「 安部氏 『心神喪失』 で公判停止か 」
『週刊新潮』 2004年2月26日号
日本ルネッサンス 第105回
2002年11月29日から始まった東京高裁安部英被告の刑事裁判の傍聴席に坐る被害患者の間には、回を重ねるにつれて、一種の希望が広がっていきつつあった。
河邉義正高裁裁判長が、薬害エイズ裁判の一審を担当した地裁の永井敏雄裁判長、上田哲、中川正隆両裁判官が全く聞こうともしなかった被害患者の証言に耳を傾けたことも、理由のひとつだ。
また、2003年11月18日と12月16日の2度にわたって、安部被告側の証人として出廷した風間睦美医師の尋問内容も、傍聴席を埋める患者や家族にとっては、安部氏を無罪とした地裁判決を覆す結果になるかもしれないという希望を抱かせた。
風間証人は、1984年11月に安部氏が主催した第4回国際血友病治療シンポジウムでエバット博士の論文発表を聞いた時点で、非加熱製剤の使用は中止すべきだと考えていたと、しぶしぶ、認めている。
実際には、非加熱製剤はこのシンポジウムのあとも処方され続けていく。そして、安部氏が起訴される原因となった水上健伍さん(仮名)の薬害エイズへの感染も発生した。健伍さんは、85年7月1日の加熱製剤の承認直前の5月12日、6月6日及び7日の3回にわたって非加熱製剤、クリオブリンを投与された。彼は右手首関節内の出血で治療を受けたのだが、これは血友病の症状のなかでも最も軽いもののひとつだ。それに対して、帝京大病院では合計2000単位もの非加熱製剤を処方した。安部氏の弟子で帝京大教授の木下忠俊氏は、一審での証言で、手首関節内出血の止血は、それほど難しくはなく、2000単位もの非加熱製剤は必要なく、止血は安全なクリオ製剤で可能だったと述べている。
繰り返すが、安部氏の二人の弟子は各々、84年11月段階で、非加熱製剤の使用を中止すべきと考え、健伍さんの手首関節の出血はクリオ製剤で十分だったと語るわけだ。にもかかわらず、2000単位の非加熱製剤が投与され、健伍さんは感染し、亡くなった。
なぜ、健伍さんにクリオ製剤は投与されなかったのか。風間氏は、安部氏がどれほど強くクリオ製剤を否定したか、証言した。
「安部先生の考えは、とにかくクリオの余地を残しちゃいけないという主張だったんです。(中略)とにかくクリオに対しては、先程から申し上げましたように、全くゼロ評価をしろということだったと思います」
風間医師が言及したのは、83年秋の頃の安部氏の考え方である。
対して、安部氏弁護人の弘中惇一郎氏が、「クリオに絶対反対である」という安部氏の発言は厚生省などを念頭において「政治的闘争の場」で「明確なことをいわなくちゃいかん」という理由から出た、いわば政治的発言ではなかったのか、「実際の血友病治療の場では」「(クリオを)使えるところはできるだけ使う」という考えではなかったのかと、問うた。風間証言を軌道修正しようとする弁護人の問いにもかかわらず、風間医師は再び強調した。
「あの時点では、(中略)クリオの存在余地はないというのが基本的であったし、私も、最初から最後まで安部先生はそういう意見であったと思います」
最先端情報は安部氏の元に
風間医師はまた、薬害エイズがおきた84年から85年にかけて、帝京大学病院で非加熱製剤の使用中止を決定出来るのは、「軍隊でいうと、指揮官にあたる安部教授だった」と証言した。
健伍さんが85年の5月中旬から6月まで、加熱製剤の承認を目前にしながら、3回も非加熱製剤を投与されたのは、安部氏が治療方針を変えなかったからだということにもなる。安部氏の責任がひと際強烈に照らし出された瞬間である。
この日、最後に河邉裁判長が風間医師に尋ねたことは、深い印象となって傍聴者の心に残った。
「一点だけ伺います。血友病またそれに伴ったエイズに関する諸情報について、最も入手することが出来た医師は、どなたになるわけですか」
風間医師は「最先端の情報が集められるということですね」と確認し、「それだったら、安部先生じゃないかと思います」と語った。
このやり取りは、地裁の永井判決を知るものにとっては非常に重要な意味を持つ。無罪判決の理由のなかで、永井裁判長らはこう書いた。
「刑事責任を問われるのは、通常の血友病専門医が被告人(安部氏)の立場に置かれれば、およそそのような判断はしないはずであるのに、利益に比して危険の大きい医療行為を選択してしまったような場合であると考えられる」
地裁判決は、ごく普通の血友病専門医でもしないような間違った判断をした場合のみ、安部氏は刑事責任を問われると言っているのだ。安部氏と通常の医師を同レベルに位置づけているわけだ。
「もう世間には見えている」
だが、安部氏は決して「通常の血友病専門医」などではなかった。「権威のなかの権威」として「天皇」とまで呼ばれ、畏怖された人物だ。風間証言の示すとおり、通常の専門医よりは、はるかに多く早く、最先端の情報を入手していた。だからこそ、責任も重いはずだ。河邉裁判長の問いは、その安部氏の立場を確認したものと思える。
傍聴席の患者や家族たちは、毎回、裁判の終わったあと、必ず皆で語り合う。そんな場では、地裁の無罪判決が覆されるかもしれないという見通しが少しずつ口の端にのぼるようになっていた。
そこに飛び込んできたのが、安部氏が心神喪失かというニュースだ。健伍さんの母親が語った。
「心神喪失で公判停止になり、裁判で白黒の決着がつかなくても、もう世間には安部医師には責任があるということが、見えていると思います。私はこの裁判に実質的に勝利したと思っています」
刑事訴訟法三一四条は、被告人が心神喪失ならば公判手続を停止しなければならないとしている。が、そのあとの但し書きを読めば、この法律がもう一歩踏み込んでいることに気付く。「但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、(中略)直ちにその裁判をすることができる」と書かれているのだ。
安部氏が高裁でも「無罪」になるのが明らかなら、本人が心神喪失でも裁判を続けることが出来る。公判が、弁護人らの申し立てどおり、心神喪失で停止されるとしたら、それは逆転有罪判決の可能性があるということにもなる。
誰しもが安部氏が元気で法廷で薬害エイズの真実を語ることを望んでいる。その可能性がないとしたら、長年傍聴を続けてきた者として、今は裁判所の決断を待つのみである。