「 外交目的は国交正常化でなく国民の奪還であるはず 家族会への非難は本末転倒 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年6月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 545
小泉純一郎首相が北朝鮮から連れ戻した5人の子どもたちの姿が初々しい。おじいさんが、孫たちの奪還を機に、願をかけて断っていたお酒を四半世紀ぶりに飲んだ。「五臓六腑に染みわたった」という言葉にも喜びが溢れていた。
子どもたちが帰国した5月22日以来、多くの人びとがそうした喜びを分かち合っている。小泉首相の再訪朝を高く評価していることは、10ポイント近くも上昇した首相への支持率に示されている。しかし驚いたのは、その世論が、家族会への批判を強めていることだ。
家族会には、22日夜からメールが500件、電話が100件ほどあり、4分の3が「首相に感謝の言葉がない」「拉致被害者の帰国を喜ばないのか」などの非難だったと報じられた。だが、私はあえて、首相を厳しく批判した家族会を擁護したい。彼らの首相批判は当然だからだ。
小泉首相の平壌(ピヨンヤン)再訪の目的は何だったのか。5人の子どもを取り戻すためなら、国際社会の外交慣例を無視してまで首相が行く必要はなかった。民主党の松原仁衆議院議員は昨年末、自民党の平沢勝栄衆議院議員とともに北朝鮮側と接触した人物だが、25日、こう語った。
「われわれは日本から政府高官を迎えに出す案はどうかと論じたのです。政府高官は官房長官以下という意味でした。首相が出向くケースは、日朝双方ともに考えていなかったと思います」
自分でなければダメだと言われ、ずっと前から再訪朝するつもりでいた、だから準備不足の批判は当たらないと首相は語ったが、ならば、後述する準備不足をどう説明するのか。首相は北朝鮮が8人もしくは5人を返す意向であることを確認したうえで、自ら行くことを決断したのであろう。子どもたちを連れ帰れば、たとえ日朝の外交関係で日本が通すべきスジを通さずとも、必ず支持率は上がると踏んだのか。勝負師としての勘の冴えわたりである。
結果、首相の展開した外交は、大事な点でおよそすべて失敗に終わった。
“死亡”“記録なし”とされた横田めぐみさんら10人の消息は「再調査する」と言われただけである。首相の準備が本物なら、「再調査しなくとも事情はすべてわかっているはずでしょう。貴国が拉致し、貴国が彼らを管理し監視し続けてきたのですから」と追及できたのではないか。また、めぐみさんはじめ市川修一さんらについては、日本で報じられてきた生存情報を示しつつ、突っ込むことが出来たはずだが、それはしていない。
首相は今、10人の件は国交正常化交渉のなかで解決すると言っている。大目的を間違えてはならない。国交正常化が日本の目的ではない。国民の奪還こそが重要で、首相の外交は本末転倒だ。また、10人のみならず三ケタの特定失踪者のことは事実上、問い質してはいない。
この拉致国家に首相は1,000万ドル、11億円の医療援助と25万トンのコメ、最低70億円、最大で700億円の援助を約束した。明らかに人道支援の枠を超える。首相はまた「平壌宣言の遵守を前提として経済制裁は行なわない」と言明したが、同宣言は、それが署名された2002年から今までまったく守られていない。首相は偽りと知りながら平壌宣言に署名した金正日総書記に質すべきだったのに、経済制裁しないと言って不必要な譲歩をした。
これでは家族会の憤りも無理はない。私たちは、目に見える子どもたちの帰国の喜びを分かち合いつつも、この喜びの陰に隠れてしまいがちな首相訪朝の失態をよく見なければならない。目には見えにくいめぐみさんら10人と三ケタの特定失踪者の問題を含めて、総合的に小泉外交を分析しなければならない。家族会に非難を集中させるのはおかしいのだ。