「 急げ公団改革、原点を忘れるな 」
『週刊新潮』 2003年10月16日号
日本ルネッサンス 第88回
日本道路公団総裁の藤井治芳氏は、今日(10月6日)午前中に、石原伸晃国土交通大臣に辞表を提出するよう求められていた。だが正午になっても辞表どころか、本人の所在が掴めず、公団内部は、右往左往が続いた。一方、藤井氏はどこからか、午前11時半に国交省官房長に“辞表提出は差し控えたい”と通知してきたそうだ。国交省側は予想外の事態に慌て、解任不可避の事態となった。
改革の足を引っ張る悪役と見做されてきた氏は、身の処し方を誤ったまま、キャリアの幕を引くことになった。遅きに失した藤井氏更迭の決断といい、総裁の見苦しい身の処し方を抑えきれない公団の体質といい、改革の前途多難を示している。
今最も重要なのは、改革の原点に立ち戻ることだ。民営化推進委員会の昨年暮れの意見書は、必要性の乏しい道路は作らないこと、国民の負う債務を出来るだけ少なくすることを改革の目的に掲げた。国民の目の届かない密室で決められてきた無駄な道路建設を排し、国民の監視の行き届く制度のなかでコストを明らかにし必要な道路だけを作っていく仕組が必要だ。その意味で、10月5日の『毎日新聞』で民主党の前原誠司氏が「償還主義とプール制をやめること」を主張しているのは正しいのだ。
この2つの要素こそが、高速道路が、国民の必要性からも経営の合理性からも懸け離れて建設され、4公団で40兆円にのぼる債務をつみ上げた原因だからだ。
償還主義もプール制も民間企業の経営哲学には到底存在し得ない考え方だ。政府に全面的に依拠する特殊法人だからこそ通用する考えなのだ。
償還主義とは、期間を限定して道路利用料金をとり、それを費用の回収にあて、期間がすぎたら道路を無料化するというものだ。そこには利益をあげるという考え方がないため、注目されるのはお金の入りと出のみである。キャッシュフローには注目するが、費用や収益は考慮外である。当然、プロジェクトが終わってみれば収支が赤になることも多い。
償還主義で作られた一般有料道路がそのよい例である。2001年8月末時点で、償還期間が終わって無料開放された63道路の内37本、59%が赤字だった。金額にして1360億円が借金として残されたのだ。
道路公団が上の資料をはじめて出したのが2年前だ。それまで、1本1本の一般有料道路についての資料はあったにもかかわらず公表しなかった。理由は、全プロジェクトの約6割が赤字という無惨な現実を知られたくなかったからであろう。
それでも一般有料道路は路線毎の収支が明らかになる点、まだましだ。全く収支がわからなくなるのが、償還主義とプール制が合体したときだ。高速道路はこの両者が合体した仕組のなかで作られ続けてきた。
石原大臣で変わるのか
プール制は全ての高速道路を1本の道路と見做して、全高速道路の料金収入をひとつに集める丼勘定の制度である。償還主義だけなら、東名高速などは疾うの昔に償還期間は終わり、無料で開放されていたはずだ。にもかかわらず、プール制と合体したために、東名高速の利益は全て丼の中に入れられ、採算のとれる見込みのない新規高速道路建設にまわされるのだ。新規の道路が計画されていく度に、債務は増える。返済期間(償還期間)ものびる。丼勘定であるから投資にも返済計画にも合理性がなく、建設計画だけが膨張し、借金も際限なく増えていく。
だからこそ、道路公団問題の解決は、この償還主義とプール制をやめることなしには不可能なのだ。
だが、改革の前途は多難である。理由のひとつは、石原大臣の考えが、必ずしも改革の方向に向いていないことだ。
民営化委員会の意見書は、公団を上下分離する、全ての資産と借金を引き受ける保有・債務返済機構はもっぱら長期債務の返済と借換えのみを業務とすると厳しく定めた。
機構の下に高速道路を運営する新会社が作られるが、新会社は料金収入から人件費などを差し引いた残りを機構におさめる。その資金で機構はひたすら借金の返済をしていく。機構から新規高速道路建設資金は、たとえ「一部」であっても支出しないと、意見書に明確に書かれている。
この仕組は、料金収入は債務返済にまわされるべきで、その料金で安易に新たな高速道路を作らせない歯止めとして、民営化委員会が定めたものだ。にもかかわらず、石原大臣は、料金収入を新規高速道路建設にまわすことを容認する姿勢である。
前述の『毎日新聞』の取材に石原大臣は新会社が新たに借金をして建設することと料金収入を建設費に回すことはそんなに違わないとの主旨を述べている。
直ちに法案を準備せよ
だが両者は全く違う。新会社による資金調達は金融市場での資金調達である。金融市場では、会社の財務もプロジェクトの収益性も厳しく査定される。査定に合格しなければ資金調達は出来ず、高速道路も作られない。料金収入を建設資金にまわすのでは、査定が行われず、無原則に不採算路線を建設し続けてきたこれまでと何ら変わらないことになる。
また、民営化委員の中には道路公団のキャッシュフローが確保される限り4公団合わせて40兆円の債務があっても問題はないとする意見もある。だが、40兆円の債務の返済は可能というのも公団同様の机上の計算のひとつにすぎない。計算の前提となっているのは40年、50年という長い事業期間だ。その期間、ずっと安定して一定のキャッシュフローを予定することは果たして妥当か。人口の高齢化、通行量の減少、景気回復に伴う金利の上昇も考えなければならない。そしてそれを判断する主体を、公団でも委員でもなく市場へと委ねることが民営化ではなかったのか。委員といえどもこのような計算を容易に行うのでは特殊法人を支えてきた償還主義から脱却しきれていないとの批判は免れない。
いま、改革論議のなかで、こうした基本的要素はどれだけ考えられているか。そして小泉首相は一体、いつ法案を準備させるつもりなのか。2005年4月1日には民営化が始まる。そのためには、法案はすでに準備されていなければならないはずだ。首相は国交省に法案の準備を指示した。審議時間を確保するためにも今すぐにでも必要な法案は、しかし、作成されている気配さえない。今すぐ法案の準備が無理なら、首相はせめて公団改革を確保する基本法の設置を考えるべきであろう。
改革作業の遅れを取り戻すには、改革への妨害を一掃するための首相の強い指導力こそが必要だ。そのためにも、道路公団人事は藤井氏の罷免にとどまらず、役員全員の入れ替えが望ましい。改革の志をもつ民間の人材を理事職にまで広げて登用すべきである。