「 『個人的怨念』で反日左翼路線を突き進む『盧政権』 」
『週刊新潮』 '05年2月24日号
日本ルネッサンス 拡大版 第154回
特集 「韓国」最新レポート (後編)
盧武鉉大統領は“恨の国”韓国の、“恨(ハン)の人”である。彼の下で韓国はいま、これまでの韓国を作りあげてきた人々と彼らを支えた価値観を全否定し、新たな社会主義的国家を築こうとしている。米国との協力よりも民族協調が大事だと主張して、盧武鉉大統領は反米親北路線をとり続ける。鋭く切り込む取材で次々とスクープをとばしつつ、烈しい政権批判を展開してきた『月刊朝鮮』の社長で現役記者でもある趙甲済(チョカプチェ)氏は、盧武鉉大統領と金正日は左派統一戦線を構成しているのだと語る。
「2つの左派政権が、南北2つの国の国民と戦っているのです。韓半島に生れた南北を網羅する左派政権のヘゲモニーは、北朝鮮の金正日が握っています。国民の側のヘゲモニーは、本来なら野党ハンナラ党が握っていなければならないのに、不幸にもそれは出来ていません。国民の側には司令塔が存在しないのです」
政権の左翼的暴走に歯止めをかける力が、国民の側に育っていないいま、盧武鉉大統領の無血革命と呼ばれる動きは、着実に深く進行中である。
盧武鉉政権は昨年、時代に逆行するメディア規制法を成立させた。これは盧武鉉大統領の4大改革と呼ばれる法案のひとつであり、残りの3つの法案はこれからの政治日程のなかで実現されていくとみられている。
それらは過去清算法、私立学校改革法、国家保安法の廃止である。
一連の法改革が目指すものは、過去清算法と対をなす法律で、昨年3月5日に成立済みの「日帝強占下強制動員被害真相究明等に関する特別法」(以下「特別法」)から、見えてくる。
同法を読むと盧武鉉大統領が過去の歴史を徹底的に洗い出し、見直す構えであるのが見てとれる。大統領はかつて、日本に対して、過去の歴史問題を持ち出すよりは未来志向でありたいと述べた。だが、この法律制定のなかに厳然と示されているのは、自身の言葉と全く相反する恨みに満ちた歴史へのこだわりである。
「特別法」第1条は、同法の目的として、「日帝強占下強制動員被害の真相を究明し、歴史の真実を明らかにすること」と定められている。具体的には「満州事変以降、太平洋戦争に至る時期に日帝により強制動員され、軍人、軍属、労務者、軍慰安婦などの生活を強いられた者が被った生命、身体、財産などの被害」(第2条①)を洗い出すのだ。
そのために国務総理の下に「真相究明委員会」を置き(第3条①)「委員長は大統領が任命する」(第4条③)。
また右の委員会の下に各道、各市に実務委員会を設置(第11条①)して、地方自治体は実務委員会に必要な人員を派遣する(第11条③)となっている。
この委員会は「外国政府及び外国の公共機関に対して資料公開を要請することが出来」(第15条⑦)、「日帝強占下強制動員被害の真相を明かす証拠、資料などを発見または提出した者に必要な報奨または支援をすることが出来る」(第18条④)そうだ。
つまり、同法の目的は過去の日本統治の歴史の暗部をえぐり出すことなのだ。それは必然的に、日本に協力した韓国人、いわゆる保守派の糾弾につながる。彼らこそは盧武鉉大統領と対立する勢力であり、この法改正は、歴史見直しの国家プロジェクトを通して保守派追い落としを目指したものである。
過激な反日政策の意味
情報提供者には報奨や経済的見返りが用意されている一方で、過去をあばく作業を行う職員や委員に対する防護は手厚く用意されており、彼らへの脅迫行為などに対しては「5年以下の懲役または2,000万ウォン以下の罰金」(第28条)が科せられることになっている。
さらに、このようにして集められた情報や資料に基づいて作られた報告書などは、「故意または重大な過失がない限り、民事または刑事上の責任を負わない」(第20条)とされた。
少々の間違いや不正確な記述があるとしても、それが故意でない限り、またはその不正確さや間違いが重大でない限り、責任を追及されることはないというわけだ。
