「 もはや“特措法”枠内での自衛隊派遣にはムリがある 憲法解釈変更の機会とせよ 」
『週刊ダイヤモンド』 2003年12月20日号
新世紀の風をおこすオピニオン縦横無尽 523号
世論調査によっては、7~8割の人びとが反対を表明するなかで、小泉純一郎首相はイラクへの自衛隊派遣を決定した。日本の国益を考えれば、基本的に正しい決断だと考える。
首相は日米同盟と国際協調体制の重要さを強調したが、大前提として、イラクの一般国民の安寧と自由が守られ、その意思が尊重される体制を築き上げることへの助力の重要さがある。
サダム・フセインの支配でもなく、イスラム過激原理主義者の支配でもない民主的なイラクを築くための助力は、2003年10月の国連安全保障理事会で、15のメンバー国が全会一致で可決した決議1511号を支える精神でもある。同決議に基づいて、現在、38ヵ国の軍隊が治安回復と復興支援に従事している。
イラクで大量破壊兵器が発見されていないから、攻撃の大義はなかったのだとの批判がある。が、フセイン政権時代、生物化学兵器という大量破壊兵器が使用され、万単位のイラク国民が殺害された。
加えて現実を見れば、イラク国民の多数がフセイン政権打倒を歓迎しており、それはイラク国民への世論調査でも明らかである。
アジア経済研究所の池内恵(さとし)研究員が「諸君!」1月号で、日本でのイラク論が空転するのは、現実のイラク国民の議論に基づいていないからだと指摘している。氏は、「今回のイラク戦争に対する反対が最も少ない国とは、イラクであるといってよい。声高な反対が聞こえてくるのは、直接の影響が及ばない周辺アラブ諸国や西欧諸国からであるというのは皮肉な話である」と書いている。
イラク国民がフセイン政権の消滅を望みながら、それは外部の力によってしか具現化できないと観念していたことを踏まえなければ、真のイラク情勢は理解できないと、氏は強調するのだ。
日本のテレビ報道で映し出されるデモ行進も、英語で「米国は去れ!」などと大書きされていても、アラビア語のプラカードには「職を返せ!」「給料を払え!」といった内容が書かれている。それは、米国の力による国内情勢の安定化を求めるもので、米国の存在を大前提とした要求であるとの指摘は、イラク国民の心を推し量るうえで見逃してはならない。だからこそ、日本はなるべく早く自衛隊を派遣し、手を貸さなければならない。
イラクの民主主義を支援することは、テロ攻撃に苦しむ米国を支援し、テロ攻撃を是としない大多数のイラク国民の期待に応えることになる。そのことはさらに、日米同盟関係を強化することにもなる。
自衛隊を派遣すれば首都東京の中心部を攻撃する、との脅しに屈しないことは、北朝鮮をはじめとする少数のいくつかの国に対するメッセージにもなるはずだ。強く出て、強い要求を突きつければ、日本は言うことを聞く国だ、などと侮らせてはならないのだ。
小泉首相の決断は正しいと考えるが、冒頭に「基本的に」と書いて留保を付けた。イラク復興支援特別措置法に基づく派遣でよいのか、という疑いからだ。復興支援のために行くのであり、軍事攻撃のために行くのではないことはわかっている。だが、危険に遭遇するであろうことも明らかだ。その場合、派遣される自衛官の装備は十分なのか、危機に直面したとき、または危機を察知したとき、自衛官はどう行動すべきなのか、など詰めるべき点は多い。
イラク復興支援特措法の枠内で派遣するにはムリがあり過ぎる。この際、集団的自衛権は行使してはならないとの憲法解釈を変更し、小泉首相が集団的自衛権を認めるところまで踏み込むべきなのだ。1000人という戦後最大規模の自衛官派遣は、自衛隊のあり方を問い、憲法の欠陥と憲法解釈の歪(ゆが)みを問うきっかけになる。国としての日本の姿を問う機会とすべきだ。