「 権力闘争でも不変、対日要求 」
『週刊新潮』 '06年10月5日号
日本ルネッサンス 第233回
中国国内の権力闘争がひとつの山場を迎えている。中国共産党が9月24日、上海市トップの陳良宇党政治局委員を解任したのだ。陳氏は江沢民前国家主席に連なる「上海閥」の有力メンバーの一人だ。この解任は胡錦濤国家主席が江氏一派の権力排除に向けて大きく動き出したことを意味する。
陳氏解任がいかに重大な意味を持つかは、中国共産党のここ10年ほどの人事抗争を振りかえれば明白だ。
周知のように江沢民氏は93年の全国人民代表大会で国家主席に選ばれた。だが彼は、89年に党総書記になったときも国家主席になったときも鄧小平の繰り人形にすぎなかった。そんな状況は、しかし、鄧氏の高齢化とともに変化する。鄧は94年までに認知症に陥り、97年に死去した。
江氏は、鄧小平の影響力残存を嫌い、鄧一派の排除に“汚職追放”の手を用いた。中国共産党は、かつての国民党と同じく、汚職にまみれた組織だ。どの人物もどの派閥も、叩けば必ず埃が出る。中国で政敵を追放するのに、汚職ほどおよそ万人に当てはまる好都合な材料はないのだ。
中国問題に詳しい東京新聞編集委員の清水美和氏が語る。
「江氏は鄧小平が目をかけた北京市の党委書記、陳希同をまず槍玉に挙げたのです。陳は党政治局委員という非常に高い地位にありました。江氏はこの高位の人間を摘発し、さらに陳の盟友で、鄧小平の国有企業改革の模範的ケースとされた首都鉄鋼のトップの周冠五を汚職で摘発しました。その息子の周北方も逮捕して死刑判決を出しました。死刑は執行しなかったけれど、これは関係者を震え上がらせた。周北方のビジネスパートナーは、鄧小平の息子だったのです」
これが95年のことだ。江氏はこうした形で鄧一族に“死の恐怖”を味わわせ沈黙させた。そして前述のように、鄧小平はなす術もなく、認知症のまま、97年2月に死去した。
繰り返される独裁の道
江氏は03年に胡氏に国家主席の地位を譲ったが、自分の手下を要所々々に置いて去った。前権力者とその係累を迫害した自らの行為の記憶は、後任者が自分にも同じことをするとの恐怖につながる。江氏は、自分と一族を守るために、中国共産党の最高権力集団である常務委員会に、呉邦国、賈慶林、曾慶紅、黄菊、李長春の5名の江人脈を残したのだ。常務委員会のメンバー数は9名、したがって5名は過半数だ。
胡氏は、国家主席に就任したものの、最高権力集団は5対4で江派の力が強い。胡氏は少数派であり続けた。にもかかわらず、今回、江派の陳良宇氏の解任が可能になったのは、江派実力者で国家副主席の曾慶紅氏が江氏と袂を分かち、胡氏と手を組んだからだと分析されている。
胡主席が自分の政治を行うには最高政策決定機関、党常務委員会の力関係を江派優勢から自派優勢に変えなければならない。でなければ、胡体制の安定はない。党人事は来年秋の全人代で山場を迎える。
党大会は地方代表の選出から始まる。つまり、党中央人事は地方党組織の人事から始まるわけだ。権力の構図を劇的に変えるという点で、上海市の陳氏解任は、かつて江氏が陳希同氏を槍玉に挙げたのに匹敵する意味がある。中国共産党内の前権力者を叩き潰す闘争は、同じパターンでまわっているのだ。
中国の権力闘争の結果は日中関係にも大きな変化を及ぼす。江政権が力を入れた反日教育、反日外交から、より柔軟な対日外交へと変化する可能性もある。小欄でも度々紹介してきたが胡政権誕生と同時期の03年に、中国共産党機関紙の『人民日報』論説部主任編集の馬立誠氏が、同年3月号の『文藝春秋』『中央公論』に論文を掲載した。ここには日本は「率直にアジアの誇りであると言える」と書かれている。また歴史問題について「日本の謝罪問題はすでに解決」とも書かれている。
歴史問題で日本を糾弾し続ける江沢民路線とは正反対の対日姿勢である。これは間違いなく、当時の胡政権の目指した外交だった。かといって胡主席が親日的だという意味ではない。ただ胡氏は、江政権のような対日強硬策では中国の国益は守り得ないことを知っているにすぎない。その意味では、胡氏が権力基盤を固めることが出来れば、対日外交も現実的に、よりスムーズに進めようとするだろう。そのとき、靖国神社参拝問題をはじめとする歴史問題は、解決済みの問題として静かに忘れ去られていく可能性が大きい。
但し、それは少なくとも来年秋の全人代で胡氏が権力基盤を固めたうえでのことだ。権力闘争の真っ只中にあるいま、日本に甘い顔を見せることは敵がつけ入る格好の隙となる。したがって、来年の全人代終了までは、日中関係が中国側から改善されることは期待出来ないだろう。
新政権は同じ轍を踏むな
安倍政権誕生と同時期、9月23日から都内で日中外務次官による総合政策対話が行われた。その場で中国側の代表、戴秉国次官が日中首脳会談再開の条件として安倍晋三新首相の「靖国神社参拝自粛の明言」を繰り返し求めたと報じられた。胡氏は、安倍氏に厳しい条件を課すことで軟弱外交との国内批判を回避したいのだ。
似た状況はかつてもあった。中曽根康弘氏と胡耀邦氏だ。対日宥和が過ぎたとして胡耀邦が攻撃され、中曽根氏は胡非難を鎮めるため、靖国神社参拝をやめた。中曽根氏は中国の政治家を救おうとして日本国の根幹を捨て去った。その後遺症を、いまも私たちは引き摺っている。
今回は同じ轍を踏んではならない。外務省と政界中枢部から、中国が日本の新政権に柔軟に対処する兆しありとして、それに呼応する動きがあるが、本末転倒である。忘れてはならないのは、胡主席は当分、絶対に日本に譲り得ない立場にいる点だ。権力闘争の最中で、弱点につながることを、胡主席がするはずはないのだ。
現に中国側は、友好的な雰囲気を保ちながらも、「徹底的な政治的障害の除去」という表現で、安倍新首相に参拝はしないと言明させようと躍起である。対して日本側は水面下で、少なくとも来年4月の春の例大祭までは参拝しないとの説明をしていると報じられた(『日経』9月26日)。
だが、そのような説明は逃げの姿勢である。「政治的障害」は中国が作り出した。そのことを中国に思い出してもらわなければならない。彼らがいま問題にする“A級戦犯の合祀”も首相参拝も、当初、中国政府は全く問題にせず、反対に、日本は防衛費をGNPの2%に倍増して軍事大国になるべしと主張していたことも思い出してもらうことだ。
中国の国内権力闘争をしっかり見詰めれば、日本の対中外交は今が踏ん張り処だとわかってくるはずだ。
refinance mortgage
a_Ya__a_
トラックバック by refinance mortgage — 2006年12月11日 15:30