特集 「 緊迫の海域『尖閣諸島』を見た! 」(後編)
『週刊新潮』 '05年1月13日号
日本ルネッサンス[拡大版] 第148回
2004年暮れに東シナ海上空を飛んだ。眼下に広がる日中摩擦の海の現状を視て感じたことは、中国が主張している大陸棚説の、日中双方にとって相反する意味での死活的重要性だった。
中国は、中国の大陸棚は沖縄トラフまで続いていて海も海底資源も尖閣諸島も、そこまでの全てが中国のものだと主張する。
地図を広げると中国の意図が手に取るように見える。日本列島は、北海道から東京、東京から鹿児島までが各々約1,000キロ。鹿児島から南西諸島の最西端、与那国島までが、これまた、約1,000キロだ。
南西諸島は東から順に大隅、吐蝎カ喇(とから)、奄美、沖縄、先島(さきしま)の諸群島から成る。その先の手が届きそうなところに台湾がある。
南西諸島と台湾をつなぐ1,000キロを超える距離は、中国の海岸線の実に3分の2の前方を塞ぐ形に横たわっている。1987年に海洋国家であると自己定義し、猛烈に海洋進出を図ってきた中国は、海洋に出る場合、3分の2は必ず日本の列島線を通らなければならない。地政学上、これ以上ないほどの重要な位置を日本と台湾が占めている。中国が海洋国家として自在に海に進出するには、まず台湾の領有が死活的に必要であり、日本の南西諸島海域の実効支配が欠かせない。その国家目標を、論理的に支えるのが大陸棚説だ。
しかし、中国側の主張は国際法に適うものではない。国連海洋法は、一国の大陸棚が途切れずに続いている場合、その国に350海里(560キロ)の排他的経済水域を認めているが、複数の国が同じ大陸棚に存在する場合、海域を2等分するのが国際常識である。
そこで問題は、中国の主張のように、本当に大陸棚は沖縄の東側の沖縄トラフで切れていて、沖縄を含む南西諸島は中国とは全く別の大陸棚上に位置しているのかである。琉球大学理学部物質地球科学科の木村政昭教授らは、約10年にわたって共同研究を行なった。人工地震探査及び有人、無人の潜水調査を重ねてきた。その結果が10年前『東シナ海と沖縄トラフの地質構造発達史』という論文にまとめられた。結論は「沖縄トラフには海洋性地殻はない」、つまり、大陸棚は途切れずに、南西諸島のずっと先まで続いているというものだ。日中両国は同一の大陸棚上に位置しているのである。東シナ海は全て中国のものという主張は完全に間違いで、日本が主張する“中間線”論理が正しいのである。
海洋調査で遅れた日本にとって木村教授らの合同調査結果は天佑に等しい。日本政府は同教授らの調査をさらに深め、補強すべき点があればそのための調査研究に予算を割き、日本の立場を堅固なものにしていくべきだ。
大陸棚は沖縄の手前で途切れているのではないという科学的調査結果を中国は無視して、南西諸島周辺も中国の海であるかのように振舞いつづける。昨年11月に中国の漢級原子力潜水艦が南西諸島の宮古島と多良間島の間を通り抜け、領海を侵犯したことは記憶に新しい。旧ソ連の時代から日本の領海を潜水艦が潜ったまま通過したのは恐らくはじめてだ。前代未聞の主権侵害事件を中国側は未だに謝罪していない。小泉純一郎首相がチリでの胡錦濤国家主席との会談で領海侵犯の再発防止を求めたとき、胡主席は答えずに「大局に立って解決すべきだ」と述べた。ラオスでは中国側の要請で会ったにもかかわらず、温家宝首相が日中戦争での死者の数を知っているかなどと烈しい言葉で小泉首相を難詰した。
日本が領海侵犯の非を追及すれば、中国は数倍する勢いで歴史カードを切ってくる。一方で、海洋進出は着々と果たすのだ。
狙いは横須賀の米空母
中国の狙いはまず台湾領有、次に日本の南西諸島周辺海域の実効的支配の確立だ。東シナ海に集中していた違法調査活動が、今や南西諸島を超えた日本の太平洋側、沖ノ鳥島付近にまで広がっているのもその所為だ。同島周辺の海洋調査は2004年は1月9日に始まり、2月、3月、5月、7月と継続した。台風の多発した夏から秋にかけて中止されたが12月にまたもや調査船が姿を見せた。全て日本の排他的経済水域内での国連海洋法違反行為だ。
中国の調査済み海域は東シナ海、それにフィリピン海と太平洋が接する海域だ。後者は南大東島から沖ノ鳥島の位置する北緯20度あたりまで南下した海域と言ってよい。
