「 金丸以来進歩なし、小泉訪朝 」
『週刊新潮』 2004年6月3日号
日本ルネッサンス 第118回
5月22日の小泉首相の北朝鮮再訪問は、明らかな失敗だった。
帰国した5人の子供たちの素直そうな佇まいと、親子が揃った場面での笑顔が唯一心を和ませてくれる。この5人の帰国を除けば、肝心なことは解決されていない。そのうえに、援助まで約束した小泉外交の失敗の形は、14年前の金丸信氏を団長とする訪朝の失敗と重なってくる。
90年9月に訪朝した金丸氏らの目的は、当時無実の罪で北朝鮮に囚われていた第一八富士山丸の紅粉勇船長と栗浦好雄機関長の解放を求めることだった。また、有本恵子さんの母親の嘉代子さんは金丸氏に同行して北朝鮮を訪れる自民党幹部の石井一氏に恵子さんの消息を是非、北朝鮮側に尋ねてほしいと懇願していた。
嘉代子さんは1988年9月、恵子さんと石岡亨さん、松木薫さんの3人が、“事情あって”“平壌市で暮らして居ります”という手紙を受けとっていたのだ。
金丸氏らは、自民党、社会党、朝鮮労働党の3党共同宣言を発表した。共同宣言の文案は、日本側の準備不足のなかで、帰りの時間に追われてまとめられたため、北朝鮮の主張は十分に盛りこまれたが、日本の主張は反映されない内容となった。
そこには、日本の36年間の植民地支配について金丸氏が「深く反省する謝罪の意を表明」、この36年間と南北に分断された戦後の45年間について、日本が「十分に補償」する旨書き込まれていた。
しかし、最重要問題だった第一八富士山丸問題、紅粉、栗浦両氏の解放には、全く触れていなかった。北朝鮮が紅粉、栗浦両氏を不法に逮捕し、裁判にもかけずに有罪としたことの非は言及もされず、共同声明ではなかったことにされたのだ。
そのかわり、紅粉、栗浦両氏については、金日成、金丸、田辺の三者会談で口頭で触れている。金丸氏が金日成主席のカリスマ性に魅せられ感極まって泣いたことは周知の通りである。金丸氏が「泣けるような気持」になったと語った金日成主席との会談の席で、社会党の田辺誠副委員長は富士山丸の2人の解放について「(金主席の)大きな理解と寛大な決断に感謝します」と語っていた。
金丸訪朝団が帰国した翌月、小沢一郎氏と土井たか子氏らが自社両党を代表してピョンヤンに迎えにいく形で、紅粉、栗浦両氏が解放され、帰国した。が、そのときも日本側は北朝鮮の非を指摘することもなく、逆に「長年、日本国民をお世話して下さり感謝する」と礼を述べた。
そして、有本恵子さんについては、どの時点の対話でも全く、一言も、触れられなかった。
こうしてみると、2002年9月17日の小泉首相の訪朝と金丸氏の訪朝には共通点が多い。
犯罪に触れず援助のみ
まず、政府の正式の窓口、外務省の頭越し外交であることだ。金丸氏訪朝のときも、外務省は反対した。今回、藪中三十二アジア大洋州局長が首相の命によって動いたとはいえ、飯島勲首相秘書官が「陣頭指揮は首相」と述べたように、全ての判断と指示は首相からのトップダウンだ。福田康夫官房長官は首相の独断外交に抗議して辞任したと言われている。
私は福田氏や外務省の外交政策には強い不満を抱いている。が、金丸氏や小泉首相のように、個人的思いつきのレベルで外交を行うことには、断じて反対である。両氏に外交についての識見や綿密な戦術も長期の戦略もあるとは思えない。単純な考えで展開して、日本の国益を守れるほど、北朝鮮は甘い国ではない。
第2の共通項は、共同宣言には、日本側の謝罪を書き込むばかりで、北朝鮮の犯罪には一言も触れていないことだ。2002年の平壌宣言に拉致の文字が入っていないことは周知のとおりだ。首脳会談の席で、金正日総書記が拉致を認め謝ったのは確かであろうが、自分の非を明文化しないのが北側の常套手段だ。日本は90年に続いて、再び、北朝鮮の同じ術中に落ちたのだ。
第3は、終わってみれば、法的にも道義的にも拘束力をもつ文言として残ったのは、日本の謝罪と賠償の約束のみという結果だ。小泉首相は、今回約束した25万トンのコメは人道支援だという。だが、25万トンの値段は、日本米か、タイ米か、古米かなどによって大きく異なるが、少なくとも70億円、最大で700億円にもなるといわれる。コメを船で運ぶ費用も膨大である。竜川駅の惨事に、日本政府は10万ドル(1100万円)という妥当な人道援助をした。だが、今回の70億円を超えるコメ支援とその他に約束された1000万ドル(11億円)の医療援助は、帰国した5人の子供の見返りと思われても仕方がない。事実上の経済援助であり、金丸氏の約束した賠償と同じ性格だ。
劣化する日本の外交
もうひとつの共通点は、責任ある日本国政府として北朝鮮側に言うべきことを言わなかった点だ。金丸氏のときは有本恵子さん、今回は横田めぐみさんはじめ10人の未帰国者と3桁の数の特定失踪者である。
同行した山崎正昭官房副長官は、首相は10人の件については、はげしく繰り返しやり合ったと述べている。だが、会談時間は通訳の分を除けば45分間だ。半分は核とミサイルに費やしたそうなので、残りは20分強だ。それでどれだけ“はげしく、繰り返し”議論出来たのだろうか。
元々、10人に関しては、家族の側から150項目の質問が出されている。それに答えもせず再調査すると言っても、信用は出来ない。また山崎副長官や首相の発言からは、3桁の特定失踪者について問い合わせたことは伝わってこない。
もうひとつだけ共通項を指摘しておく。2つの会談には北朝鮮側のエージェントと言われる人物の影がちらつくことだ。正式の外交ルートを通さずに日朝交渉が行われた背後には、両国をつなぐブローカーのような人々の存在がある。そのひとりが、吉田猛氏である。氏の名前は95年3月の与党訪朝団に、加藤紘一自民党幹事長の事務所スタッフの名刺をもって参加していたことから急浮上した。吉田氏は首相の意を受けた平沢勝栄氏らと北朝鮮側との接触の場にも同席していた。朝鮮問題研究家の久仁昌氏が95年12月号の『文藝春秋』に吉田猛氏の父親の龍雄氏について報じ、龍雄、猛の親子2代にわたって第一八富士山丸問題に関わっていたことを示唆している。
こうしてみると、日本の北朝鮮外交は金丸訪朝の失敗のときから一歩も前進しないどころか、またもや同じ過ちを繰り返していることが見えてくる。小泉氏は首相に就任しても、過去の事例から学ぶことがなかったのだ。14年前、北のエージェントの誘いに乗せられたのは自民党の実力者だったが、今回は、日本国政府のトップだったことになる。14年前に較べて、日本国の北朝鮮外交は、より劣化したということだ。