法改正の第一歩、「国民投票法」を読むと、改正案の発議には、衆議院では「議員100人以上」、参議院では「議員50人以上」の賛成が要件だと書かれている。各党が党毎にまとまると仮定しても、右の条件を満たすのは、自民党と民主党にとどまる。公明党以下他の全政党は、改正案を発議出来ないのだ。
直ちに二つの疑問が湧く。これで本当に国民各層を巻き込んだ活発な憲法論議が出来るのか、そして、憲法論議に官僚支配の影響が出るのではないかという点だ。
まず第一点について。日本が近代国家建設に取り組んだ明治時代、憲法作成のプロセスには驚くほど幅広い国民参加があった。江村栄一氏校注の『日本近代思想体系9 憲法構想』(岩波書店)によれば、全国で発表された憲法試案は主要なものに限定しても65種類もあった。憲法案を自ら書き上げるのは、なかなか、大変な作業だ。国家とは何か、国家を構成する国民の幸福と安寧を守るためには、どんな仕組が必要か。理想と現実を測りながら、大いなるエネルギーと時間を費やす仕事であり、それは、確かな国家観なくしては出来ないものだ。それを明治の人々は、村長から各界名士、政党まで、嬉々として試案を書き上げ、世に問うた。国造りにかける夢はそれほど大きかった。国民的議論となって沸騰した憲法論議の帰着点として、明治の人々は議会開設を待ち望んだ。どれほど待ち望んだか。32万人が署名したのだ。この数字の意味を、江村氏が前掲書で解説している。
「(当時は)現在の約三分の一の人口、一戸一人の署名、女性参加の社会的制約、交通・通信の不便などを考慮すれば、三十二万人弱という署名数は、現代の約三千万人くらいに相当する」と。
今回の国民投票法では、前述のように憲法改正の発議権が二つの政党に事実上、限られた。一般国民にも、国民の代表である政治家一人ひとりにも、発議権はない。しかし、多くの人が改正に思いを巡らし、多くの改正案をあたためているのではないのか。
゛政官〟攻防の歴史
国民投票法の施行は、3年先だ。その間に、国民各界各層、政治家各人が案を出し合い、熱い論議を重ねることを可能にすべきだ。100人や50人の賛成が必要な、いわば団体としての発議でなければ受理さえされない仕組では、一人ひとりが憲法について考えようという意欲も減退しかねない。自分が考えなくとも、党がまとめてくれるからそれに乗ればよいと考える政治家も出てくると思われる。
このように、100人、50人の要件は闊達な論議を鎮静化させる効果を持つ。それはまた個々の政治家に発議権を与えたくない官僚の企みにも思える。
そもそもアジアで初めて、憲法を定め、議会を開設した日本だが、その近代化の歩みは官僚主義の濃い影を宿していた。時の首相黒田清隆は、憲法発布の翌日、こう述べた。
「政党なるものの社会に存立するはまた情勢の免れざるところなり、然れども政府は常に一定の方向を取り、超然として政党の外に立ち、至公至正の道に居らざるべからず」
黒田の演説は「超然主義」という言葉を生んだ。それは統治者は政党や政治家に左右されてはならないということに尽き、国政の統治者は官僚であるということだ。政治は政治家に任せてはならず、天皇の官僚たちが統治すればよいという官僚至上主義、官僚中心主義である。
官僚主義は日本の政治風土を濃密に染め上げ、明治から昭和の敗戦まで、初代の伊藤博文以下、42代29人の首相が誕生したなか、選挙で選ばれ首相となったのは原敬、濱口雄幸、犬養毅の3名にとどまった(『政官攻防史』金子仁洋、文春新書)。
上の3首相はテロに斃れたが、金子氏は3名の共通項を「『官』の牙城を崩して『政』の統治領域を拡げようとした」と分析する。
官僚支配の構造は明治憲法の規定にも明確だ。政治評論家の屋山太郎氏が語る。
「明治憲法第54条に政府委員制度が規定されています。政府委員は即ち官僚のことです。国務大臣と政府委員は随時、国会に出席し、発言し得る、とされ、彼らは、大臣と同格の地位を与えられているのです。議会誕生以前から統治に関わってきた彼らは、あらゆる意味で、選挙によって選ばれた政治家よりも統治の詳細について知っていたのです」
政と官の攻防は、当初から官が優勢だった。議会開設以前から、政治に携わってきた゛官僚〟たち、彼らを軸とする統治の仕組は坂本龍馬らが古代日本の官僚制、太政官制度を下敷きとして編み出した。
官僚支配の改憲を許すな
これを変えようとしたのが、日本の全過去を否定した米占領軍である。彼らは現行憲法でこの官僚主義を排除し、政府委員についての規定も払い去った。ところが、官僚たちは甦ったのだ。国会法第69条第2項で゛内閣は、国会において国務大臣を補佐するため、両議院の議長の承認を得て政府委員を任命することができる〟旨、定めるのに成功した。
屋山氏が指摘した。
「かつては国会で質問された大臣が『それは大変重要な問題なので政府委員に答弁させます』などと答えるケースもあったのです。1~2年で交代する大臣が官僚に頼らざるを得ない状況はありますが、それにしても、重要事は官僚に任せるという考え方が伝統的に根強かったのです」
政官攻防の構図のなかで、政治家の劣勢は続き、他方、官僚は政治家に劣勢を感じさせないように巧みに補佐することで彼らを操ってきた。
この官僚支配と現在進行中の憲法改正作業はどう結びつくのか。前述のように、衆議院、或いは参議院で100名、50名の賛同者なしには発議出来ないとなれば、憲法改正は団体戦でしか闘えないということだ。多くの議員に支持される改正案でなければならない。それは各条文間に齟齬がないという意味で完璧なバランスがとれていなければならず、内容はより多くの、恐らく価値観も異なる政党や、信条の異なる人々にも受け入れられる平均的なものでなければならない。各議員が発議権を行使する場合の改正案とは、自ずと異なる内容になるだろう。現に、自民党の改正案は、現行憲法よりも尚、味も素気もなく、魅力のうすいものだ。平均的な考え、平均的な文章作りは妥協をはかる政治家や官僚たちの得意技である。
安倍晋三首相は、国民投票法の成立をうけて、自民党憲法草案の見直しを示唆した。その決意が党内外の闊達な議論と、幅広い国民の参加を促すことを期待したい。また、国家のあるべき形を求めるよりも摩擦の少ない平均値を求める官僚主義の排除にもつながることを期待するのである。