「 『国歌を歌うのが恥ずかしい』状況が物語る異様な日本の教育現場 」
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 681
最高裁判所は2月27日、市立小学校入学式で「君が代」のピアノ伴奏を命じられて拒否し、懲戒処分を受けて提訴した女性教諭の訴えを棄却した。
これは東京都日野市の小学校で発生した問題で、音楽科の女性教諭は「君が代」は「日本のアジア侵略と結び付いて」おり、そのような歌は「斉唱も伴奏も出来ない」と主張した。校長による伴奏命令は、彼女の思想・信条・良心の自由を侵害し、憲法に違反するとの訴えだ。
最高裁は、校長命は女性教諭の歴史観を否定するものではなく、学校が式典において国歌斉唱を行うと決めた以上、音楽教諭に伴奏させることは「きわめて合理的」で、憲法に違反するものでもないとした。その判断はきわめて真っ当で、評価する。その一方で、今、私たちは教育現場でまかり通っている驚くべき価値観に、あらためて目を向ける必要がある。
大分県は革新勢力が強いことが一つの特徴であるが、教育現場での偏った教え方に危機感を抱いた父兄らが、約1年前に「大分県民間教育臨調」を結成した。約80人のメンバーが手分けして、県下の公立小中学校の卒業式の様子を調査した。そこでわかったことは、式典で、全員もしくは大部分の教師が「君が代」を斉唱するのは、小学校で5校(全体の7%)、中学校で2校(7%)だった。最も多いのは、校長などの「管理職以外は全員斉唱しない」ケースで、小学校で実に70%、中学校で50%に上った。総括すれば、93%の小中学校で、教師はほとんど歌っていないのである。
そのような学校で、教師が生徒児童に「君が代」を教えることは、およそ考えられない。学習指導要領では、どの学年においても教えなければならないことになっているが、明らかに教師たちは学習指導要領に違反しているわけだ。「君が代」を教えてもらえない生徒児童は、結果として、式典では歌わない。というより歌えない。子どもたちはそのまま、自分の国の国歌を知らずに卒業していくことになる。
こうした点に親たちはどう対処するのか。各種の調査結果は、保護者側にあるのは強い危機感というより、戸惑いであることを示している。大分県の民間臨調の調査には、そんな保護者らの様子が報告されている。
国歌斉唱のとき、保護者らは当初歌おうとするのだが、口を閉ざして沈黙する教師たちと、歌おうにも歌詞も知らずに歌えないでいる子どもたちを前に、声が次第に小さくなるというのだ。
「国歌を歌うことが恥ずかしい」状況のなかで、自分はどうすべきか、戸惑ったというわけだ。
こうした学校ではもちろん、教師によるピアノ伴奏などは望むべくもない。そこで校長は何をするか。音楽テープを使うのである。伴奏のみならず、歌声まで録音されたテープを流すのだ。大分県の場合、小学校の88%、中学校の89%がこの方法を採っている。かくして、これらの学校での卒業式では、テープが奏でる「君が代」が、校長らわずか数人の声とともに響き渡る。その一方で、教師も生徒児童も押し黙って気まずい数分間を過ごすのだ。様子を見守る保護者らの、不安と戸惑いの表情さえ目に浮かんでくる。
多くの教育現場で、こんな異様な雰囲気が「君が代」をめぐって生み出されているのが、今の日本なのである。
教育基本法が改正され、「わが国と郷土を愛する態度」が大事とされた。教育再生会議での議論を受け、安倍晋三首相は、現場の教師たちの資格をしっかりと見ていくことによって、優れた教師を評価するとともに、資格に欠ける教師は教育現場を去ってもらう方針だ。「君が代」に関していえば、戦争と結び付けて歌自体を非難するより、戦争のさまざまな側面、そのなかでの当時の国民の思いや暮らしを丹念に語り聞かせるような教育こそが望ましい。
これが教育者の姿か
さてもう一つ、大手メディアでは余り報道されていない様なのでこれは伝えねばなるまい。
このほど日教組(日本教職員組合)は、教育基本法改正「阻止」に…
トラックバック by 徒然の陣(仮題) — 2007年05月26日 13:01