「 公判停止でも見えたこと 」
週刊新潮 2004年3月4日号
日本ルネッサンス 第106回
「鑑定人作成の精神鑑定書などによると、現在、高度の痴呆状態にあると認定するのが相当で、心神喪失状態にあると認める」
東京高裁の河邉義正裁判長は、23日右のような理由により、安部英被告の控訴審公判の手続きを停止した。元帝京大学副学長で血友病治療の権威とされた安部氏を被告とする薬害エイズ裁判は、事実上終了する。帝京大学病院で亡くなった被害患者、水上健伍(仮名)さんの母親の秋子(仮名)さんが語った。
「薬害エイズがなぜ起きたのか、安部氏にはきちんと説明してほしかったと思いますが、もう正常な判断が出来なくなったと言われれば、法律上どうすることも出来ません。息子の霊前にはそう報告します。裁判が中止されても、私にとってはなにも終わらない。息子が戻ってこない事実は変わらないのですから」
それでも裁判の意義は大きかったと思いたいと、秋子さんは述べた。
「容易にはわからない事情や事実が裁判ではっきりしました。その意味で検察官と弁護団の皆さんには本当に感謝しています」
薬害エイズを生み出した官業医の三位一体構造の解明は、その一角である専門医ルートの解明が不可能にはなった。しかし、秋子さんが感じているように、法廷では多くの衝撃的な事実も明らかにされた。
たとえば1983年6月10日のミドリ十字社常務会の資料だ。そこには「厚生省エイズ研究班とのコンタクトを密接にし、情報を得るとともに当社に不利にならないよう(たとえばトラベノールに抜け駆けされない)働きかける」と書かれていた。
その下には、「エイズ研究班(安部先生)」として「須山副社長、後藤専務」、「厚生省」として「開発本部、東京事務所」とも書かれていた。安部氏担当に副社長と専務が指名されていることからも、ミドリ十字が安部氏の存在をいかに大きなものとしてとらえていたかが窺える。
「絶対に優位は与えない」
ストックホルムで開かれた世界血友病連盟(WFH)の会議についてもいくつかの点が明らかにされた。安部氏は「引率者」として若い血友病専門医らを同行、費用は製薬企業側が負担した。
同会議に参加した「十数人」の費用として、安部氏の主宰する家庭療法委員会名義の預金通帳から1316万1500円が旅行会社に支払われ、その支払いと重なる時期に血液製剤メーカー4社から1000万円以上が同口座に入金されていた(97年7月7日、東京地裁安部公判)。
この会議の総会に安部氏は日本の代表として出席した。総会では、「現時点では、治療の変更を勧告するに足る十分な証拠はない。個々の医師の判断に従い、現在の血友病治療を継続すべきである」との勧告がなされた。
同会議では、非加熱製剤を使い続けるべきだなどとは言われなかった。にもかかわらず、安部氏弁護人は97年3月10日の意見陳述で「WFH総会において、血友病に関する治療方針(非加熱濃縮製剤による自己注射プログラム)を継続する旨決議され…」と述べ、非加熱製剤の投与を続けた安部氏の立場を擁護した。また元厚生省生物製剤課長の郡司篤晃氏もこのストックホルム会議に留意した旨、語った。だが、医と官が非加熱製剤を続けた正当性の根拠のひとつとした同会議は、製薬メーカーの献金で参加したものであり、安部氏が日本側代表をつとめたものだった。
氏の日記も法廷で明らかにされた。
99年12月21日、証人台の郡司氏に検察官が尋ねた。
「証人自身は、83年11月当時、トラベノールに優位を与えないようにしようと考えたことはあったのか」「証人は84年初め頃の時点で、トラベノールの加熱製剤の臨床試験開始を遅らせようと考えたことはありますか」「証人は84年初め頃の時点で、トラベノールを血液製剤で日本から追い出せ、と考えたことはありますか」
トラベノール社はいち早く加熱濃縮製剤を開発しており、同社の製品が先に市場に出されれば、国内最大のシェアを持っていたミドリ十字は大きな打撃を受けると見られていた。
郡司氏はいずれも否定したが、検察官は次にこう尋ねたのだ。
「そのような趣旨が安部教授の当時の日記に記載してあるのですが、証人の当時の考えとは違うものですか」
心底驚いたのを今でも覚えている。安部氏の日記には次のように具体的に書かれていたことが明らかにされた。
「83年11月21日。午後はトラベノール来り。金を収めないことをいう。絶対に優位は与えない」
「84年1月24日。トラベノールが来て、一応の説明をした」
「ほったらかして置こう」
「84年2月2日。トラベノールが時間を気にしていたことをいう。今月中に各社のものをスタートするが、ト社のみは後らせる」
逆転の可能性はあった
また98年7月31日の松村法廷では83年6月のエイズ研究班の初会合の会話を録音したテープが再生された。法廷で聞いたテープは非常に聞きにくい音だったが、郡司氏が「緊急事態に超法規的措置をとるとしたら、どういう方法があるか検討している」との主旨で発言しており、氏が当初から迫り来るエイズに強い危機感を抱いていたことが明らかになった。
安部氏も初会合で「私は一人(エイズで)殺しているんです」「私は毎日、(非加熱血液製剤には)毒が入っていると思いながら注射している」「今も次から次に毎日注射している。明日にも(HIV感染者が)出るかもしれない」などと発言していた。秋子さんが語った。
「エイズ研究班が始まったばかりの83年6月に、毒を注射していると思う程の危険を感じていたのなら、なぜ、85年5月から6月に、私の息子に“毒入り注射”を投与させたんでしょうか。一言でも説明せよと言いたい。本当に口惜しいのです」
秋子さんの想いは揺れる。しかしその揺れる想いを乗り越え、彼女は前を見つめようとする。
「何も語らずに、安部氏はあのようになってしまいました。でも、公判停止を申し立てたのは、安部氏側も一審の無罪判決が逆転されると恐れたからではないですか」
刑事訴訟法は被告人の自己防衛権を尊重するために、心神喪失の場合には公判停止せよと定めている。これは自己を防御する力がないとき、被告人に不利な判決をしてはならないとするものだ。だが、反対に「無罪」や「刑の免除」など、被告人に有利な判決が「明らかな場合には」「直ちにその裁判をすることが出来る」とも定めている。被告人に有利な判決なら、被告人が心神喪失でも、裁判を続けてそのような判決を出してやりなさいという主旨である。秋子さんの感じたように、公判停止は「逆転」の可能性があったからとも言えるのだ。薬害エイズの真実を知るため、秋子さんはこれからも松村法廷に通うという。