「 緊急事態でも原則は2つある テロには絶対に屈しないこと そして『自己責任』の認識 」
週刊ダイヤモンド 2004年4月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 540
「自分で行ったのなら自分の責任ですよ。ご本人もご家族もまずそう認識しなくちゃ」
イラクで人質になった邦人3人についてこう語ったのは、先の戦争を体験した世代の女性たちだ。外地で、または国内で敗戦を迎えた年配の女性たちは、戦争の時代を生き抜いてきた。戦争という大きな節目を、国家とともに体験しながらも、そのなかで自分と家族を守るにはどんな注意を払いながら暮らさなければならなかったかを、身をもって体験した人たちでもある。
目隠しをされた3人の映像が流され、「解放の条件は自衛隊の撤退、期限は3日、期限内に自衛隊撤退がなければ、人質を生きたまま焼き殺す」という内容が脅迫文には書かれていた。ロイター通信が配信した犯人グループの犯行声明の訳文では、人質を焼いて食べてしまうという主旨が書かれていた。
いちばん若い今井紀明さんの母親の直子さんは、自分の子どもが生きたまま焼き殺されることへの恐怖を語っていたが、それは当然であろう。3人のご家族の心痛は想像に余りある。身内を案ずる心情を思えば、感情に駆られたかのような政府批判も仕方ないのかもしれない。
だが、これまで連日の新聞・テレビ報道は、イラクの危険性を十分に報じてきた。日々、軍人も民間人も命を落とし続けているイラクを、政府は“超危険地帯”と定義、最高レベルの“退避勧告”を計13回も出してきた。マスコミ各社も民間のガードマンを雇い、記者たちの取材は昼間の時間帯に限定しているところが多い。民間人が、ガードマンにも守られることなく行動するには、イラクは危険過ぎる。
そうした状況のなかで、3人はイラク入りした。彼らを止めることは誰にも出来なかったのだ。今井直子さんが、「行かないでほしいと泣いて頼んだけれど、子どもは言うことを聞いてくれなかった」と語ったように、あるいは高遠菜穂子さんの弟妹が、菜穂子さんが自分の意思でイラクに行ったことを認めたように、それは三人三様の自らの決定だった。
人間にはやむにやまれぬ想いがある。郡山総一郎さんはフォトジャーナリストである。彼にとって、今のイラクは、どうしても取材しなければならない対象だった。現地で3人に出会(でくわ)したという別のフリー記者によれば、郡山さんは「1人でもイラク入りする」と語ったそうだ。イラク取材が文字どおり命の危険を伴うことであっても、彼は、行きたいと考えたのだ。私はその気持ちを最大限尊重する。
イラクでは、毎日のように死者が出ている。6月の政権委譲を前に、各部族や勢力グループの戦いも、反米闘争も激しさを増すことだろう。そんな地に踏み込んだ勇気は、自己責任を伴ってこそ本物となり、尊敬すべきものとなる。
むろん、日本政府は日本国民の生命と安全を守らなければならない。最大限の努力をするのは当然である。同時に、小泉純一郎首相が「テロリストの要求には応じない、自衛隊は撤退させない」と明言したのも正しかった。なぜなら、この2つのことは別々の事柄だから。
今、3人のご家族の皆さんがすべきことは、自衛隊即時撤退要求を突き付け、政府批判を展開することではないはずだ。そのようなことこそ、犯人たちの思うツボである。人質を取られた各国の家族のなかで、犯人グループに対してよりも自国政府への批判を展開し、派遣した軍隊を撤退せよと要求した点において、日本の3家族とその支援グループは際立っている。
この緊急事態のなかで確認しておきたいことは2つだ。この事件が「自己責任」であること、テロには決して屈しないこと、の確認だ。イラク国民と穏健派に人質事件の非を訴え続けるにしても、右の2原則に則ってこそ、効果がある。