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2004.06.17 (木)

「 手の内全て曝け出した小泉外交 」

『週刊新潮』 2004年6月17日号
日本ルネッサンス   第120回

小泉純一郎首相の5月22日の訪朝は、世論の非常に高い支持を受けた。だからといって小泉再訪朝が日本外交史に残る汚点であることに変わりはない。

首脳会談では首相の右隣に坐って一部始終を見守った山崎正昭官房副長官が帰国直後に多くの取材に応じ、交渉は北朝鮮ペースだったことを認めたが、なぜそのような展開になったのか。

官邸から外務省に小泉首相自ら訪朝する、ついては準備を整えよというはっきりとした指示が出されたのは4月末だった。4月27日、田中均外務審議官と藪中三十二アジア大洋州局長が官邸に呼ばれ、28日にも田中氏が官邸に呼ばれている。指示はこのときに出されたとみられる。

5月4、5の両日、田中、藪中両氏は北京で日朝政府間協議を行った。相手方は鄭泰和日朝交渉担当大使、宗日昊外務省副局長らである。第一日目の協議を終えた藪中局長は、首相の訪朝もあり得るかとマスコミに聞かれ、具体的なコメントは一切さけたが、実はこの席で、日本側は小泉首相が訪朝することを伝え、その条件を詰めようとしていたのだ。首相訪朝については、『産経』が「首相周辺」の話として5月5日の朝刊で早くも報じていた。

日朝関係に詳しい政府筋は、藪中、田中両氏が小泉訪朝の意向を伝えると、北朝鮮側は大層喜んだという。首相が乗り込んでくるからには条件は厳しくなる。北朝鮮側はなんとその席で、3,000乃至4,000億円の援助をふっかけた。それだけ北朝鮮側は強気だった。言いかえれば、日本側が足下を見られていたのだ。

会談後、宗日昊副局長は「話し合いは進展した」と高揚した口調で語ったと伝えられたが、日本国の首相の再訪朝という形で、北朝鮮が外交慣例上異例の“勝利”を手にし、常識外れの援助の要求まで突きつけることが出来たからこそ、宗副局長の誇らし気なコメントが出てきたのであろう。

“議事録”に見る小泉失策

日本側が約束した食糧25万トンは、国産のコメであれば700億円を超える額になると言われる。コメではなくトウモロコシなどをあてると、政府は後に発表したが、それでも70億円見当だ。加えて1,000万ドルの医療支援は11億円である。竜川駅の爆発惨事に関しての日本の人道援助は10万ドル(1,100万円)である。小泉首相が約束した援助が“人道”の枠を大きく超え、竜川とは比較出来ない規模になったのは、5月上旬の北京協議での3~4,000億円の要求が反映された結果だと考えられる。

北京の政府間協議からわずか8日後の13日には、22日の訪朝日程が決定されていたが、この件は、驚くことに川口順子外務大臣らにも知らされていなかった。川口外相はG8出席のためワシントンに滞在中で、同行していた西田恒夫総合外交政策局長はじめ全員が、首相訪朝を記者発表で知らされた。本来北朝鮮問題の直接の担当者である伊藤直樹北東アジア課長も何も知らずに北京での6カ国協議に出席中だった。氏は13日に急遽、東京に呼び戻された。

発表から8日後の22日に首相は慌しく平壌に出かけたが、一体どんな首脳会談だったのか。

小泉・金正日会談の議事録は10部程作成された。ワープロ打ちされた4ページにわたる横書きの議事録には各々番号が打たれ、官邸と外務省の中枢メンバーが厳重に管理している。2桁のセットの書類が作成され2桁の人々が保管しているわけだ。極秘にしては、多人数に資料が渡りすぎている。情報管理が甘いと言われる日本ならではの現象であろう。

政府筋の人物が語った内容には驚くばかりである。議事録には22日午前11時に首脳会談が開始されるや否や、日本側の条件を全て話してしまった首相の様子が記録されているというのだ。首相は、これが国民の生命と人生がかかっている重大な交渉の場であるにもかかわらず、条件を全て、最初にしゃべってしまったわけだ。つまり、訪朝は日朝平壌宣言の再確認のためであり、拉致問題の解決をはかりたい、援助は食糧25万トンと医療支援1,000万ドル、平壌宣言を北朝鮮が守れば経済制裁はしないということまで、持てるカードを全て、テーブルに並べたのだ。これでは交渉でなくお願いである。

あまりに稚拙な小泉外交

横田めぐみさんら死亡または不明とされた10人について、首相は“家族が生きていると信じている”からとして、再調査を依頼した。

金正日総書記は援助に感謝し、家族が離散状態にあるのは良くないと述べ、「あのとき(2002年9月17日)全てきれいにしたつもりだったが、その後事態が複雑になった」「日本側が納得しないなら、一旦白紙に戻し、直ちに再調査を命ずる」と述べた。

「ご家族が10人の死亡を信じていない」との表現で10人の再調査を依頼したことなどは、帰国直後の首相も述べているが、議事録が示すこの場面の首相の姿勢は信じ難い。小泉首相は全て、聞きっ放しで終わっているのである。随行した藪中局長も、田中審議官も、メモさえ入れていない。安倍晋三氏でも同行していれば、サッとメモを首相に渡して、めぐみちゃんや、有本恵子さん、増元るみ子さんや市川修一さんらについて追及出来たかもしれないが、外務官僚たちは何ひとつ注文をつけていない。

ジェンキンス氏に関してのやり取りも赤面すべき内容である。

小泉首相の平壌到着後間もない9時半頃には、ジェンキンス氏ら3名は迎賓館に入っていた。首脳会談で首相が家族を連れて帰りたいと要望、金正日総書記はジェンキンス氏は日本に行きたくないと言っていると指摘し、「何なら説得しますか」と問うている。首相は「是非」と答え、「了承したら一緒に連れて行ってよいか」とも尋ねている。金総書記はふたつ返事でこれを了承した。

ただ、本人が日本行きを嫌がっているので北京で家族4人がゆっくり話し合うのもよいだろうと金総書記が言い、小泉首相は「それもひとつのアイディアだ」と応じた。

会談を終えて帰り際に金総書記は「北京であれロシアであれ、好きなようにしたら良い」と述べた。首相自らジェンキンス氏の説得を試みたが、曽我ひとみさんの反対がなければ結果は北朝鮮側の考えた形に落ちついたことだろう。こんな醜悪な外交があるだろうか。議事録が示しているのは交渉材料を最初に全て明らかにしてしまうほど、日本国の首相は愚かだということだ。困窮し尽くしている北朝鮮だからこそ、経済制裁や特定船舶入港禁止法案の成立を恐れた。恐れたからこそ、交渉に応じた。この理屈さえ理解出来ずに乗り込んだ小泉首相は、まさに「子供の使い以下」なのだ。

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