「 中国残留孤児がなぜ生まれたか 今語ることこそ真の歴史教育になる 」
1月31日、安倍晋三首相は“中国残留孤児”の代表らと会い、「法律的な問題や裁判とは別に、新たな対応を考える」と述べ、彼らの置かれた苦難の状況に、政治的判断で支援の手を差し伸べる決意を語った。
全国15地方裁判所で約2,200人の“孤児”が、遅過ぎた帰国が彼らの現在の苦況の原因だとして、政府に一人当たり3,300万円の損害賠償を求めるべく集団提訴しており、首都圏の40人に対する判決が、1月30日に東京地裁で出されたのだ。彼らの請求は棄却されたが、翌31日、安倍首相は前述のように、政治判断で彼らへの支援策を約束した。“孤児”代表が安倍首相との対面後、「地獄に落とされた気持ちだったけれど、今は、天国にいるような思いです」と笑顔を見せた。
首相判断を高く評価するとともに、“残留孤児”に対するこれまでの日本政府の冷たい姿勢を思い出さずにいられない。肉親探しで来日する彼らは、代々木のオリンピック青少年センターに迎えられる。そこが彼らの宿舎であり、訪問者との対面の場でもある。
だが、取材するたびに、私には納得のいかないことが多かった。たとえば彼らに出される食事は、冷え切った弁当だった。訪れる人を待つ待合室の椅子は、硬く冷たいパイプ椅子だった。敗戦の混乱の最中、中国に取り残され、何十年も過ぎてようやく帰国した大切な日本国民に対し、祖国として、なぜもっと心のこもった遇し方が出来ないのかと、私は憤った。
“孤児”の自立支援プログラムの内容も貧しかった。何ヵ月か日本語を学ばせた後、基本的に自立させるのだが、彼らが中国で取得した資格は日本では認められないのだ。教員も医師も調理師も整体師も、すべて一から日本語で勉強し、日本の資格を取らなければならない。せめて、特例が認められないものかと思うことは非常に多かった。
“帰国孤児”の多くが貧しい生活と老後への不安のただ中にあるとき、彼らの将来を安寧にするための政治的措置を講ずるという首相判断はきわめて正しいのだが、指摘しておきたい点もある。安倍総理は、日本国の首相として、“中国残留孤児”の歴史を国民に語るべきだという点だ。なぜ、“残留孤児”が生まれたのか。なぜ、万単位の日本の親たちが、自分の命よりも愛しいわが子らを中国に置いてきたのか。そうしたことについての歴史の背景、日本が体験した苦難を、具体的に国民に語ってみてはどうか。
周知のように、1945年8月9日、旧ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、突如ソ満国境から襲いかかった。まさに驚天動地の攻撃だった。旧満州には155万人の日本人が居住していたが、日本人の家々からはあらゆる金品が強奪され、女性たちは強姦され、そのため自決する女性が相次いだ。戦車とともに南下し続ける旧ソ連軍の追跡に、母親たちはとうてい逃げ切れないこと、子どもを連れて逃げれば、子どもたちを死なせてしまうことを悟った。だからこそ、せめて子どもが生き残れるようにと、血の涙を流す思いで現地の人びとに預けてきた。その子たちが“残留孤児”である。
旧ソ連軍はさらに、60万人の日本の軍人をシベリアに連行したと私たちは教わった。しかし、平和祈念事業特別基金の戦後強制抑留史編纂委員会の調査では、抑留された軍人は70万人から80万人、死者は10万人に上るという。旧ソ連軍は8月28日に北方領土に上陸、9月5日までに全島を奪い終えた。日本の降伏後に違法に盗んだ四島を、今プーチン政権は国際法上適切に取得したと厚顔にも主張する。
安倍首相は、“孤児”たちを生んだ歴史の背景を語り、政府として思いも力も足りず、“孤児”たちに苦労をかけたことを詫び、彼らの苦労を労(ねぎら)ってほしい。そうした語りかけこそが、真の歴史教育になるのだ。
NO MORE N.Y.T& Chinese Communist Propaganda!
N.Y.T は、 真実に基づかない 中国共産党のプロパガンダ を啓蒙し、
金儲けの為 に、
日本と、侵略され続ける他のアジア諸国 を
売り飛ばす つもりな…
トラックバック by Izakent — 2007年03月10日 12:13
不都合な真実5
やっぱりアメリカ版紅の傭兵。ヨウヘイヘーイ囹
トラックバック by 神のいどころ — 2007年03月16日 21:21