「 善意を発揮出来る税制を作れ 」
『週刊新潮』 '05年1月27日号
日本ルネッサンス 第150回
阪神大震災から10年、約8割の被災者が神戸の町は復興したと答える一方で、自分たちの生活が復興したと答えた人は5割にとどまっていたことに目を引かれた。
被災者が綴った文章でも、愛する家族を喪った悲しみから、多くの人が、未だに立ち直ることが出来ず、加えて経済的にも困窮している様子が伝わってくる。
或る人は書いていた。
「今も、時々、死にたくなる」
別の人も書いていた。
「この貧しさから、一体どうやって脱け出ることが出来るのか」
生活はまだ復興していないと5割の人々が言う状況を、私たちはどのように救っていくことが出来るのか。
兵庫県が中心になってあの大震災を振りかえり54のテーマで詳細な検証を行い、被災地の直面した課題に関して459項目の提言を示した(『読売新聞』1月15日)。
そのなかでも指摘されたのが住宅問題だ。被災直後の神戸を取材して驚いたのは、高層ビルの被害が非常に少ない反面、古いビルや民家の被害が凄まじかったことだ。耐震性が強化された高層ビルは一枚のガラスさえ割れていないのに民家崩壊の凄まじさは、大量破壊兵器で攻撃された町のような惨状だった。
阪神大震災以降、耐震構造の住宅が増えたとはいえ、耐震対策には100万円を超える費用がかかる。倒れにくいとされる免震構造には数百万円がかかる。新築の場合、その分を負担して地震に強い家を建てることは可能だろう。が、問題はすでに住宅を所有している人たちだ。耐震や免震のために家を建て直すのは容易ではない。こうして、日本全国の住宅の圧倒的多数は、建築基準法を満たしながらも、それ以上の特別な耐震性を持たない住宅となっている。では、建築基準法を満たしていれば、阪神や昨年の新潟県中越地震のような強い揺れに耐えられるのだろうか。震度7規模の揺れには役に立たず「全壊」するというのが信州大工学部助教授の五十田博氏の結論だった(『読売』1月15日)。
災害国が施すべき保険制度
大地震の際にはまた、必ず、多くの家が倒壊するという意味だ。耐震構造や免震構造の施工を行政が指導しても限りがある。ならば、たとえば行政による費用の一部負担や税制上の優遇策を設けて耐震免震家屋の建築を後押しすると共に、倒壊家屋の建て替え費用を被災者に提供する仕組みを考えなければならない。
大震災から10年がすぎても“死にたい”と思うほどの苦境に陥っている人たちの少なからぬ数が、失った住宅を建て替えることが出来なかった人たちだと言ってよい。
ローンを組んで建てた家を失った場合、自力での建て替えは、本人が努力しても非常に難しい。そして、日本は、過去100年間の統計によると、1,000軒以上の家が倒壊する自然災害は4年に1度発生している。1,000軒以下の被害はもっと頻発している。まさに自然災害国なのだ。だからこそ、個人の力を超えた社会全体の努力が必要だ。昨年11月11日号の当欄でも触れたが、行政が中心になって運営する保険制度が必要ではないか。
兵庫県の試算した保険制度は、持ち家、公共の借家にかかわらず、一軒家に住む世帯全てが加入する保険である。掛け金は月額1,000円、年1万2,000円。これを税金と共に納める。各地方自治体が運営主体となり、自然災害で全半壊した家には、ささやかながらも一家が住むのに必要な家を建てるだけの費用、たとえば2,000万円を支給する。より大きな家を建てたい人は、自分の資金を足せばよい。一戸建てに住む全世帯が加入すればこの保険制度は十分に成り立つという試算結果だった。
この種の枠組みがあれば、家を失った人たちの立ち直りは、現状よりも遙かに容易になる。
新潟県中越地震はその後も倒壊家屋が増え、全壊は2,840を超えた。雪国の家は冬の雪の重さに耐えるために太い柱を使っている。それが耐震性を高めていたが、それでも3,000軒近く全壊した。半壊家屋は数倍に達する。彼らを含めて、被災者が一日も早く立ち直れる経済的支援の枠組みが是非とも必要だ。
もうひとつの課題はこんな場合にどうしても必要な国民の支援をどのようにして奨励するかである。スマトラ沖の地震と津波に関して米国民の寄付が目立っている。ビル・ゲイツ氏が300万ドル(約3億円)、スピルバーグ氏が150万ドル、サンドラ・ブロックさん、レオナルド・ディカプリオ氏らが皆100万ドル規模の寄付をした。米国で活躍中の松井秀喜選手も5,000万円の寄付を申し出た。有名人でなくとも米国民は寄付に積極的だ。貧しい人たちの寄付は富める人たちよりも、収入比でいえばより多いのが米国の現状だ。
寄付金を生む米国の税制
米国民の積極的な支援はキリスト教や開拓時代の助け合いの精神から生まれたと解説する人もいる。が、より大きな理由は税制である。米国はレーガン大統領のときに小さな政府を目指して大幅な税制改正を行った。政府の行政サービスを大幅に削減し、その空白をNPO(非営利団体)やNGO(非政府組織)が埋めることが出来るように、寄付金の流れをNPOやNGOに向けた。企業は総売り上げの1割までの寄付は課税対象から控除される。粗利でも純利でもなく、総売り上げの1割であるから金額は非常に大きくなる。個人は、所得の5割までの寄付は全額控除される。年収500万円の人は250万円を寄付すれば、所得税は250万円にしか課税されないのだ。税率は大幅に下がり、善意の行いをしたことで、充足感や満足感、喜びを得ることが出来る。このことが、米国民の多額の寄付の背景にある。
翻って日本はどうか。いま米国の税制のなかで暮している松井選手が多額の寄付をしたのに較べて、日本の税制の下で暮す日本人選手の寄付行為が余り目につかない大きな理由は、税制の違いではないか。なんといっても日本は非常に寄付をしにくい国なのだ。このように言うと、阪神大震災のときも、寄付金は課税対象から外したと財務省は言うだろう。しかし、その都度、特例として寄付金に課税しないやり方では不十分だ。他人の不遇や不幸に積極的に援助の手を差し延べる善意の行為が根づくには、寄付行為を社会全体で奨励していく税制が必要である。
全世帯参加の住宅保険と、国民が喜びと実利を実感出来る寄付税制の改革が、神戸、中越の被災者をはじめ、日本全国の被災者に、ささやかながら前向きに生きる力を与えるだろう。それはまた、スマトラ沖地震をはじめ世界の災害に積極的に援助をしていける誇りある国民に私たちが成長していくきっかけともなるはずだ。
日本人の善意と誠意を発揮出来る税制をこそ、いま作るべきだ。