「 党より個人で選べ、衆院選挙 」
『週刊新潮』 2003年11月06日号
日本ルネッサンス 第91回
北朝鮮の金容淳書記が交通事故で死亡したと報じられた。
氏は統一戦線部部長であり、日本関係では自民党をはじめとする政党との窓口を務め、朝鮮総聯や万景峰号問題も担務の内だ。昨年9月17日の小泉首相の訪朝も、北朝鮮側で取りしきった。拉致は作戦部の担当といわれ、金容淳書記は直接には携わっていないと見られているが、日本側に、どこまで拉致情報を出すか出さないかの判断に関わっており、拉致の詳細を知っていた人物だ。
金容淳氏は、かなりの額の外資を貯めていたとされ、98年4月頃から急速に力を失い、同年11月、統一戦線部長の職を解かれていた。彼の復権に貢献したのが実は日本とのパイプだと言われている。
99年12月に村山富市元首相を長とする訪朝団が実現し、野中広務氏らも加わった。98年8月31日に、北朝鮮は日本の太平洋側にテポドンミサイルを撃ち込み、時の官房長官野中氏は北朝鮮への制裁を発表した。しかし、村山訪朝を機に制裁は解除され、共同発表の文書からは、拉致という言葉も行方不明者という言葉も消え、「両国が関心を持っている人道問題」に後退した。これは北朝鮮側からみれば食糧援助に他ならず、翌2000年3月に、日本政府は10万トンのコメ援助に踏みきった。野中氏は自民党幹事長となっており、コメ援助はさらに続き、同年末に新たに50万トンが送られた。
村山元首相や野中氏等の北朝鮮政策も影響したのだろうか、力を取り戻したその人物の“交通事故死”については、さまざまな憶測がなされている。
現代コリア研究所所長の佐藤勝巳氏が語る。
「交通事故死でなければ金正日の後継者を巡る内輪争いに巻き込まれたのではないかと考えられています。例えば長男の金正男は後継者レースから脱落したと見られ、その件で恨みを持っているかもしれません。有力後継者と見られているのが、高英姫の次男です。正男は、英姫を身近に置いて自分の実の母を退けた父親と、父親の愛を奪った英姫に反発するだけでなく、父親の側近にも敵対心を抱いていると見られます」
正男氏が特別の行動をとらずとも、現在の北朝鮮には疑心暗鬼が渦巻いているだろう。金正日の妹、敬姫の夫の張成沢が、金正日の有力後継者と見られているとの情報が流され、正日総書記が張成沢を厳しく叱責したとも伝えられた。各国の情報機関が正日体制揺さぶりのために情報を流すのも、容易に想像出来る。脱北者もとまらず、北朝鮮の実態が日々曝露されるなかで正日総書記の戦術は極端にぶれている。6カ国協議で、北の安全を担保する文書を出す件について、烈しく反発したかと思えば、「考慮する用意がある」という。金正日体制の存続を唯一絶対の条件とする北朝鮮の死にもの狂いの駆け引きが続いていくのだ。
拉致解決を前面に出せ
その北朝鮮から拉致被害者を取り戻すのは容易ではない。だが、だからこそ、日本政府は拉致問題を前面に掲げ、この点は譲れないとの姿勢を示しておかなければならない。11月の衆議院選挙の大きな柱となってよい案件である。日本側の強い姿勢なしには、拉致問題は決して解決されないからだ。しかし、各党の選挙公約をみると、その点の意思表示が拍子抜けするほど弱いのだ。
最も力を入れているのは、それでも自民党だが、他政党は、拉致問題を重点項目としてあげているわけではない。だが、もともと、拉致に取り組んできたのは、個々の議員たちだった。政党は必ずしも力になってくれたわけではないのだ。ある政党などは、拉致被害者の家族が要請したにもかかわらず、一切助力しなかった。だが、世論が盛り上がったとき、拉致被害者を救出する国民大集会にグループで来て、壇上に上がり大きく手を振った。形だけはこうして取り繕ったのだ。
そのようなこれまで経緯を考えれば、拉致被害者の家族たちが、拉致問題に熱心に取り組んできた議員たちの応援に、個人ベースで馳せ参じているのもよくわかる。東京4区の山谷えり子氏、東京3区の松原仁氏、東京17区の平沢勝栄氏、大阪17区の西村眞悟氏らを筆頭に、熱心に拉致問題に尽力してきた議員は自民党、保守党、民主党とバラバラである。
横田早紀江さんが語った。
「毎年10月、11月になると、気がつくと涙が流れているのです。特にめぐみの好きだった歌やメロディーをきくと、涙をおさえきれません。この季節にめぐみがいなくなりましたからね」
国民を守る政治家を選べ
拉致から11月で丸26年、めぐみさんは39歳になった。四半世紀以上がすぎても、両親の悲しみは尽きることも薄らぐこともない。その早紀江さんが明るい声で語る。
「脱北した北朝鮮の元軍人が、市川修一さんと増元るみ子さんを知っていると証言していました。死亡したとされる79年より、ずっとあとの90年以降に見かけたと。すぐに市川さんに電話して、喜び合いました。きっと子供たちは生きていると信じて、私たちは毎日、自分を支えてきました。こうした私たちの気持ちを、もっと多くの政治家と、外務省に共有してほしいと思います」
鹿児島在住の修一さんのお兄さんの市川健一さんも語った。
「韓国に亡命したこの元軍人は、日本の民間テレビ局の取材で修一とるみ子さんの写真をみて、たしかに知っていると語っていました。90年7月から92年8月まで、自分が訓練を受けていた大学で日本語講師として働いていた。自分はその授業を受けたと言っていました。
韓国に亡命した元軍人の安明進さんは、88年から91年8月までに複数回、修一らを見ているわけです。今回の新証言で、2人とも生きていることをますます強く確信しました」
この種の心強い情報をもたらしてくれるのは、いつも民間人だ。韓国には日本の大使館もあり、外交官もいる。しかし、彼らの側からこの種の情報がもたらされることは殆どない。政府が認めている残り10人の拉致被害者の他にも、3桁にのぼる被害者がいると思われるが、その人々の調査も、荒木和博氏を筆頭に、るみ子さんの弟の照明さん等、民間人か、拉致被害者の家族たちである。
「だからこそ、僕らは、拉致問題に当初から熱心に取り組んでくれた政治家を大切にしたいんです。拉致に関して政治の風が吹こうが吹くまいが、国家として取り組まなければならないと考えて、行動してくれた拉致議連の人々には、本当にぶっちぎりで勝ってほしい。それが国民を大事にする政治、国民の生命と安全を守る普通の民主主義国になる道だと思っています」
照明さんの言葉は、政党で選ぶより、政治家個々人をよくみて選べと告げている。