「 金正日後を睨む中国の思惑 」
『週刊新潮』 '04年12月16日号
日本ルネッサンス 第145回
現代コリア研究所の理事長で1955年以来北朝鮮問題を研究してきた玉城素(もとい)氏が、金正日体制の危うさについて語った。
「まず、経済が瀕死の状況です。今年6月は白米1キロが400ウォンでした。ところが公式には発表されていませんが中国がコメの輸出を停止して忽ち価格がはね上がり、8月までには1キロ700ウォンに、9月から10月にかけて恵山(ヘサン)の闇市場では920ウォンでした。北朝鮮の一家族当たり平均月収は3,000ウォンですから、白米3キロで月収のほぼ全てが消えてしまうのです」
昨年から始まった平壌の公営市場には、各商品の上限価格が設けられている。白米のそれは1キロ420ウォンだが、現実にこの上限価格は全く守られていない。それどころか、バナナが1キロ1,800ウォン、西瓜1個が6,000ウォンという凄まじさである。北朝鮮の国民の飢えと苦しみが伝わってくる数字である。
玉城氏が語った。
「10月24日の『朝鮮日報』には北朝鮮の国境警備隊の隊員が中国領になだれこんで民家を襲撃した事件が報じられていました。コメとトウモロコシだった食糧配給が全てじゃが芋になったことに腹を立てて略奪に走ったのです。ここまで来れば大飢餓直前の状況です。餓死者の死体が道端に転がっていても子供さえも驚かない状況が出現しています。金正日への怨嗟の声は、深く広く浸透していると思われます」
金正日総書記が危機を感じていないはずはないだろう。だからこそ彼は強い猜疑心で凝り固まっている。玉城氏は、金正日の肖像画が外され敬称が省かれ、金正日の言葉の替わりに金日成の言葉が引用されたりしたといわれるここ数週間の出来事について興味深い推測をしてみせた。
「ルーマニアのチャウシェスクの運命を辿ることになるかもしれないと彼は恐れ、北朝鮮の現状をもたらしたのは必ずしも自分ではないという印象を作り上げようとしたのではないか。肖像画の取り外しなど彼の許可なしにはとても出来ないことですから。しかし、余りにも長く続いた恐怖支配の結果、金正日の部下たちには金正日の威光を損ねることを徹底してやり通すことが出来なかったのではないでしょうか。だから一連の動きも中途半端に終わった」
何が真実かの断定は難しいが、多数の推測のなかで玉城氏のそれには説得力がある。
いま、米国も中国も、金正日後の北朝鮮をどう安定させていくかに戦略を巡らせている。そのようななかで、退任するアーミテージ国務副長官が日本の外務省の危機感の欠如に驚いているという。米国がイラク問題に集中せざるを得ない間に、中国が北朝鮮に手をのばしたのは周知のとおりだ。米国は中国の北朝鮮政策を横目で見ながら、朝鮮半島の将来展望を考えざるを得ない。
中韓両軍は国境で対峙
中国が或る日突然、何万人かの軍隊を北朝鮮にどっと繰り出し、北朝鮮人民を“解放する”との大義を掲げて金正日一人を拘束し大量の食糧を配ったらどうなるか。金正日に憎しみを抱く国民は必ずしも中国軍に反抗しないだろう。食糧支援でとりあえず大混乱を避け、短時間で北朝鮮を実効支配する事態もあり得る。
韓国の盧武鉉政権はどう反応するか。半ば以上北朝鮮化した同政権の基調は反米、平和志向である。中国の北朝鮮侵攻を韓国が軍事力で阻止することは、現政権では考えにくいと、早大現代韓國研究所の洪辭秩iホンヒョン)氏は言う。反米という点からも韓国は中国寄りの姿勢に傾きかねない。
短絡な予想は慎まなければならないが、そのような事態も万が一のケースとして考えられる。仮に盧武鉉政権が強く抵抗せず、中国の北朝鮮支配が実現するなら、中国は韓国も含めて朝鮮半島全体に強い影響力を有することになる。このような日本にとっては悪夢に等しい状況を防ぐためにも、日本はあらゆる状況を想定して準備しなければならない。朝鮮半島には日本が警戒すべき兆候が多く見られるのだ。玉城氏が語った。
「昨年夏から、中朝国境警備に、中国は警察ではなく軍を使い始めました。今年8月には、中朝国境に配備する軍を3万人もふやしました。そして彼らは鴨緑江で盛んに渡河訓練を行っています」
いうまでもなく鴨緑江は朝鮮で最も長い川で中朝を隔てる国境の川でもある。中国軍の渡河訓練はNGOの人々によって撮影された。中国側は「救難訓練」だと説明したが、数万の軍隊の国境への配備自体が大きな意味を持つ。渡河訓練が救難目的とは名目上のことで、北朝鮮侵攻を目指すものだと考えない方がおかしい。金正日はそう受けとめているだろう。事実、彼は対抗する動きに出ていると、玉城氏が指摘した。
「金正日は38度線の休戦ラインに展開させていた最精鋭部隊を中朝国境に移動済みです。軍用犬も中朝国境に送りました」
追い詰められた金正日
だが、中国の力の前では北朝鮮の力は如何ほどのものでもない。現在北朝鮮に出まわっている商品は大半が中国製で、通貨も北朝鮮のウォンよりは中国の人民元が圧倒的に信用されている。中国支配が実質的に確立されている現状は金正日にとっては大きな脅威だ。加えて、彼の周りの人物らに次々と異変がおきている。
実の妹、金慶姫の夫で70年代からの同志だった張成沢が長く姿をみせていない。朝鮮労働党組織指導部第一副部長の張氏は党の人事担当責任者である。その重要な地位にある彼は謹慎中と伝えられるが確かなことは不明である。軍の総政治局長を務め、最右翼の強硬派として金正日を支えてきた趙明禄は中国の病院に入院中だ。経済のテクノクラートで金正日が“帝王学”を学ぶときの実務をとりしきり、後に北朝鮮の首相となった延亨黙はモスクワの病院に入院中で膵臓ガンらしい。金正日を支える幹部や親しい人物たちが何らかの理由で彼の周りからいなくなっているのだ。そして、妻の高英姫は先に死亡、長男の金正男は明らかに後継者とはなり得ず、家族もバラバラだ。
金正日が、ひとり、向き合うのはブッシュ政権の固い決意と中国の冷たい視線だ。追い詰められた精神状態にあることは間違いないだろう。
中国も米国も時期が来れば金正日を軍事力で拘束するのに躊躇はないだろう。アーミテージ氏は、そのような事態が中国によってひきおこされる可能性にどう対処すべきかを、日本と話し合おうとした様なのである。ところが外務省側はそのような事態は想像さえ出来ないようで、アーミテージ氏の問題提起に、全く、反応しなかった。小泉純一郎首相は、北朝鮮に約束した25万トンの食糧支援の残り半分の12万5,000トンを送りたいとさえ発言した。日本外交は無残なほどの脳天気で、情勢を読みきれていない。