「 戦争孤児の実話に基づいた一冊の絵本が投げかける“国民を守る”ことの意味 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年8月14・21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 555
『金のひしゃく 北斗七星になった孤児たち』という絵本がある。増田昭一氏の作で、財団法人中国残留孤児援護基金が今年3月に出版した。
涙なしには読めないこの絵本の物語は、実話に基づいている。日本が敗戦した1945年の秋、増田氏は満州新京敷島地区の難民収容所にいた。そこには多くの孤児たちもいた。
中国大陸で苦しい戦いを展開していた日本軍を潰滅的な敗北に追い込んだのが、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦した旧ソ連だった。南下するソ連軍に追われ、日本軍も国民も敗走した。子ども連れでは逃げ切れない。親子共に命を落とすかもしれないという判断の下で、多くの親たちが、愛しいわが子を中国人に託した。こうして多くの“残留孤児”が生まれた。
増田氏が描いた孤児たちは、中国の養父母に預けられることもなく、じつの親たちと死に別れた天涯孤独な子どもたちだ。豊かな社会でさえも、守ってくれるおとなのいない孤児たちの毎日は厳しい。敗戦下での収容所ではなおさらであろう。
収容所にたどり着いた日本人は疲れ、栄養失調、それに病気で、3~4ヵ月のあいだに“半分以上”が死亡したそうだ。驚いた同地区の日本人会有志が炊き出しを始め、“やさしいすいじばのおじさん”と子どもたちとの交流が始まる。
親のいない子どもたちにも、わけ隔てなくお粥を分けてくれる“やさしいすいじばのおじさん”は、2週間に1回やって来る。おじさんの来訪を生きる希望にしながらも、子どもたちは体験から、誰がどの程度生きられるかも知っていた。“足首が片手で握れるようになったら2~3週間”“下痢をしたり、食べ物が欲しくなくなったら数日”“這いずるようになったら3~4日”“手足の感覚がなくなったら1~2日”“熱が出て意識がなくなったらまもなく”で死ぬと知りながら、励まし合う健気な子どもたち。
子どもたちの衰弱ぶりを心配しながらも、おじさんは自分の3人の子どもも守らなければならない。2週間後、大鍋いっぱいの豆腐のおつゆとご飯を運んできたとき、おじさんは子どもたちが死亡したことを知り、最後の1人が皆を代表して書き残した手紙を受け取る。
下痢が止まらない子どもの手紙は汚れていた。それを両掌(りょうて)で包むように受け取り、読み始めたおじさんは号泣した。そこには優しくしてくれたことへのお礼が綴られていた。元気で日本に帰ることができたら、おじさんへのお礼に、お粥やおつゆをよそってくれたひしゃくを金で作って贈るのが皆の希望だと書かれていた。最後まで生きていた“よっちゃん”の残した言葉だ。
「おねがいです。おじさん、よるおそらをみてください。ひしゃくぼし(北斗七星)がみえたら、ぼくたちが、おじさんにおくったきんのひしゃくとおもってください」
日本に引き揚げて小学校教師となった増田氏は、“やさしいすいじばのおじさん”と子どもたちの交流の目撃者として、この物語を書いた。夜空にまたたく北斗七星は、こうして満州で命を落とした孤児たちの魂ともなった。
増田氏は願う。今度生まれてくるときは、戦争のない平和な国に生まれてくるようにと。子どもたちが親から離れることなく、親の愛に包まれて元気に育つことができる環境は万人の願いであろう。今私たちが考えるべきは、そのような国づくりがいかにして可能かである。
拉致問題を見れば、答えはおのずと明らかだ。国民を守るにはしっかりした政府が必要だ。国は知恵を駆使して、必要なときには力を駆使して初めて、国民を守ることができる。平和と安寧を守るに足る賢さと十分な力を備えた国づくりこそが、夜空のひしゃく星となった子どもたちの想いに応える道ではないだろうか。