いずれも台湾有事の際に米軍の空母が動く海域だ。台湾支援のため、米軍はまず、横須賀から空母を派遣するだろう。その場合、米空母は鹿児島の南の大隅海峡などを通って東シナ海に入ろうとするだろう。
グアムからも空母の派遣が考えられる。台湾の北部或いは南部をまわり込むと思うが、いずれの場合も米空母は沖ノ鳥島周辺を通過する。グアム島を基点にして台湾の北部と南部を結ぶ三角形を描けば、中国の船が調査を継続してきた海域とほぼピッタリ重なるのだ。
つまり、中国の調査船や潜水艦の動きが集中してきたこの2つの海域は、台湾有事の際の米空母の通り道なのだ。潮流、温度、塩分濃度、海底の形状などを調査したのは、空母を阻止するための潜水艦の配備を考えてのことだと見られている。
中国が台湾領有を狙いながら手を出せない理由は2つ、国際社会の目と米軍の力である。
前者について中国は巧みな外交を展開してきた。具体的問題をとらえて北京か台湾かの選択を迫るのである。たとえば、2004年7月にシンガポールのリー・シェンロン氏は首相就任を前に“個人的”“非公式”に台湾を訪れた。すると、間髪を容れず北京政府は「重大な結果を招く」と容赦ない批判を展開したのだ。
リー・クアンユー元首相の子息で二世議員のシェンロン氏は萎縮し、同年8月の首相就任演説で「台湾海峡での厄災はアジアの経済成長を狂わせる可能性がある」と述べ、台湾の独立を支持しないと言明した。
中国は個々の事例を見逃すことなく台湾を国際的孤立に追い込み、軍事行動の場合の国際的非難を事前に封じ込めようとする。
だが、中国にとってより深刻な問題は後者である。96年の台湾総統選挙のとき、中国は台湾海峡にミサイルを撃ち込んで李登輝氏の当選を阻止しようとした。米空母2隻が台湾周辺海域に近づいたとき、中国側は退却した。かなわない相手には引き下がる。力の差を冷静に計算出来るのだ。だからこそ、国際世論には屈しなくとも、強大な米国の軍事力には屈服するのだ。中国の計算はあくまでも現実的かつ冷徹である。
台湾有事と日本
その米空母が東シナ海に展開すれば、中国は敵ではなく、台湾奪取も不可能になる。反対に米空母の到着以前に台湾を制圧出来れば、米国も手を出しにくくなり、中国の台湾領有の目論見は成功に近づく。そのために、東シナ海及び、グアムから台湾に通ずる三角海域に潜水艦を潜航させれば空母の動きは封じられ、かなりの時間稼ぎになる。
昨年、中国の漢級クラスの潜水艦の航行は日本の領海で容易に捕捉された。だが、中国にはロシアから購入した非常に音の静かなキロ級潜水艦もある。潜水艦の専門家は、キロ級潜水艦の探知は難しく、「1キロ程の距離まで近づかなければ掴めないような代物」だと語った。海中の1キロといえばもうぶつかっているような感じのする近さだそうだ。中国は現在潜水艦60隻余りを保有しており、その内キロ級は4隻である。2007年までにこれを12隻にふやすことも決定済みだ。
捕捉し難い潜水艦は空母にとって大きな脅威だ。空からの攻撃には手厚く護られており非常に強い空母も海中からの攻撃には弱いという。発見されにくい潜水艦からミサイルが発射され胴体に命中すればどうなるか。米海軍の主力は大きく損傷しかねない。
建造して運営出来るまでの装備を整えるのに1隻につき、1兆円の予算がいると言われる空母を易々と脅威に晒すことは、米軍はしないはずだ。空母は危険海域には近づかないのだ。
こうしてみると、中国の一連の海洋調査が、日本の海洋資源と共に、台湾有事のときの米空母牽制を狙った動きであることが見えてくる。このことは、日本にも死活的な意味を持つ。
中国が台湾を制圧すれば台湾と中国大陸の間の台湾海峡も、台湾とフィリピンを隔てるバシー海峡も、中国の実質的支配下に入る。日本は石油のほぼ全量を中東からの輸入に頼る。石油輸入に必要な台湾、バシー両海峡に跨がるシーレーンは日本の生命線なのだ。それらを中国に支配されかねない。加えて、台湾とは目と鼻の先にある先島諸島や沖縄諸島、さらに尖閣諸島も中国の脅威に正面から晒される。このような緊張に、日本は耐えられるだろうか。
