「 何が原因なのか、日本のBSE 」
『週刊新潮』 '06年2月23日号
日本ルネッサンス 第203回
日本の食品安全政策は、少なくともBSEに関する限り、不正直で非科学的だ。そのことを再確認させるのが、北海道BSE対策本部の発表である。同対策本部は2月9日、国内で22頭目のBSE感染牛に肉骨粉が給与されていたことを強調、これは直ちに「22頭目BSE牛飼料に肉骨粉」「国内初の確認」などと報じられた。
だが、彼らは故意か偶然か、大きな要因を見逃し、結果としてBSEの真の原因を再び隠したことになる。
22頭目の感染牛は北海道根室管内の農場で2000年9月1日に生れた。対策本部は感染牛に与えられた飼料に関して「補助飼料一品目に家禽、豚、牛由来のミートボーンミール(肉骨粉)及び牛、豚由来の血粉が含まれていた」と説明した。
この農場に尋ねると、問題の牛は生後71日目から約8か月間、2001年春まで肉骨粉を与えられていた。日本のBSE感染牛第一号の発見は2001年8月であり、当時はまだ、肉骨粉の使用は禁じられていなかったのだ。農水省が肉骨粉の使用を禁止したのは2001年9月18日の省令によってである。このとき農水省は肉骨粉の使用状況について調査し、全国で165戸の農家が肉骨粉を使用していたと自主申告、彼らの飼育牛は5,129頭にのぼった。今回の農場もその内の一軒である。
農水省はこれら全ての肉骨粉給与農家と給与牛を監視下に置き、許可なしに牛を移動させることを禁じ、BSE感染牛が確認されれば、同居牛の全てを殺処分するとした。
だが、不思議なことがある。22頭目の感染牛が「肉骨粉使用、初の事例」と報じられたように、21頭目まではどの牛にも肉骨粉は与えられていなかったのだ。肉骨粉が原因とされながら、肉骨粉を与えられたことのない牛ばかりが感染した。つまり、日本のBSEの原因は他にあると考えざるを得ない。事実、感染牛全てに共通するのは代用乳である。
高まる代用乳への疑惑
人間でいえば粉ミルクに相当する代用乳は、子牛の誕生後3~4日目から、多少の幅はあるが生後70日目頃まで与えられる。今回の感染牛は生後71日目から肉骨粉を与えられていたと発表されたが、70日目までは、代用乳で育てられたのだ。
代用乳は22頭の感染牛の全てに与えられており、その内の1頭を除く21頭に全国農業協同組合連合会(全農)の子会社、科学飼料研究所の高崎工場が生産した「ミルフードAスーパー」という代用乳が与えられていた。例外は21頭目の感染牛だけで、この牛は全国酪農業協同組合連合会(全酪連)系列のサツラク農業協同組合製造の代用乳を与えられていた。
ミルフードAスーパーにはBSE発生国のオランダ産の粉末油脂が入っており、農水省は2度にわたって職員をオランダに派遣し、調査した。だが結果は代用乳中の油脂にBSEをひきおこす異常プリオンが混入していたか否かは不明というものだった。他方、21頭目に与えられていた代用乳中の動物油脂がどこから輸入されたものかは確認されていない。
再度強調したいのは、22頭目を除けば、日本のBSE感染牛は肉骨粉を与えられていなかった点だ。
そこで22頭目の牛に与えられた肉骨粉を調べてみた。それは札幌近郊の小部産業が製造した肉骨粉を、同じく地元の丹波屋という飼料会社が配合飼料の原料として販売したものだった。原材料含め全て純国産だ。もしこれがBSEの原因なら、恐るべき事態が進行していたことになる。ウイリアムマイナー農業研究所日本代表の伊藤紘一氏が指摘した。
「仮に純国産の肉骨粉が原因なら、2000年時点ですでに日本でBSEの原因のプリオンが循環サイクルに入っていたことになり、これこそ大事件です。BSEの裾野が想像をはるかに超えて広がっていたことを意味するからです。しかし、状況証拠から見て、肉骨粉が日本のBSEの原因だとは思えない。原因はむしろ代用乳に焦点を絞って疫学調査等を行い、特定すべきです」
氏は、19頭目までの感染牛の生年が95年から96年に、発生地域も東日本に集中している点を指摘して、高崎工場で製造された代用乳の特定のロットにBSEの感染因子が混入していたのではないかと推測する。
感染牛は闇に消された
2000年生れの20頭目以降の牛も外国由来の動物油脂入りの代用乳で育った。しかも、1頭を除く全てがミルフードAスーパーだ。疫学上これほど明らかな原因因子が透視されるにもかかわらず、農水省は代用乳を問題にしない。なぜか。
代用乳給与牛の数は、肉骨粉給与牛とは比較にならない。肉骨粉給与牛は全国の牛、450万頭中、把握されているだけでも5,000頭余りだ。代用乳給与牛は軽く100万頭を超える。それら全ての牛が疑われればどうなるか。BSE感染牛が発見された2001年当時、消費者はパニックに陥り、政府は国民を安心させるためにも厳しく対応した。
たとえ1頭でも感染牛が出ると、農場の全ての牛を処分する決定だ。飼育牛を全て殺され、絶望して自殺した酪農家がいたことを私たちは忘れてはならない。今回22頭目を出した農家も、同じ時期に飼育した44頭全てを焼却された。しかし、44頭は全てBSEには陰性反応を示した。つまり感染していなかった。
1頭の感染で全頭を処分する必要はないのだ。BSEは水平感染(同居牛に感染)も、また垂直感染(母牛から子牛に感染)もしないことは、科学的に確認されている。だからこそ、処分はBSE感染の兆候をみせた牛に限ればよい。が、政府は、全頭処分の厳しい手を打った。科学的というより、消費者を安心させるための政治的手法ではある。
但し、処分の対象は代用乳給与牛ではなく、肉骨粉給与牛とされた。代用乳育ちの百万頭単位の牛を処分すれば日本の酪農は消滅する。頭数5,000余頭の肉骨粉給与牛ならば、犠牲も被害も一部で済む。こうした計算が働いたのではないか。
日本のBSE感染牛は22頭よりはるかに多く、それらの牛は闇から闇に消されていったと考えざるを得ない。その手口が、レンダリング(斃獣処理)と呼ばれる、病死牛などの焼却処分だ。政府はいわゆる全頭検査を2001年10月に開始したが、病死牛のBSE感染は全く調査しなかった。病死牛の感染率は健康牛のそれよりも30倍(EU)から68倍(アイルランド)も高いのに、である。検査なしで疑わしい牛を極秘裡に処分する抜け道を作ったのだ。病死牛のBSE検査は健康牛の検査より1年半遅れて2003年4月1日に開始された。多くの疑わしい牛はその間に焼却されたと考えるべきだろう。
一連の不自然、不合理な政策を見るとき、今回の“肉骨粉”の発表も疑わざるを得ない。日本のBSEの真の原因は、全農傘下の子会社などが作った代用乳だと思えてならない。
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今朝はうれしい。皆様聞えますか??春ですね。寒い安曇野にも春が来た!!何年ぶりかで我が家にウグイスが来ました。なぜ今まで来なかったの??ここで巣立った赤ち…
トラックバック by 家庭で出来るできる味噌仕込み — 2006年04月21日 17:25