「 三位一体改革の御旗の下で義務教育費削減論は性急 国と地方の役割見直しが先 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年8月7日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 554
三位一体改革で、東京都の石原慎太郎知事が傾聴すべき提案をしている。国の関与などを撤廃し、より住民に身近なところで政策決定し、税金の使途を決めるべきだという前提に立っての具体的提案である。
石原知事は国と地方自治体の役割を明確に分類し、国が責任を持つべき3つの分野を挙げた。(1)外交、防衛、司法など国家存立のためになすべきこと、(2)国家戦略に基づいた新しい分野や地域への重点的な投資、(3)生活保護や義務教育などの基礎的な行政サービス、である。(1)と(2)については異存ないだろう。注目点は、(3)である。先週号の当欄でも触れたように、小泉純一郎首相は三兆円規模の税源移譲を前提に、それに相当する規模の補助金削減リストを作成するよう地方自治体側にボールを投げた。全国知事会は現在、総額約2.5兆円の義務教育費国庫負担金を削減対象に含めるか否かで議論中だ。
議論は二分されており、2.5兆円を削減対象とすべきだという意見が半分、もう半分は、2.5兆円はほとんどが教員の給与であり、教員への給与は払わなければならないのであるから、たとえ削減したとしても地方自治体の裁量は広がらないという反対論である。
所管する予算総額の減額を権益の喪失だととらえる性癖から、文部科学省は、義務教育関連の補助金をなくすことには強く反対し、猛然と巻き返しの動きを展開しつつある。
そんな対立構図のなかで、石原知事は、義務教育費は生活保護費などとともに全額を国が払うべきだと提言した。教育費も含めて聖域をつくることを厳しく批判する長野県の田中康夫知事が、賛同して語った。
「教育や高齢者介護などの基礎的行政は住民から最も近い距離にいる地方自治体に任せるべきですが、そのコストは国が負担すべきなのです」
田中知事の下で、これまでに長野県は、小学校の30人学級制の実現で全国一の実績をつくってきた。要は地方自治体側の気迫なのである。補助金や国の指導や介入が、創意工夫を欠いた地方自治体の行政の口実になりかねない実態は、少し取材してみればよくわかる。私は約二年間、各地の小学校を取材したが、最も大切なのは教師や校長のやる気であることを実感した。
教育現場は驚くほどのまだら模様なのだ。やる気のある教師の学級では、文科省の学習指導要領にもかかわらず、子どもたちの学力はどんどん伸びていた。学力向上が自信と自らへの信頼につながっていくのが目に見えるほどの成長ぶりを、わずか2年弱ではあるが、継続的な取材で確かめた。愛情と熱情を注ぎ工夫する教師の下で、子どもたちは成長し、クラスメートにも優しくなっていた。
教育は、信頼できる現場の教師に任せるのがいちばんである。教師を支えるのが校長であり、監督するのが教育委員会なのであろう。だが、教育委員会への評価は功罪半ばする。教育委員会は往々にして、文科省の意向にあまりにも強く影響されるからだ。行き過ぎた反日教育などは慎まなければならないが、ゆとり教育に象徴されるような“学力否定”の政策などによって、教育がつぶされてはならない。
石原、田中両知事が提案し、語るように、義務教育費など最も基本的な行政経費は国が負担すべきだ。教育にこそ、予算を惜しんではならず、2.5兆円が3兆円や4兆円になってもよい。そのうえで地方自治体は、各地域でしっかりした教師と校長をどのように選び、確保するか、どんな教育を施すかに知恵を働かすべきだ。
国から3兆円削れと言われたからといって、その案に安易に乗って義務教育費をそこに入れてしまうのではなく、地方自治体の発想こそを示すべきだろう。