「 政権政党に有利に働いた 『一票の格差』 の合憲判決 最高裁は厳しく自戒せよ 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年1月31日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 第528回
この国は異常である。異常に慣らされて、異常が常態となっている。国民はそのなかで、なす術もなく諦めてきた。
1月14日に最高裁が下した「一票の格差」についての合憲判決を、英訳し、国際司法裁判所に送ってみたら、どんな反応が戻ってくるだろうか。
法の下では万人は平等であり、有権者の一票の重みもまた、平等でなくてはならない。米国では、格差が10%以内はやむをえないとされている。英国のイングランドでは4%以内、他の地域は17%以内だ。ドイツでは許容される格差は15%以内、フランスは10%、イタリア15%、カナダ25%となっている。
日本での格差は506%、じつに5.06倍だ。先進国とは思えない異常値。それでも憲法違反ではないと、法の最高権威が断じたのだ。私たちの司法への信頼が揺らがないはずがない。
今回、町田顕裁判長以下15人の判事が最高裁大法廷で扱ったのは、2001年7月の参議院議員選挙のケースだ。格差が最大で5.06倍になったことなどを憲法違反として、有権者らが選挙のやり直しを求めていた。最高裁の判決は、今回で6回目である。
一票の意味は、周知のように、都市部で“軽く”、農村部で“重く”なる。都市部は人口増にもかかわらず、農村部は人口減にもかかわらず、定数が変わらないためだ。
日本が、万人の権利の平等を基本にした民主主義の国であろうとするなら、たとえば5年ごとの国勢調査時に、各選挙区の定数を見直してこなければならなかったはずだ。長年、格差問題が指摘されながら、その作業はまったく行なわれてこなかった。「一票の格差を考える会」代表で作曲家のすぎやまこういち氏は、次のように指摘する。
「現在、憲法で選挙区の区割りは立法府の裁量事項とされています。これは直接の利害者に裁量権を認めるもので、言い方は悪いかもしれませんが、泥棒に縄をなえという類いです。まずこの点について、私たちは憲法から変えていく必要があります。新しくつくる憲法には、格差は1.5倍以内と明記すべきでしょう」
昨年11月9日の衆議院議員選挙で見ると、高知一区では4万3,232票で当選できた一方、静岡5区では12万9,988票を獲得した人物が、比例で復活したものの、小選挙区では落選。すぎやま氏が指摘する。
「フィリピンのマルコス大統領は、失脚寸前に自分の勢力範囲である地元の票を2倍に水増しして政権を維持しようとし、国際的な批判を浴びました。日本はそれよりさらに悪いのです」
昨年11月の選挙では、自民党が制した144選挙区のうち、大都市型選挙区は24、圧倒的多数が農村型選挙区だった。一方、民主党が勝利した99選挙区のうち、58が大都市型だった。定数で自民党に有利な条件がつくられているにもかかわらず、小選挙区制の導入後3回の選挙で、自民党はまだ一度も単独過半数を取っていない。
では、格差2倍以内ならどうなるか。すぎやま氏らの計算では、15県で定数が1議席ずつ減少する。
この15県とは、岩手、山形、福井、山梨、三重、奈良、鳥取、島根、徳島、香川、高知、佐賀、熊本、大分、鹿児島である。一方、1議席増が北海道、愛知、大阪、兵庫、福岡、2議席増が埼玉、千葉、3議席増が東京と神奈川である。
議席減の15県には、自民党が議席を独占する県が多く入っている。定数是正に背を向けることは、政権政党の自民党に有利に働く。最高裁の格差合憲判決は、政権への配慮・遠慮であると考えざるをえない。
司法が三権分立のなかで独立し、正しい判断を下さずして、この国の政治の歪みが正されることはない。最高裁は、自らの果たすべき責任について厳しく自覚すべきだ。