「 沖縄知事選、自民党は勝ったのか 」
『週刊新潮』 '06年11月30日号
日本ルネッサンス 第241回
11月19日に行われた沖縄県知事選挙は、自民・公明両党の推薦する仲井真弘多(なかいま・ひろかず)氏が接戦を制した。同選挙から読みとれるのは、敗北した民主、勝利した自民、両党を蝕む危機である。
仲井真氏に、敗れたとはいえ約3万7,000票差で迫ったのは糸数慶子氏だ。糸数氏を推したのは民主党を筆頭に社民党、沖縄社会大衆党、共産党、自由連合、国民新党、新党日本、そうぞうの8組織である。
民主党は共産党とまで組むのかと批判されたように、糸数陣営は沖縄の最左翼政党・社大党を含めて、左に手を広げた態勢で臨んだ。
糸数氏は米軍基地のある読谷(よみたん)村で生まれ、高校を卒業後、沖縄バスや東陽バスに勤務、“沖縄戦争の悲惨さを訴え平和の大切さを説く”「平和バスガイド」を、40代まで長年にわたって務めた。92年県議に初当選、3期12年をすごし、04年の参議院選挙で野党統一候補として当選した無所属議員だった。
氏の政策の特徴は、普天間飛行場の移転先として、この10年来議論されてきた沖縄本島北部の辺野古沿岸への移転、及び新基地建設への絶対的反対だった。米軍基地は国外に移せと要求すると共に、日米両政府に普天間の即時閉鎖と返還を求めた。
糸数氏が当選すれば、ただでさえ難航してきた普天間移転計画は絶望的になりかねず、日米安保条約の根幹は揺らぎ、日本の安全保障は全面的な見直しを迫られる。中国の軍事的脅威が高まり、北朝鮮が核実験を強行する状況下、そのような事態はどうしても回避しなければならない。にもかかわらず、右のような政策を掲げる糸数氏を、民主党は責任政党として支援出来るのかとの疑問は誰しもが抱いたはずだ。
現に、民主党議員の間にも、とても本気で応援演説に行く気になれないという声は少なくなかった。糸数氏敗北の原因のひとつは、最大の支援政党である民主党の、本音部分でのこの消極さにあったのではないか。
支持された経済優先策
それにしても党の安全保障政策と基本的に異なる信条の候補者を選んで、民主党はどうするのか。沖縄県知事ポストは国の安全保障問題と表裏一体である。どんな人物を知事候補とするかは、党の安保政策の要である。糸数氏の敗北にほっと胸を撫でおろす声が、民主党内部にさえも聞かれるのは皮肉なことで、氏を擁立し、共産党と組んで戦った執行部には大きな責任がある。民主党は基本政策の再検討が必要であろう。
一方、自民党の問題も見えてきた。仲井真氏当選の要因のひとつは、氏の経済政策だ。産業を活性化し、7・8%の沖縄の完全失業率を全国平均並みの4・2%に引き下げる、新産業創出に向けて研究開発を進める、企業を誘致し、年間1,000万人の観光客を実現すると公約した。
沖縄電力社長として新規事業を展開し、成功した実績などで、氏の経済政策は有権者の期待につながった。そして、こうした経済政策が基地問題と密接につながっていることを、沖縄県人は本音部分で認めている。沖縄県には、基地対策として年に100億円が、その他に事実上の振興策として年に約3,000億円が支払われる。これは普天間飛行場の移設についての話し合いが始まって以来、ずっと実施されてきた。加えて道路建設などの補助率も、他県ではせいぜい50%前後なのに較べて、沖縄県は90%である。沖縄県の経済は実態として、基地問題、日本の安全保障問題と切り離せないのだ。
高市早苗沖縄担当大臣は10月21日、那覇市で記者会見し、歴代担当大臣としてはじめて率直に、北部振興策と普天間飛行場移設問題はリンクしていると語ったが、大臣発言の背景には右のような実態がある。
高市氏は「移設問題は全く進まないけれど、北部振興は国で受けますという形には、残念ながらならないと思う」とも述べたが、同発言に地元記者が「これまでの内閣府の方針から考えが変わったのか」と質問した。それほど、氏の発言は率直だったのであり、沖縄県民に基地問題と経済振興が事実上、一体化していることを実感させた。
選挙キャンペーンで、仲井真氏はとりたてて基地問題を論じはしなかったが、氏が普天間飛行場の県内移転に柔軟であることを、沖縄県民は承知しており、そのうえで氏の経済優先策が支持されたと見るべきだ。
自民党の未来は大丈夫か
沖縄経済の実情を踏まえたうえでの現実的な経済政策に加えて、仲井真氏勝利にはもうひとつ重要な要素があった。公明党である。現地の保守系支持者が語った。
「公明党の力は大きかった。ところによって、半分以上が公明党の力のようなものです。対して自民党はまとまりを欠き、力を出せなかった」
たとえば沖縄市だ。同市の市長選挙は06年4月、革新陣営の東門美津子氏が当選した。保守陣営の候補者は桑江朝千夫(さちお)氏だったが、県議の小渡亨(おどとおる)氏も市長選出馬の意欲を持っていたとみられている。西田健次郎という人物が桑江氏擁立で動き、複雑な関係のなかで桑江氏が市長候補に選ばれた。そのときのしこりが未だに解消されておらず、知事選挙では、沖縄市における仲井真氏支援の選挙対策本部はなんと、桑江、西田、小渡各氏による三つの本部が乱立した。
もう一例。浦添市長は儀間(ぎま)光男氏だが、氏は県知事選に意欲を燃やしていた。候補は今回当選した仲井真氏に一本化されはしたが、調整のしこりが残ったまま、選挙戦に突入。通常なら市長の下に置かれる選対本部が、商工会議所会頭の下に設置されるという異常事態となった。
先述の支持者が語る。
「最後には勝ちましたから、誰も文句は言いませんが、自民党員からみれば、一体党はどうなっているのかと思う状況でした。バラバラだった自民党とは対照的に、公明党が大きな力を発揮した印象は否めません」
11月5日、公明党は那覇市での決起集会で7,000人を動員、名護市でも少なくとも3,000人を集めた。自民党も11月13日には7,000人の決起集会を実現したが、それでも公明党と創価学会員の姿は、目立ち続けたという。
ベトナムでのAPEC首脳会議に出席した安倍晋三首相が選挙の勝利に関して喜びを表明したように、自民党にとっては、安堵すべき結果だった。96年に日米間で確約し日本政府が閣議決定した普天間飛行場の移設と、米軍再編を睨んだ日本の安全保障体制の見直しの第一歩となる沖縄県知事選挙での勝利を是としながらも、しかし、公明党との関係が自民党のアキレス腱になっていく予兆は強まる一方だ。来年の参院選挙で公明党と協力して再び自民党が勝つとしても、そのために自民党らしさが失われていくとしたら、長い目でみて、確実に、自民党の力は低下する。日本の未来にとってそれはとりかえしのつかない不幸である。