「 日台を搦め捕る、中国柔軟外交 」
『週刊新潮』 2003年10月30日号
日本ルネッサンス 第90回
10月19日、バンコクで行われた米中首脳会談で、北朝鮮の「安全の保証」を文書化するとの米国提案が明らかにされた。「悪行には報酬は与えない」としてきたブッシュ政権の政策転換である。かつての金正日体制の否定から、金正日体制のコントロールへと実利を求めて変化したのだ。
具体的には、北朝鮮の求めていた米朝不可侵条約の締結には応じないが、代わりに日米中韓露などの合意を得て、北朝鮮の安全を文書で保証するというものだ。
米国はこの提案を19日のブッシュ・胡錦濤会談で初めて明らかにし中国の合意を得た。翌日の米韓首脳会談では盧武鉉大統領もこれを歓迎した。日本は福田康夫官房長官が早速、歓迎の意を表明した。具体的にどのような文書になるのか、また6カ国全てが署名するのかなど、詳細はこれからの課題である。ただ明らかなのは、米中関係がより緊密化し、中国の存在感が増幅するということだ。
ブッシュ政権は、戦後イラクの復興と治安回復のための予算870億ドル(9兆6,000億円)について米国上下両院でほぼ満額に近い形の承認を受けた。一方、国連安全保障理事会は、イラクの治安回復のための多国籍軍派遣や復興支援などに関する新決議案を全会一致で採択した。仏独露が派兵はしないと早々と宣言した一方で、米英両国を軸とするイラク占領統治が継続されるという実利を米国は手にした。また決議案には事実上の米軍指揮下での多国籍軍創設が盛り込まれている。米国案は修正されながらも肝心な米国主導の軸は残された。ブッシュ政権にとって、国連決議と関連予算の成立というイラク統治の大枠が整ったいま、手堅く北朝鮮を抑えておくのは実利に適う。十分な計算の末の北朝鮮政策の変更である。
米国の中国接近は戦術
米国の北朝鮮政策の“実行部隊”が中国である。バンコクで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)でも、中国の活躍振りが大きく報じられた。北朝鮮をコントロール出来るか否かが“大国中国”の力の見せ処でもある。中国の熱意も並ではない。バンコクで胡主席はブッシュ大統領に「争取」という強い言葉を用いて、「核問題の平和的解決を勝ち取る」と決意表明したそうだ(『日経』10月20日)。
中国は9月にも、中国共産党の序列第2位の呉邦国全人代常務委員長(国会議長)を北朝鮮に送り込もうとしたほどだ。狙いは北朝鮮問題で米国の要求を容れ、台湾問題で中国の要求を米国にのませることだ。
2002年10月25日のブッシュ・江沢民会談以来、両国は急接近し、中国は米国に台湾への武器売却の中止を求め続けている。8月7日号の小欄でも触れたようにブッシュ大統領は半歩、中国側に引き寄せられ、「台湾の独立に反対する」と述べてしまった。国務省は猛烈な勢いで大統領発言を軌道修正したが、米中両国の利害の一致は明かである。
米国の中東戦略遂行のためには北朝鮮問題を、当面、コントロールすることが重要である。とすれば、米中関係はより一層、協力関係を深めていくはずだ。そのことは、中国が台湾を抑えることにつながっていく。日本にとっては、アジアで最も親日的な国が、中国の力の下に入り、反日的になる恐れがある。台湾海峡も中国のコントロール下に入る。日本にとって好ましからざる同事態は、台湾にとっても死活的な意味をもつ。台湾に打つ手はあるのか。台北で李登輝前総統が語った。
「米国の中国接近は戦術です。戦略的には、米国は中国を敵と見做しています」
米中に短期的接近はあっても、長期にわたる接近はあり得ず、むしろ両国は対立構造に入っていくとの見方である。李前総統はこうも語る。
「2008年は北京オリンピック。2010年は上海万博です。国際社会にアピールする一連のイベントを前に、台湾に対する武力行使などは出来ない。そんなことになれば、中国が国際社会の非難を浴び、オリンピックも万博も失敗します」
中国外交に蝕まれるな
中国の戦術は、しかし、巧妙に変化を遂げてきた。強硬路線から柔軟路線への変化である。1979年12月旧ソ連がアフガニスタンに侵攻し、翌80年のモスクワオリンピックは日米を含む約50カ国がボイコットしたが、現在の中国はそんな力ずくの戦略をとる気配はない。中国は強硬策が却ってナショナリズムを高揚させ反中国の空気を強めることを学習済みだからだ。だからこその路線転換だが、中国のこのしたたかな柔軟さにどう対処出来るのか。李前総統が台湾側の問題点を指摘した。
「台湾の学生に、君は何者かと問えば、『自分は台湾人であり、中国人である』と答える学生が殆どです。『自分は台湾人』と言い切る学生は多くない。中国化された意識を変え、台湾人の自覚を育てる教育が必要です」
とはいっても、教育には時間がかかる。戦後の蒋介石政権の統治の下で中国化された意識を持つ国民が多数を占める現状で中国のソフト路線が好意的に受けとめられ、中国の覇権主義への警戒が緩められていけば、結果はおよそ明らかだ。
台湾にとって当面、最大の問題は、来年3月の総統選挙である。台湾人である陳水扁現総統が再選される可能性は必ずしも高くない。陳総統を再選させ、4年後に国民投票で独立を問うとの思惑も語られてはいるが、状況は極めて見えにくい。
ソフトな外交を展開し、朝鮮半島で米国への貸しを作って台湾への武器供与を縮小させ、台湾資本の中国市場への投資を増大させることで中国への経済的依存度を高めさせていけば、軍事力など使わずとも、台湾を搦め取る可能性は高まっていく。
台湾は日本にとって大切な友人であり、他山の石である。自国に依って立つ基盤を持たない国は容易に他国によって蝕まれていく。
小泉首相は、6カ国協議の再開に向けて中国に期待するなどの発言を繰り返したが、日中首脳会談では、「拉致問題は日朝の話し合いで早期に解決することを希望する」と言われ、事実上拉致問題解決への協力は断られた。共同宣言で拉致問題に言及することも中露両国の反対で実現しなかった。北京での6カ国協議の場では、まっ先に拉致問題に触れた米国も、今回は敢えて中露を説得することはなかった。利害の一致から接近する米中に較べて、日本は米中の谷間に取り残されつつある。この状況を打破するには、国益と国民を守るのは日本政府しかないという当たり前の現実に立って外交を行うことだ。いずれ北朝鮮への援助のおそらく最大の担い手となる日本であればこそ、経済力を含めた全ての日本の力を活用して、拉致問題の解決はじめ、国益を確保していく決意と決意を支える国の仕組みが必要だ。