「 なぜ民主党は選挙に弱いのか 」
週刊新潮 2004年5月6・13日号
日本ルネッサンス 第115回
国家らしい国家になりたい。4月25日の衆議院統一地方補選の結果はそんな有権者の声を表しているようだった。埼玉8区、広島5区、鹿児島5区の全てで自民党候補者が勝利したのは、小泉政権の、内政はともかく、外交、安全保障政策への根強い支持があったからだろう。
内政に強い民主党から見れば、どうにも理解し難い結果だったのではないか。選挙直前に3閣僚の国民年金保険料未納問題が発覚し、国民は自民党政治への根強い不信を抱いた。未納3閣僚は、自民党の次期総裁候補にもあげられる麻生太郎氏をはじめそれなりに認められている人々だ。決して自民党のなかの“鬼っ子”でも変人でもなく、全員、主流を構成する人々である。その3氏が揃って陳謝する姿は、国民の側に形容し難いほどの落胆を広げたはずだ。
国民に、年金保険料を支払え、20歳になったら全員加入せよなどと言いながら、政治家が保険料を納めていなかったことへの反発の強さは、保守地盤の富山市で開かれた自民党県連パーティの様子からも窺える。未納閣僚の中川昭一経済産業大臣が挨拶を始めたところ、激しいヤジが飛び続けたという。麻生氏もまた、24日に予定されていた補選の応援演説をとりやめざるを得なかった。
この反発は年来の政治、行政への根強い不信と背中合わせなのだ。国民が老後のために積み立ててきた年金資金は、全国13箇所の大規模年金保養基地「グリーンピア」をはじめ、全国265にものぼる年金福祉施設で無残にも無駄使いされてきた。採算のとれない施設が投資総額の1%か2%というような値段で叩き売られるのに、国民はなす術もなく、ただ呆れるしかなかった。国に老後の支援を期待しても碌なことはない。そう感じるからこそ、37・2%もの人たちが国民年金保険料を払わないのだ。全体の約4割が保険料を払わないシステムなど、機能するはずがない。社会保険庁は悪質未納者の預貯金を差し押さえるという懲罰的な措置も取り始めたが、現職閣僚が払っていないのでは、そんな差し押さえを続けるわけにはいかないだろう。保険料値上げも国民の負担増加も、以ての外である。
民主党への不満の根源
国民生活に密接する問題での小泉政権の政策は、どうみても欠陥が目立つ。
道路関係4公団の民営化法案も、同様である。小泉首相は成功だと言い続けるが、看板と中身は似ても似つかない。改善ではなく、改悪であるのは明らかだ。自民党の国内政策は国民の利益を反映しておらず、政権に長く居続けたことによって生じた既得権益グループの利益を代弁するものになってきているのだ。民主党にとって、有権者の共感を得ながら、自民党と政策論争を展開し、追い詰めていくのはそう難しくはないはずだ。むしろ非常に攻めやすい法案だと思えてならない。
政権政党でない民主党は、利益団体との腐れ縁がないだけに、自民党よりもはるかに合理的、かつ国民の利益に適う政策を作り、実行することが出来るはずだ。
それでも、選挙に勝てないのはなぜか。民主党の政策が独立した国家を担っていく政党に相応しくないからである。
日本国民の、国家や安全保障への目醒めは、北朝鮮に拉致された人々の存在を認識するところから始まったと思う。戦後の他力本願の外交や安全保障政策にとどまる限り、国民は守ってもらえないのだということをはっきり日本人に突きつけたのが、拉致問題だ。内政においては殆ど評価出来ない小泉政権だが、外交・安保については、そのような国民の自覚に敏感に応えてきた。満点ではないが、小泉外交の政策は、日本が独立国になるのに必要な政策であり、それは国民の望む政策でもある。
イラク問題では米国との同盟関係を基調に置き、自衛隊を派遣した。人質がとられたとき、人質解放に全力を尽くすと共に自衛隊は撤退しないと明言した。自衛隊を軍隊として認めるべきだと主張し、集団的自衛権も認めるべきだと明言した。憲法9条も改正すべきだと言いつづけている。
こうした政権の意思表示は、これまでの日本に欠けていた国家としての資質を築きあげていくことにつながる。日本が国家としての資質をひとつひとつ喪失させられてきた戦後の歴史の悲劇を、是正し、乗り越えていくことにもつながる。民主党は、しかし、外交、安保政策では自民党とは対照的で失望の連続である。
政権政党へ脱皮する条件
人質問題がおきたとき、岡田克也幹事長は、自衛隊は撤退すべきだと考えるが、人質問題に関連づけてそのような主張をするつもりはないと述べた。これはこれで正論である。他方で菅直人代表は自衛隊を撤退させよと語った。党としての意見がバラバラなのだ。また、犯人グループの圧力に屈するような菅氏の発言は、民主党への期待を空しく白紙撤回させる類のものだった。さらに、民主党が未だに国連待機軍の創設を主張するのはどういうことだろう。日本の国際協力の主軸を国連と国連軍において、どのような展望が開けるというのだろうか。国連は日本人が夢に描いているような組織ではない。メンバー国の利益を常に公正に実現してくれるわけでもない。国連は、各国が国益を賭けた熾烈な戦いを、言葉と知恵を絞って展開する場である。それ以上でもそれ以下でもないと考えておくべきものだ。その国連に設置する国連待機軍こそが日本のとるべき道だという主張は、かつての社会党の非武装中立にも似て、非現実的であり、過剰な期待である。
憲法改正に関しても民主党の政策は不明朗だ。党内の護憲の人々の手前、党としての政策が明快になりにくく、有権者には理解されないのだ。
さらに、民主党は、真に人間を大事にしていないのではないかと思えてならない。自民党が人材を大事にしているかといえば、必ずしもそうとも言えないけれど、民主党の場合は大いに疑問だ。たとえば、党内の“次の内閣”には各省の担当“大臣”が決められているが、昨年11月の衆院選挙では、政権を取った場合の閣僚候補に外からの人材を入れた。次のキャビネットの人たちよりも“新しい血”が必要だというなら、それもよいだろう。
しかし、選挙後、民主党に協力した外部の人材はどうなったか。放置され、民主党の政策立案に関与しているわけでもない。これでは一時的な思いつきで、人材の使い捨てである。長期の視点も戦略も欠いたこのような姿勢が、国民には、民主党は政権政党にはまだ遠いと思わせてしまうのだ。独立国日本の国家像を論じ得ないのは、民主党自身が政権担当能力を身につけていないからだ。国民はそこをしっかり見ているのである。