しかし、故意か否か、重大な間違いなのか重大でないのかは、主観的で心情的な判断である。少なくとも客観的ではない。曖昧な基準で、過去の歴史を調査し、報告書を作成して公表することは、日韓関係を前向きに推進することには、到底なり得ない。過去の歴史を材料に、反日感情の嵐を巻きおこすだけであろう。
事実、同法21条には、次のように過去の歴史を糾弾する盧武鉉大統領の並々ならぬ熱意が表れている。
「政府は日帝強占下強制動員により死亡した者を慰霊し、歴史的意味を顧みて平和と人権のための教育の場として活用する」。
そして歴史教育の徹底にはさまざまな事業が必要で、その費用は韓国政府が負担するというのだ。第21条には、事業の具体例として、①慰霊空間(慰霊墓地、慰霊塔、慰霊公園の造成)、②被害資料館及び博物館の建立、③その他の関連事業があげられている。
韓国にはすでに歴史博物館が存在する。そこには日本統治時代の残虐非道さを強調するための蝋人形が展示されており、訪れる人は誰でも皆、反日的になるにちがいない。そう断ぜざるを得ないほど、展示物は生々しく、烈しい。
盧武鉉大統領が考えている“事業”で日本統治の残虐性と否定的な面のみが強調されるとしたら、両国関係はまたもや、不幸な対立構造に陥りかねない。また、大統領が表明した未来志向の言葉を大統領自身が裏切るものだ。
だが、盧武鉉政権は本気なのだ。1月29日の『京郷新聞』に短い記事が掲載されていた。内容は、この法律の第3条によって設置された「委員会」の長、全基浩慶熙大学教授が2月中旬に日本を訪れ、植民地時代の強制動員犠牲者の遺骨奉還のための日本の協力を要請する予定だというものだ。
盧武鉉大統領によって任命された同委員長の来日で、歴史の徹底的な洗い出しが開始されるということだ。
早稲田大学現代韓国研究所研究員の洪?(ホンヒョン)氏が語る。
「すでに成立したこの法律は1945年までの歴史をあばくものです。盧武鉉大統領はさらに過去清算法を準備中で、これは1945年以降の反民族、反民主主義の言動を対象とする内容です」
“恨”に満ちた大統領人生
それにしても、なぜ、いまこのような法律を次々と成立させるのか。複数の人々が、盧武鉉大統領の心を占める“恨”の想いが大きな要因だと述べた。
同大統領は1946年、慶尚南道の農家の子息として生れた。生家は非常に貧しく、大学にも通えず、商業高校を卒業した。明らかに頭脳明晰で、20歳の頃から独学で司法試験の準備を開始。29歳で合格し、判事に任用されたが、わずか8か月で辞めている。
司法の世界、とりわけ権威の象徴ともいえる判事ともなれば、学歴が重視され、どんな家庭の出身かも、当然、注目されるだろう。極めて伝統的、かつ保守的な世界で、学歴は高卒、貧農出身の盧武鉉氏は肩身の狭い想いをしたと思われる。彼は判事を辞めて釜山で弁護士になった。
「彼は世の中を恨んだと思います。自分は頭がいいのに、満足に大学にも通えない。折角判事になっても、能力を評価してもらえず、肩身の狭い想いをしなければならない。金持ちや大企業を、そして韓国社会の中核を形成する保守派を骨の髄から恨んだことでしょう」
政府関係者が匿名で語ってくれた。盧武鉉氏は、しかし、弁護士になってすぐに、興味深い行動に出ている。右の人物が語った。
「彼は、突然、金持ちになろうとしたのです。それまでは考えられなかった贅沢な趣味を、彼は始めました。ヨットです。大統領になる前に、たった一度、彼は外国を訪れていますが、それはヨットレースで日本に行ったのです」
幼少から苦労した人物が成功して富を得て、富の象徴としてヨットレースに興ずるのは、なにもおかしくはない。だが、韓国の人々は次のように分析する。
「盧武鉉氏はやがて、左翼活動をしていた学生たちの弁護を引き受けるようになりました。日本でいえば全共闘世代のような学生たちを法廷で弁護するうちに、彼自身が目ざめたのです。そして主体思想やマルクス主義に染まっていったと思われます」
大統領夫人の父親が朝鮮戦争当時、北朝鮮軍と呼応して韓国人に対する虐殺行為を行っていたとの報道がなされたのは周知のとおりだ。夫人も北朝鮮に親近感を持つと報じられている。
だからといって、盧武鉉大統領が社会主義者である、或いは、韓国を北朝鮮のような異常な社会にしようと考えていると断定出来るわけではない。韓国の歴史を見ると、歴史上最も強力な反共主義者であるといってもよいあの李承晩(イスンマン)大統領でさえも、一種の社会主義的な政策を実施したからだ。
