「 サマワ帰国『番匠群長』の笑顔 」
『週刊新潮』 2004年7月1日号
日本ルネッサンス 第122回
7月以降イラク統治の最高責任者となる暫定政権のヤワル大統領は、先のシーアイランド・サミットで「イラク国民が最も歓迎しているのは日本の自衛隊だ」と述べた。「武士道の国の自衛官」の仕事振りは、イラク国民によって受け入れられ、絶賛されたのだ。
イラクでの米軍人の犠牲者はすでに800人を超えた。4月をピークに5月、6月と犠牲者の数は減少しつつあるとはいえ、情勢の厳しさは変わらない。自衛隊の派遣された南部のサマワは安全だとは言われてきたが、日本人ジャーナリストの橋田信介氏と小川功太郎氏は、自衛隊の宿営地から戻る途中、バグダッドの近くで殺害されている。テロとの戦いとテロによる殺害事件が後を絶たないなかで、番匠幸一郎第一次イラク復興支援群長率いる部隊が引き揚げるとき、イラクの人々は“涙”で別れを惜しんでくれたという。外国人への敵意と、自衛隊へのこの親しみは一体どこで交叉するのか。
番匠群長が語った。
「それらが混在しているのがイラクなのだと思います。私は日本の自衛官として現地の人々に嘘はつかないこと、誠実さと友好的な態度を全ての基本に置くことを旨としました。が、絶対に油断しないことがそれらの大前提ではありました。我々の派遣されたムサンナ県は比較的安全だと言われていましたが、安全はそれを担保する力と備えがなければ維持出来ませんから」
日本人としての誠実さを、番匠群長は“GNN”で表した。義理、人情、浪花節である。
「イラク人は驚くほど日本人と似ていました。それも現代風の日本人ではなく、先輩世代の日本人です。ですから全く違う世界の人たちという感じはなく、日本の先輩たちと話しているような懐かしさのような感情が生まれてきました」
現地の長老たちはとりわけ、自衛隊の活動についての事前説明に満足し、「こういうふうに、事前に説明してくれるのは日本の自衛隊だけだ」と述べたという。日本風にいえば、仁義を切ったことへの感謝であろう。自国の政権が倒された混沌のなかで、外国の軍隊が派遣されてきたイラク人の不安な気持ちを思えば、この種の事前説明がいかに安心感を与えるものであるかは想像がつく。
配慮と規律とユーモア
自衛隊への現地の期待は大きく、病院も橋も発電所も道路も遊園地も作ってもらえる、雇用さえも期待されたのは周知である。期待の大きさに反して、自衛隊の活動はささやかだ。だが、そのギャップを埋めて尚、イラク人の感謝を受けたことは、これから先、海外活動を展開する際の貴重な教訓とすべきだろう。
なぜそこまで可能だったのか。陸上自衛隊は日本全国に約160の駐屯地や分屯地をもつ。各々の地域の住民と協力関係を築きあげなければ陸自の仕事は出来ない。だから、どこにいても地域に根ざした活動を展開するという点において、陸自が経験と訓練を積んでいたことが役に立ったと思われる。
加えて、第二次世界大戦で敗北しながらも、再び経済大国として蘇った日本への尊敬の念が、イラク国民のなかにあることが理由ではないかと番匠群長は述べた。
現地の人への配慮と同時に部下たちに対しては、番匠群長は規律とユーモアを重んじた。彼らの1日は朝6時の起床ラッパに始まる。点呼のあと朝食をとり、朝礼をする。日本とイラクの国旗を掲揚し双方の国歌を吹奏して、各自の任務につく。昼食休みがあり、終礼は夕方5時が目処だ。両国の国旗を降ろし、再び国歌を吹奏。そしてこのときに1日の終わりの“癒しの時間”を設けた。
番匠群長が語った。
「毎日1曲、隊員のリクエストに基づいて皆の聞きたい曲をトランペットで吹かせたんです。これがとても評判がよかったんですよ。実はイラク派遣が決まったときから、私はラッパ吹きの名人を連れて行こうと秘かに決めていたんです」
丸顔の番匠群長が嬉しそうに笑う。
隊員たちの士気を保つために、番匠群長は、朝礼で、日本で自衛隊の活動がどう報じられているかを話してきかせた。「自分たちは独りではない」という気持ちを持てましたと宮嵜浩一中隊長は語った。番匠群長は、部下の指揮官たちにジョークを勧めた。笑いは緊張をほぐし、困難を乗りこえる心の余裕を生み出してくれる。
多国籍軍参加の是非
また、規律を形で表わすためにも、宿営地のなかの、整理整頓を徹底させた。軽装甲機動車はじめ全車輌を、誤差1インチ(3・3センチ)以内で整列させ、資材も隊員のベッドも秩序正しく整頓させた。その様子はオランダ軍をはじめ他国の軍関係者らの驚嘆の的だったという。
「整理整頓された状態が最も安全で機能的なのです。いざとなれば部隊は緊急展開します。その瞬間に混乱に陥ったり、動作に余計な時間をかけないようにするためには秩序は最善の効果を発揮するのです」
ライオンはロバの働きをすることは出来るが、その反対は不可能である。一見平穏にみえるサマワで、平和を構築する任務についているからといって、平和時だけに対応出来る装備や心構えでは駄目なのだ。
3カ月が終わって、自衛隊はイラク国民に最も感謝される活動を展開したと評価された。武士道の国の自衛官たちは任務を全うしたのだ。そしていま、小泉純一郎首相は多国籍軍に自衛隊を参加させると公約した。自衛隊は、全体を指揮する米国軍の指揮下に入らず、危険な地域にも行かず、日本独自の指揮で展開するという。そんなことが実態として可能なのかと疑ってしまう。
多国籍軍に自衛隊を参加させることは日本の国策のまさに大きな転換である。そこまで踏み込むならば、集団的自衛権を認める方向で政治判断を明示し、憲法9条を見直すことが必要だ。それをせずに、前述のような言い繕いをするのは、旧社会党並みではないか。旧社会党は旧ソ連や北朝鮮や中国によい顔をみせ、日本に戻ると奇妙な理屈でごまかした。小泉首相は今、かつての社会党と同じことを米国向けに行っているにすぎない。米国によい顔をして、日本国内で言い繕っているのだ。そんなごまかしと騙しのなかで多国籍軍に組み入れられるのでは自衛官が可哀相である。また、それは国民への背信である。