「 『教育』が危ない 」
『週刊新潮』 2007年3月1日号
日本ルネッサンス 第253回
[拡大版] 第一回 現代のアンタッチャブル「教育局」の重罪
安倍晋三首相が内閣の最重要課題と位置づける教育再生は、巨大な官僚組織との戦いである。だれも責任を取らない悪しき慣例主義に沈み込んだ小官僚集団を変えていくことが、教育再生の鍵となる。
後に詳述するが、教育を実際に動かしているのは各自治体の「教育局」である。自治体によって、「教育庁」或いは「教育委員会事務局」とも呼ばれるこの組織は、膨大な職員に支えられ、彼らが上げる情報によって教育委員会の決断が左右される。
教育改革で、着実に成果を上げてきた埼玉県知事の上田清司氏は、教育局こそが問題だと語る。
「たとえば5年に一度の教科書採択問題です。彼らは7~8種類の教科書の評価を教育委員らに資料として渡します。そこに日教組の価値観が反映されるという問題以前に、彼らはなんと、昭和39年の教科書評価の枠組みをほぼそのまま使っているのです。40年以上、前例に倣(なら)い、慣例に従う精神の停滞振りです」
その結果、どの社のどの教科書の評価にも判で押したように「印刷は鮮明」「製本は堅牢」などと書き込まれることになる。物がなく、技術の遅れていた時代には、たしかに印刷や製本の質も教科書選びの重要ポイントだっただろう。が、現在はこんな項目を立てる必要はないのだ。
一事が万事、この調子で教育現場の悲惨な状況も教育局の事なかれ主義で薄められ、巧みに隠されていくと知事は語る。
「県立高校の事例ですが、学校によっては中途退学者が非常に多い。約200名の入学者が卒業時には約100名しかおらず、退学率は実に50%。しかし教育局の報告では退学率は17%。なぜ、そうなるのかと質すと、文部科学省の計算方法では3年の平均値を出すのでそうなるのだ、と言い訳しました」
つまりこういうことだ。高校は定員を満たそうとして学力や学ぶ意欲がなくても大量の生徒を入学させるために、1年生段階で多数の退学者が出る。それを仮に45%とする。1年の段階で多数が退学したあとは、通常、2年、3年次の退学者は少ない。それを仮に3%、2%とする。教育局はこれらの数字を足した50%を3年で割って平均値にして報告するのだ。
「私は教育局の部課長らに問いました。200名中100名しか卒業しなければ退学率は50%じゃないか。埼玉県知事と文科省の計算方法のどちらが実態を正しく伝えているかと。答えは明白。私の方が正しいのです。こんな小細工を弄して彼らは劣化した教育の実態を隠すのです」
教育局が教育にもたらす負の影響は実は極めて深刻なのだが、それにしても、なぜ教育局は教育全体を左右する強大な力を持てるのか。埼玉県を含め、各都道府県の教育委員会の委員は5人、教育長を加えて6人だ。教育委員は全員が非常勤、月1回、半日だけの委員会が開かれる。対して教育委員会を支える事務局、つまり、教育局の課と室の数は、埼玉県の場合、17にのぼり、図書館や美術館を加えると職員は800人を超える。
「教育局はこれだけの巨大組織でありながら、知事権限が及ばない独立行政委員会です。知事の権限は予算の決定と教育委員の任命に限られています」と上田知事。
あらゆる権限は「教育局」に
九里学園理事長で埼玉県教育委員会の元指導主事の九里幾久雄氏も強調した。
「教育局のトップの教育長は教育委員会の事務局長でもあります。教育委員会のメンバーと教育長の力の差は余りに大きい。教育委員の5人は非常勤であるので月に一度の会議に出るだけ。対して800名の事務局職員はフルタイムで働いており、その代表が教育長なのですから」
教育行政のプロとしての教育局や教育長と較べて、教育委員は素人だ。彼らは知事などの首長に任命されるが、実際には枠が決まっていて、首長の思い通りになるわけでもない。例えば、委員5人の内2人は女性枠で、PTA連合会や各種の女性団体の幹部が選ばれがちだ。残り3人の内1人は学識経験者で自由業の医師や弁護士が選ばれ易い。残りは小中学校の元校長と高校の元校長という具合だ。
素人集団になりがちな彼らを支える教育局の闇を暴かない限り問題は解決されない、と強調する九里氏は、そもそも教育委員会の権限の強大さをだれも十分には認識していない、と嘆く。
「教育三法のひとつ、『地方教育行政の組織及び運営に関する法律』、通称『地教行法』が教育委員会に関する法律です。その第23条には教育委の職務権限について19項目の規定があり、内容がもの凄い。第1項は『学校その他の教育機関の設置、管理及び廃止に関すること』で、学校に関する殆ど全ての業務、権限が教育委員会にあるのです。第3項は『学校その他の教育機関の職員の任免その他の人事に関すること』で、小中高、特殊学校、大学など、埼玉県でいえば校長以下新任教員まで4万人以上の人事権を教育委員会が持つのです。この他、第23条によってあらゆる権限が教育委員会に付与されています」
埼玉県立近代美術館にある横山大観の絵、数千万円級のこれらの絵画購入決定権も教育委にある。だが、決めるのは、表向き教育委であっても、背後で決定を下すのは教育局だ。如何に教育局の考えが各種の決定に反映されるか、教科書採択の事例に沿って見てみる。
「たしかに教科書採択は教育委に与えられた法的権限です。しかし、全教科書に目を通す暇もない忙しい彼らの下に調査委員会が設けられ、そこに各教科5人ずつ委員が入ります。校長、教頭各1人に教師3人です」と九里氏。