台湾制圧に関係なく、中国は予見し得る将来、日本に対して民族主義を旗印とするより強固な政策をとると予測するのは防衛大学校国際関係学科の村井友秀教授である。同教授は、中国はソ連のような共産主義を基盤として成立した国家ではなく、“抗日”という言葉に凝縮される反日民族主義を立国の基盤とするからだと説明する。
少々長くなるが、日中戦争に遡る村井教授の説明はざっと以下のとおりだ。
中国大陸で日本軍が戦った相手は阡」介石の国民党軍だった。上海、南京、武漢と続く全ての戦いに日本軍は勝ち進んだ。日本軍が毛沢東らの共産党軍と戦わなかったのは、彼らが国民党軍に敗れて内陸深く逃れていたからだ。日本との戦いの前の国共内戦では、共産党軍は国民党軍に敗退し続け勢力は30万から3万に激減した。前進してきた日本軍が直面したのは国民党軍で、彼らは悉く日本軍に敗れた。
にもかかわらず日本が中国で敗退したのは太平洋で敗れたからだ。
国民党の阡」介石は「安内攘外」、内を安んじて後に外を撃つ、つまり、共産党を先に叩いてその後に日本軍と戦かう戦術をとった。中国の大衆には納得出来ないことだっただろう。共産党の主張する抗日民族統一戦線と較べると、民族主義的ではないと映る。村井教授が語った。
「蒋介石の言葉に、共産主義は内臓の病い、日本軍は皮膚の病いというのがあります。皮膚の病いでは人間は死なないが内臓の病いでは死ぬ。だからより大きな脅威である共産主義勢力を日本軍より先に叩くという論法です。しかし、中国の一般大衆はそんな国民党に嫌気を覚えて、共産党軍に加担しました。わずか3万人に減った勢力が日中戦争の終わり近くには300万人に、国共内戦時には500万人に急増したのです」
敗退した国民党軍は台湾へ逃れた。残った共産党軍が政権を樹立したが、彼らの政権は共産主義イデオロギーによってではなく、抗日に凝縮される民族主義によってもたらされたのだ。だからこそ、ソ連崩壊にも中国は影響を受けなかったのだ。
「しかし、実は中国共産党の民族主義は極めてバーチャルだった。民族主義の実績なしに、民族主義政権への期待で誕生したのですから。そこで、中国共産党は政権奪取後に本当の民族主義政権になろうとしたのです」と村井教授。
それは奪われた領土を取り戻すことだった。人民解放軍を投入して東トルキスタン共和国を潰減させ、新疆ウイグル自治区として中国に編入した。チベットも武力で併合した。チベットへの漢民族の大規模移住を実行して、チベットの事実上の消滅を図ってきた。
日本が取るべき道
「一連の軍事行動の結果、現代中国は漢民族としては歴史上最大規模の領土を実現したのです。歴史上最大の領土を誇ったのはモンゴル人による元王朝、次が満州人の清王朝です。3番目に大きなのが漢民族の現政権の領土です。中国共産党は常にこのことを共産党の業績として国民に誇ってきました」と村井教授。
現代中国の国家基盤は民族主義で、その原点は日中戦争にあるということだ。そう認識すれば、中国が常に日本を悪者にし続ける必然性も見えてくる。日中関係に問題がなく「全く平和になる」ことはないであろうと理解出来る。特に今年中国は「ファシズム勝利60周年」を祝う予定だ。日本への歴史カードが最も先鋭的に使われかねない年だ。このような年に、日本にとってさらに必要なのは、中国との摩擦や緊張は事実によってよりも政治によって作られるものであり、現在の中国政府との関係においては緊張と摩擦の存在は特別なものではなく、常態であると覚悟することだ。そのうえで、中国の戦略に動揺したり惑わされたりしないためにも、全てに原則を踏まえてしっかりしなければならない。
東シナ海について言えば、日々行うべきことと大目標の両方を見失ってはならない。前者は東シナ海と太平洋側での中国の違法採掘に、断固として抗議することだ。海上自衛隊の艦船をフルに活用し、旧式の航空自衛隊のF4戦闘機を早急に最新鋭機に置きかえ、国家意思を形にして見せることだ。
そして大目標として、台湾有事を引き起こさせないために日米共同で台湾の安全を守る努力をせよ。同時に中国の主張する大陸棚説の誤りを明確に指摘し続け、日本側の主張の正しさを2009年7月までに科学的資料で裏づけ国連に報告することだ。それには、木村教授らの海底地質構造調査を国家的プロジェクトとして支援していくのがよい。