「 中国主導で急浮上した『東アジア共同体』構想の非現実性と呆れるその経緯 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年12月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 572
11月29日、30日の両日、ラオスで開かれた「ASEAN+3」の首脳会議で、「東アジア共同体」構想が浮上した。同共同体への第一歩として、来年マレーシアでASEANと日中韓3国が第1回「東アジア首脳会議」を開くそうだ。
それにしてもわかりにくい。「ASEAN+3」と「東アジア首脳会議」はどういう関係なのか。その先にあるとされる「東アジア共同体」の定義は何か。ヨーロッパ共同体(EU)のアジア版だと指摘する人びともいるが、アジアと欧州はまったく事情が異なる。EUは民主主義、自由経済、人権尊重などを共通基盤とし、通貨は統一、人と物の流れを自由にした。
EUの大きな特徴は、その構想自体、非常に長い歴史を持つことだ。ハプスブルク王朝が権勢を振るった頃にも、ヨーロッパ共同体の思想が論じられているほどに起源は古い。それだけ、ヨーロッパ人と欧州諸国は「共同体」について想いを巡らし、思索を深めてきた。そしてたどり着いたのが、多様な宗教を是認しながらも、キリスト教を基盤とした民主主義的共同体のかたちである。通貨、貿易、安全保障を共有しながら、緩やかな共同体のなかで、人びとも諸国も自由を謳歌する国家群のかたちだ。
それと同じ構造の国家共同体が、現在の東アジアに実現可能だとは思わない。中国と日本がどれほど異なるかを見るだけでも、共同体構想の非現実性は明らかだ。法輪巧(ほうりんこう)弾圧の事例に見られるように、宗教を否定する国がどんな振る舞いに出るかを見逃してはならない。軍事力も、ASEAN+3のなかで、中国は突出している。中国の軍事力構築のダイナミズムは周辺諸国には脅威であり、とうていついていけない。
それでも、アジアでは経済交流が先行しており、経済の一体化が政治、軍事の一体化を引き起こしていくとの見方がある。
この理屈は通らない。経済活動が国境を越えて行なわれるのは当然だが、民主主義的価値観を共有しない国家と共同体を構成し、EUのように通貨、政治、外交、安全保障面などで協力し合えるものではあるまい。
東アジア共同体は、いったいどの国が中心になるのか見えてこない。もともと同構想は、中国がASEAN全体と一挙に自由貿易協定を結ぶよう提案したことが一つのきっかけとなった。その経緯を見れば、中国主導だ。日本に、この構想のなかで中国と互角に競う準備はあるのか、疑わしい。シンガポールも、マレーシアも、インドネシアもタイも、経済の中心を担うのはおしなべて華僑勢力である。中国のASEAN支配は、すでに現実経済の基盤のなかで半ば確立されているに等しい。
東アジア共同体を経済面からのみとらえて判断すると、道を誤ることになる。繰り返すが、宗教、価値観、民主主義、政治、軍事、戦略のすべてから検討しなければならず、全体的に見れば同構想は明らかな米国はずしになりかねない。そうした指摘に「米国に対しても中国という切り札を持つべきだ」という反論もある。
だが、日米安全保障条約があり、半世紀以上続いた同盟国に、中国カードを切るという発想そのものが、おかしい。増大する中国の政治、軍事、経済、価値観すべてにおける脅威に対抗するには、日米関係の緊密化こそが重要で、共同体構想もその点をはずしてはならないだろう。
ちなみに、この共同体構想の資料は、ラオスに向かう政府専用機の中で小泉純一郎首相に提示されたそうだ。日米関係の根幹に挑戦し、中国と一体化するかのような戦略の大転換でありながら、なんと気軽な提示の仕方か。チャイナスクールの外務官僚らがこんなやり方で首相を操ろうとするとしたら、断じて許せないことだ。