「 日本が譲れば、中国は驕る 」
週刊新潮 2004年4月8日号
日本ルネッサンス 第111回
台湾の陳水扁総統は、中国は、こちらが譲れば、さらにより多くを要求してくると述べたが、1972年の日中国交樹立以来の尖閣諸島に関する発言からもそれは明らかだ。
その意味で3月24日に尖閣諸島に不法上陸した中国人7人を、十分な取り調べもせずに送り返したことは、深刻な間違いだった。中国側の思惑に日本がさらに翻弄されていく結果につながるのみで、領土問題の解決には役に立たないだろう。
ネット上の中国人の反日感情は凄まじく、反日感情の醸成を国家戦略のひとつとしたのが中国政府である。その一端が『周恩来・キッシンジャー機密会談録』(毛里和子、増田弘監訳・岩波書店)からも窺える。
周知のように、キッシンジャー氏は、ニクソン大統領特別補佐官として1971年7月、極秘に北京を訪れ、周首相との会談を重ね、72年2月のニクソン訪中を実現させた。
約33年前の秘密会談から、両大国の胸深くに、特に、中国の胸深くに、日本への猜疑と嫌悪が渦まいていたのが読みとれる。会談から30年後に米国で公開された一連の記録には、非公開部分がある。71年7月の会談録は5カか所、削除されており、3カ所は日本と台湾に関する部分である。もう1カ所も日本関係とみられ、隠さなければならない生々しい発言の5分の4が日本関係だ。
公開部分にも、日本に関する不快な言及は多い。キッシンジャー氏は、機密漏洩を恐れて米国側の通訳を同行させず、中国側の通訳を使うほど、中国を信頼したが、日米同盟の相手の日本を全く信用していないのがよくわかる。また、周首相の日本への猜疑心はとどまる所を知らぬかのように繰り返し表現されている。
両氏は、「中国の伝統は膨張主義ではないが日本はそうなりかねない」との点で合意(前掲書38ページ)。さらに、「(米国が)日本の軍国主義者たちを再武装させ」「日本人は膨張に熱中」「平和に対して何という態度でしょうか」「これは脅迫でしょうか」(同27ぺージ)「日本軍国主義は復活しつつあります」(51ページ)、「日本はあまりに大きくなりすぎて、自分だけでは収まりきれな」い、「日本の天皇は、日本軍国主義を維持するこのシステムの基礎」(96ページ)などと随所で日本軍国主義を強調、こうも語っている。
「(日本の)野党の人たちがどうすべきかと我々に尋ねました。私は彼らに対して、日本が軍国主義を復活させないことを証明し、日本の人民は日米安全保障条約に反対しているのだからそれを廃棄すべきだと言いました」(97ページ)。
中国の首相に日本の安全保障の教えを乞う情けない日本の政治家の姿が浮かんでくる。以来中国へのおもねりは自民党中枢にまで広がった。日本を膨張主義と批判した中国こそが膨張主義であることも明らかになった。それが形になったのが今回の尖閣への中国人上陸と、7人を黙認した中国政府の姿勢だ。
実行犯は反日の英雄
3月24日早朝に中国人が尖閣に上陸、26日に強制送還されたニュースは、『BBC』が「deported without charge」、「おとがめなしで送り返された」と伝えた。
沖縄県警は、7人を取り調べ、送検する方針を固めていたが、政府の意向で突如覆った。しかし、政府は送り返しは沖縄県警の判断だという。言い訳と責任逃れは小泉純一郎首相以下、福田康夫官房長官ら政府首脳の卑怯である。一県警に責任をかぶせる手法も、日本政府の“おとがめなし”も国際社会では異常である。
7人は、送検されて当然だった。たとえば、その内の1人は、2001年8月14日、靖國神社の狛犬に、赤ペンキのスプレーで「死ね」と書いた犯人、馮錦華(フオンチンホワ)である。小泉首相が「どんな反対があろうと8月15日にはお参りする」と言いながら、13日に変更したまさにその翌日だった。
馮は現行犯逮捕で起訴された。事前に筆を数本も用意するなど周到な準備の末の犯行だったことも明らかにされ、馮は同年12月10日に、懲役10カ月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。狛犬の修復費用を弁償すると馮も、馮の日本人弁護士も靖國神社側に言明したが、今日に至るまで弁償はない。
判決の日から執行猶予3年であるから、本来なら今年12月10日には、期限が来ていたはずだ。しかし、馮は中国に戻り、執行猶予も中止された。中国で馮は、反日の英雄となり、上陸した尖閣では、日本側が建てた魚釣島の開拓顕彰石碑の表面に、「中国領」を意味する中国語を鋭利な刃物で刻んでいたと報じられた。
馮の反日の動きは、これだけではない。昨年6月23日にも、馮らは尖閣を目指し、日本の領海に侵入した。ただ、この時、海は大時化(しけ)となり船酔いで撤退した。
これが主権国家の姿か
この同じ人物が再び、日本の領土に侵入したのだ。逮捕し、取り調べ、容疑が固まれば裁判をし、刑事罰を科すのは当然だ。にもかかわらず、無罪放免である。これでは、中国人の日本への犯行は、執行猶予中の犯人の再犯でさえも許されることになる。日本は侵入されても物言わぬ国か。日本を、未来永劫、物言わぬ国にしておくために、中国政府は今回も強い態度に出た。「逮捕は日本警察による中国人拉致」と断じ、26日には「中国人は不幸な昔のことを思い出さざるを得ない」と中国大使館の黄星原参事官が述べ、第二次大戦と結びつけるいつもの批判を始めていた。
だが、歴史を振りかえれば中国政府が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは、石油が埋蔵されているとの海洋調査結果が出たあとの、1971年である。同年の米中秘密会談で、中国はニクソン政権の日本軽視と中国重視を知覚したはずだ。そうした状況で、周首相らは、翌年の日中国交正常化交渉で尖閣問題を持ち出した。田中角栄首相らは、外務省チャイナスクールの助言で、尖閣は日本の領土との主張を徹底する替わりに曖昧にした。中国側は中国領だとの主張を続け、92年2月、尖閣を中国領とする領海法まで制定した。
中国政府は戦略的国境論なるものを説く。国境とは固定されたものでなく、国の総合力で拡大も縮小もする、力があれば膨張するというのが中国の国境線なのだ。だからこそ、日本が譲るのは無意味である。
日本への強い猜疑心と日本をコントロールするとの中国の意図は不変だ。国家政策としての反日教育で、中国の13億人は反日を基調とする。日本の故なき遠慮は、彼らの主張の正当性を認めることになり、日本をさらに追い詰めるのみだ。
26日の閣議で中川昭一経済産業大臣が「(拉致で)人を盗まれ、次は領土を盗まれるのを放置しては主権国家としての在り方を問われる。政府は厳格に対処すべきだ」と発言した。正論である。小泉政権の中国外交は、根幹から見直すべきである。