「 東大総長vs千葉商科大学長 」
週刊新潮 2004年4月1日号
日本ルネッサンス 第110回
2人の学長の、道路公団民営化案への評価が対照的である。加藤寛千葉商科大学学長と、佐々木毅東京大学総長である。両学長は各々、『産経新聞』(3月12日)の『正論』と『東京新聞』(3月14日)の『時代を読む』に寄稿した。
両論文は、しかし、比較以前のもので、「小泉首相は『ショウグン』になれるか」と題された加藤論文は失礼ながら、民営化案そのものが理解出来ていないとしか思えない内容だ。加藤氏は同論文発表に先立って3月10日発売の『文藝春秋』4月号で、「改革者に辞任は許されない」とのタイトルで道路関係四公団民営化推進委員会の猪瀬直樹委員と対談した。ほぼ同時期の発表にもかかわらず、対談と『正論』で加藤氏は整合性を保ち得ていない。
まず、昨年の政府・与党民営化案について、加藤氏は、第二次臨時行政調査会の土光敏夫会長の言葉を次のように、引用した。
「狙いは六十点でいい。それを七十点、八十点にするのが審議会の力だ」(『文藝春秋』4月号 153ページ)。
さらに民営化委員長代理の田中一昭氏と松田昌士委員の辞任を「話の筋が通らない」「逃げちゃったでしょう」などと批判する一方で、猪瀬、大宅映子両氏に関して「辞任せずに残っていてくれたのはほんとうによかった、救われました」と述べている。
対談での加藤氏の主張は政府案は「60点」に達しており、これを「70点、80点」にしてくれるのが、猪瀬、大宅両委員というとらえ方である。ところが『正論』では「それにしても、道路公団改革も年金改革も六十点に達したかどうかは疑わしい」と後退した。
加藤氏は「分割」の意味についても明確に後退した。民営化で道路公団は3分割され3つの会社が誕生する。加藤氏はこれを『文藝春秋』で非常に高く評価したのだ。
「東京など都市部の人の最大の不満は、混雑した道路で我慢を強いられ、その料金で地方の道路を保障するというシステムです。これは分割によって改善される。大きな前進じゃないですか」(156ページ)、「私に言わせれば、『分割』さえ勝ち取れば、あとは民営化した会社の経営者が考えることです」(159ページ)。
加藤発言に先立って猪瀬氏も「分割でどんぶりが小さな茶碗になったことは事実であり、無駄な建設の抑止力になります」と語っている。
両氏は、分割が丼勘定の弊害を解消すると言う。だが、政府・与党案で生まれる会社は上下分離の構造の下で資産も債務も殆ど持たない。全ての高速道路資産と借金は保有・債務返済機構(以下、機構)が持つ。機構は独立行政法人で、実態は国である。3つの会社は機構=国の下で、高速道路を運営し、リース料を機構に納め、機構は3会社の高速道路の債務を一体として管理する。つまり、東名高速も北海道の高速道路も、全て一緒の財布で処理されるのだ。
この悪名高い丼勘定があるからこそ、道路公団は採算のとれない高速道路を作り続けることが出来た。政府・与党案ではこの丼の仕組みがそっくり残る。加藤氏も猪瀬氏も明確に間違っている。丼は茶碗にはならず、却って拡大される仕組みである。
学者としての筋を通せ
加藤氏はこの丼勘定についても『正論』で次のように見方を変えた。
「道路公団の分割によって新会社発足を認めたのは前進ではあるが、全国料金プール制をブロック同士で断ち切れるかどうかはこれからの議論対象とはいえ、新会社に道路建設の政府保証がなされ道路債務を一体管理するとなれば、プール制を断ち切ることは難しい」
幾つか前提を置いて、ストレートには表現してはいないが、まさしく、『文藝春秋』誌上とは反対の発言だ。分割で丼勘定は改善されるとの発言から、分割によってもプール制は続くと、明確に変わっている。
そこで加藤氏に問いたい。『文藝春秋』での発言と、『正論』で書いたことの相違をどう説明するのか。どちらが本意なのか。本意でない方の指摘を訂正し、学者としての筋を通すつもりはあるのかと。
加藤氏の迷走はさらに続く。大宅氏の名前で発表された2月21日の『正論』を「ぜひ読んでほしい」と言うのだ。
氏が推薦した大宅論文は、「プール制も既存路線に関しては残るところもあるが、新規路線は『東名のもうけで北海道に』ということにはならない」という支離滅裂な内容だ。大宅論文に対して2月27日付で屋山太郎氏が「大宅映子氏への反論」を書き、大宅氏の主要な論点を悉く打ち砕いた。3月23日時点で屋山論文に大宅氏が回答した事実はない。完全に論破され、答える術がないのであろう。
前述のとおり、プール制などについて、加藤氏自身、大宅論文の内容を事実上、否定しておきながら、「ぜひ読め」とは、如何なることか。氏が論理破綻し、迷走を重ねていると断じざるを得ないゆえんである。
民営化は“政治的大芝居”
さて、鮮烈な対照をなすのが東大総長佐々木毅氏の「道路公団『民営化』の後始末」と題した論文である。
「国が株式の三分の一を持ち、資金調達において政府保証をつけ、事実上、料金の全国プール制とでもいうべきものを温存させるかのような仕組み。その下で、新会社が国の高速道路建設計画に対して効率化を根拠にブレーキをかけることができると考えるのは、ほとんど空しい期待というべきである」
「この政治的大芝居によって多くの国民はみごとにたぶらかされた」
民営化案の本質を見事に抉った指摘だ。佐々木氏はさらに、偽りの民営化の「恐らく唯一の救い」は田中、松田両委員らの辞任であり、それは民営化案の「羊頭狗肉ぶり、空騒ぎぶりを浮き彫りにした」「この『率直さ』こそ、この政治的仕掛けの中で唯一光彩を放った政治的な徳であった」と評価した。委員に残って「政治的大芝居」に加担するより、辞任して、馬鹿々々しくも深刻な実態を世に問うたことを評価したのだ。学者としての厳しくも明晰な洞察だ。
ちなみに残った猪瀬氏は、国土交通大臣になりたいと欲し、2003年秋、小泉首相への働きかけを某有力人物に依頼した疑いが極めて高い。猪瀬氏はこのことを否定したが、私は取材して確かめた。詳細は『新潮45』4月号を参照してほしいが、この種の裏工作をする人物が委員に残ったことも佐々木氏の指摘した「政治的仕掛け」の一部と感じている。
今回の民営化案の失敗は、いずれ万人の目に明らかになる。そのとき、加藤、猪瀬、大宅三氏、さらには加藤氏の教え子で猪瀬氏の右腕となって猪瀬案作りに加わっている生島佳代子氏も、どう、釈明するのかを見守りたい。そして、加藤氏には、学者としての晩節を汚すことはおやめなさいと忠告するものだ。