「 金額合わせに終始するな 本質論からはずれ始めた三位一体改革の論議の中身 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年7月31日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 553
国と地方自治体の税財政改革(三位一体改革)の議論が盛んだが、本質論をはずしているのではないか。三位一体改革は、国が地方への補助金や交付税を減らすぶん、税源を地方に移譲して地方自治に任せるということだ。
重要なのは課税権限を移譲することだ。だが、現在進行中の全国知事会議での議論は、基本的な枠組みの問題点よりも、3兆円規模の補助金削減案をどうつくるかという表層的な問題に終始しているように思えてならない。
国から地方自治体に配られる補助金は約20兆円、小泉純一郎首相は7月の選挙前に、3兆円規模の税源を地方に移すことを決定し、その代わり、3兆円に相当する額の補助金をどの項目でどれだけ減らすのかという具体策は、地方自治体が考えるべきだとした。それを受けて全国知事会議で議論しているのだが、焦点は公共事業関係、あるいは義務教育関係の補助金を削減の対象にすべきか否か、だそうだ。
公共事業関係の歳出を削減対象とすることには、財務省が強く反対だ。「公共事業は財源が建設国債なので、廃止しても税源は渡せない」という理由だそうだ。
三位一体改革の核心が課税権限の移譲であり、公共事業が建設国債の発行、つまり借金で賄われている限り、税源は存在しないのであるから、存在しない税源の移譲は不可能だ。その意味では、財務省の主張は筋が通ってはいる。
しかし、国と地方を合わせて700兆円を超える借金は、補助金をエサに不必要な公共事業を行なってきた結果である。また、建設国債もいずれ国民の税で負担する。“税源”はないから渡せないというのは、財務省の身勝手な論だ。
それでも全国知事会は財務省に押し切られたのか、現在は義務教育費を削減対象にする議論に集中し、意見は二分されている。義務教育関連の補助金は約2.5兆円で、政府が示した3兆円にちょうど見合う額だ、数が合うということで削減対象にされたのかと思うほど、知事たちの議論は表層的だ。
長野県の田中康夫知事が、あきれた調子で語った。「義務教育関連の補助金を聖域だと見るのは間違いです。それがなければ30人学級もできないというけれど、長野県では小さな予算で、一部ですが、すでに30人学級を実現しています。教育は国が保証すべきというのは、文部科学省の権益を守り、天下り先を確保しておきたいということでしょう」。
もし、全国知事会が義務教育関連の補助金削減で小泉首相の示した三兆円分の削減を達成しようとするのなら、補助金と一緒にくっついてくる、教育への国の介入撤廃を要求すべきだ。
全国公立学校の教師の給料は、なぜ一律に国が決めるのか。各地域、各学校が給与水準を決め、教師の能力別給与体系があってよいのに、なぜここに国が介入するのかを問うべきだ。なぜ、学校の建物も机も椅子も、縦横高さまで規制されるのか。なぜ検定教科書を使わなければならないのか。なぜもっと自由で闊達な教育が許されないのか。知事たちはこうした点にこそ、踏み込み、国の介入をなくしていくべきだ。
小泉首相は、3兆円分の補助金の削り方を地方に丸投げした。首相の丸投げを好機として、地方自治の自立を図るには、右のような、なぜ補助金の削減なのか、という議論を具体的に展開することだ。国民の日々の生活にまで入り込んでいる国の介入を具体例を通して語ることで、国民はなぜ、三位一体改革が必要なのかを理解し、自分たちのこととして考えるだろう。知事たちの最も重要な役割は、この種の議論を通じて、県の職員と住民の意識を覚醒させていくことにある。金額合わせだけの議論では意味がないのだ。