野党ハンナラ党の黄祐呂(ファンウヨ)議員が語る。
「李承晩大統領は農地改革を断行しました。農地改革こそは、絶対的に社会主義的政策だと私は思いますが、李承晩大統領のその政策は、資本主義を守る結果をもたらしました。朴正熙(パクチョンヒ)大統領も広く国民に富と国家の恩恵を分配する政策をとりました。韓国の医療保険は、朴正熙大統領の貢献を抜きにしては考えられません。
だからこそ、たとえば大企業に対する成長よりも、富の分配を重視するという類の社会主義的な政策ゆえに盧武鉉大統領は左派だ、革命家だ、反自由主義だと決めつけるのを躊躇うのです」
大統領の評価について、つとめて公正であろうとしている様子が伝わってくる。しかし、自制しながらも、黄議員はこうも述べた。
「それでも大統領の政策は不安です。彼は学生運動の闘士たちを通じて左派運動のなかから力をつけてきました。大統領の周りにいる人材も、同じく左派思想の人々です。本気で左派革命の完遂を目指しているのではないかという疑いを消し去ることが出来ないのです」
多くの国民が同じ想いを共有していることは、大統領への支持率の急落に反映されている。2003年2月の政権発足時には約80パーセントだったのが、一時は20パーセント台に落ち込み、その後は30パーセント前後で推移している。4月に予定されている補欠選挙で、与党ウリ党は現在僅差で保っている単独過半数を失うとも見られている。
だが、支持率も下がり、単独過半数を失うとしても、盧武鉉大統領の権限は凄まじい。
日本はどうあるべきか
なんと言っても、2007年末までの任期は保証されており、その間、彼は、すでに改正したメディア規制法や、ここに詳述した歴史の見直し法などによって、反対勢力を封じ込めることが出来るからだ。盧武鉉大統領の恨の“恨”の想いは深く、韓国社会を根底から変革させてしまうまで、彼は諦めないとの見方がある。もうひとつ、そのことを裏づけるのが、彼は金正日が嫌いだということだ。「人間的に金正日を認めることは出来ない」と身辺の人々にもらしたと言われる盧武鉉大統領が、それでも、日本や米国よりも北朝鮮を優先して、従来の韓国とは異なる社会を創ろうとするのは、韓国社会の豊かで恵まれた中枢勢力への恨だというのだ。
趙甲済氏が語った。
「南北の政権ともに、国民から遊離しているのです。そのような政権の成就はあり得ないし、また、そうさせてはならないのです」
韓国の有力シンクタンクのひとつ、自由企業院副院長の李春根(イチュングン)氏も述べた。
「学生たちや若い世代の力が政治を動かしてきた厳然たる歴史が韓国にはあります。今、自由主義連帯という組織が生まれ、力をつけつつある。私は彼らのようなグループが起爆剤になってくれると期待しています」
同組織は昨年11月に結成されたばかりだ。メンバーはかつての左翼学生運動のリーダーたちだ。現在100名を超えたばかりの小振りの組織に、現実の政治を動かす力があるのかと問うと、李春根氏は語った。
「盧武鉉大統領を支えたのは、韓国を愛し、この国を理想の国に近づけたいと願う若い世代でした。彼らが、期待した自由や民主主義や人道を基調とした国家とは反対に、盧武鉉大統領は北朝鮮的社会に、近づこうとしている。自由主義連帯の彼らこそが北朝鮮への幻想を打ち砕き、盧武鉉大統領の欺瞞をあばくのに最適の人材です。なぜなら、彼らはかつて命を賭けて、北朝鮮やマルクス主義を信奉してきた連中だからです」
転向した彼らの論が、左翼思想の中で凍りついている盧武鉉大統領の欠陥を切り出してみせてくれる、それによって韓国社会は再び、軌道修正をするというのだ。
では、日本はどう対処すべきか。冷静に考えれば盧武鉉大統領が考えを変えて路線変更することは恐らくないという前提にまずたつべきだ。隣国で進行中の屈折した心理の末に噴き出る革命は、日本の頭上にも火の粉を降らせかねない。恨みに基づく行為は、イデオロギーから派生する行為よりも御し難い。それだけに、韓国内の良識ある保守勢力との協力関係を軸に、日韓双方の国益にかなう政策を構築していかなければならないゆえんだ。