中学で教えるのは9科目、調査委員は45人の教員たちだ。教科書はあらかじめ彼らが選ぶが、なんとこの下にさらに、教職員組合など゛現場の声〟を反映させる学校票の存在がある。
「文科省と日教組の対立の折衷案として出来た仕組みで、一つの地区に30校あれば、その地区には教科書選定について30票あることを意味します。仮に29票がA社の歴史教科書に入った場合、それを参考意見にすぎないといって教育委員会が覆すことは難しい。他にもかつては彼らは絞り込みという方法もとりました。調査委員会が学校票を基に、7~8社の教科書の内、1位から3位の教科書のみを教育委員会に答申します。教育委員会は4位以下の教科書を検討さえ出来ない。明らかに不法行為ですが、こんな方法も罷り通っていたのです」と九里氏は語る。
教科書採択も゛操作″
さらに重要なことは、このプロセスに、実は教育局が深く関わり、教育局の考え方に沿わない教科書は決して採択させない仕組みになっていることだ。再び九里氏が説明する。
「教育局は人事を介して教科書採択を遠隔操作します。教育局には指導課があり、英語なら英語、国語なら国語というように各教科担当の指導主事がいます。この指導主事が調査委員会の5人のメンバーを選ぶのです」
綿密に練り上げられた仕組みのなかで、各教科書は教育局によって評価、吟味され選ばれるわけだ。九里氏は、県教育局の指導課と、県の出先機関である各教育事務所の指導課、そして市町村の指導課は皆連携していると指摘する。
「彼らは皆、役所や出身校で先輩後輩の間柄です。この種の関係を保持しなければ仕事が出来なくなるのが役所の世界。だからこそ、埼玉県では採択地区が14あったにも拘らず、中学の歴史教科書は全て東京書籍のものになってしまうのです」
教育委員会の強大な権限を定めた先述の地教行法第23条19項目のなかで、調査委員会や学校票などの二重三重の縛りの構造が作られているのは教科書採択に関してのみだ。それだけ日教組などが現場の声の重視を求めているともいえる。
他方で、それは必ずしも日教組の声を反映させているのではなく、事なかれ主義の教育局の声を反映するものともいえる。教育局がより良い教育の実現を目指すという本来の責務から外れて、いかに小官僚の身すぎ世すぎの糧を担保する機関になり果てていることか。鎌倉市議会議員を4期16年務めた伊藤玲子氏が語る。
「教育局には一般行政職もいますが、指導課長、教職員課長、指導主事などは組合の推薦で送り込まれた教員が大半です。その結果、教育局の約半分は教師で、次期校長や教頭の候補者です。彼らは校長などになって現場に戻るとき、組合から足を引っ張られるようなことはしません。組合の恥部を隠し、教育の改善よりも自分の次のポストに備えて足元を固めるのです」
全国的に日教組の組織率が下落するなか、神奈川県は未だに60%、鎌倉市は90%だ。教育問題に取り組んだ伊藤氏は平成10年、鎌倉市立16小学校の196の普通学級を調査した。
「分かったのは、年間34から35時間と学習指導要領で定められている道徳の授業が置き去りにされていることでした。4月から7月までの14週で規定どおりに道徳教育を行っていたのはわずか1クラス、あとは大幅に少ない時間か全く教えていなかった。日教組の教師たちは道徳の授業をしたくないのです」
氏は県教委に訴えたが、何も変わらなかった。
「それもその筈です。県教育局の指導主事は2年後、県内の中学校校長に栄転、その後県教育局に戻り、義務教育課長に就任。教育局は日教組の温床になっているのです」と手厳しい。
教育崩壊の元凶にメスを
慶応義塾大学名誉教授の堀江湛氏は、占領政策の一環として導入された教育委員会制度の歪みを指摘する。
「日本の中央集権的な教育を廃止して、地方自治を促進する教育制度を作ろうと導入されたのが教育委員会制度でした。しかし、市町村が反発しました。戦中は全ての小学校が都道府県立だったのが、市町村に教育委員会が設けられ、教育費用は各地域の負担とされたからです。そこで文部省は市町村の財政負担をなくし、教員給与の半分を国、残りを都道府県の負担としました。負担の増えた都道府県には教員の人事権を与えて宥めたのです。都道府県の教育委員会はこうして人事権を握り、教師は皆、実質的な人事権を持つ教育局や教育長の顔色を窺うようになったのです」
米国では連邦政府が出来る前に州が形成された。新天地を切り拓き自分たちの生活基盤を守り抜くために教育が重視され、教育委員会制度が考案された。それは紛れもない地方自治の柱だった。草の根生まれの米国の教育委員会制度は米国でこそ、長所を発揮する。けれど、日本に導入されたとき、一斉に市町村が反発したように、日本にはそぐわない面が多々あった。それでも文部省は、市町村を宥め、県を宥め、日本の実情と占領行政の辻褄合わせに走った。その結果出来上がったのが、「現代のアンタッチャブル」と上田知事が語る教育委員会の裏組織としての教育局だ。身内の失敗、教育の質の低下、いじめの横行、不登校の増加。そこではあらゆる負の情報が薄められ隠され、特定の教科書や科目も排除されていく。かくして教育局は日教組の価値観の横行をさらに許し、教員の立身出世を優先する組織となり果てる。
安倍内閣の教育再生会議の第一次報告は、教育委員会の権限見直しや第三者機関による外部評価などを提言した。すると政府の規制改革会議から、文科省の権限の拡大につながるとの批判が噴き出した。だが、双方ともに、教育委員会だけを見ていては真の教育再生には到らない。教育における悪行の温床ともなっているのが、教育局だ。教育局の闇を切り裂き、光を入れることなくして教育の再生はあり得ないのだ。