「 農水省が隠したいBSEの感染源 」
『週刊新潮』 2003年9月25日号
日本ルネッサンス 第85回
8月28日、農林水産省のBSE(牛海綿状脳症)疫学検討チームはBSEの感染源及び感染経路の可能性として、7つの仮説を発表した。同チームは再発防止策を盛り込み、今月中にも報告書を作成する予定だ。
検討チームが列挙した7つの原因の内、4つまでが肉骨粉に関連した内容だ。生まれたばかりの子牛に与えられる代用乳及び配合飼料に入っていた動物性油脂なども原因の可能性としてあげられている。
座長で日本生物科学研究所主任研究員の山内一也氏が「肉骨粉が配合飼料に混入したことが感染源・経路の可能性として高いと考えられる」と指摘した旨、報じられたが、なんとも微妙な指摘である。
これまでの農水省の対応を見れば、専門家がどれ程真摯に取り組んでも、日本のBSE感染原因は決して明らかにされないと思えてならない。
日本のBSE感染牛7頭には3つの共通点がある。出生の時期が95年12月5日から96年4月4日の約4カ月間に集中していること、生後「ミルフードAAスーパー」「ぴゅあミルク」「ぴゅあミルクH」など、科学飼料研究所高崎工場で生産された代用乳が与えられていたこと、肉骨粉は与えられていないことである。
上の代用乳の製造元、科学飼料研究所は全国農業協同組合連合会(全農)の100%子会社だ。
約2年前の2001年夏に最初のBSE感染牛が発見されたとき、周知のとおり肉骨粉が疑われ、農水省は、肉骨粉を牛に与えたと自己申告した165戸のいわゆる給与農家と、5129頭の牛(給与牛)を監視下に置いた。乳牛は乳の出が悪くなると処分されて多くの場合、枝肉として出荷されるが、給与牛はBSE検査が陰性でも、全て焼却された。
肉骨粉が原因だと決めつけられたような状況の中で、感染牛第1号の発見から約1年後の2002年8月5日までに、757頭の給与牛が処分、検査されたが、感染牛はゼロだった。今年5月末までに検査した1600余頭の給与牛にも感染牛はみつからなかった。
給与農家は、非感染でも給与牛を全て焼却する厳しすぎる監視体制は解除せよと一貫して農水省に要求してきたが、農水省は監視を緩めなかった。消費者に安全な牛肉を届けるためには致し方ないという主張である。
“世界一厳しい基準”
給与牛への厳戒体制とは対照的に、感染原因の可能性を当然追跡しなければならない全農子会社製の代用乳の調査はどうだったか。
7頭全てに与えられていた全農子会社の代用乳がBSEの原因なら、大変な騒ぎになる。なんといっても、農協ルートで、日本全国の多くの農家が使っているからだ。
農水省も早速調査に入った。問題の代用乳にはBSE発生国オランダで製造された粉末油脂が入っていたため、2度にわたり、オランダに職員を派遣した。結局、代用乳中の油脂にBSEをひきおこすといわれる異常プリオンが混入したか否かは、明確ではないと農水省は結論づけた。
調査のため海外に職員を派遣しながらも、農水省には真の原因を突きとめる気がなかったと思えてならない。なぜなら彼らは病気などで死亡した牛を検査なしで処分させるという決定的な抜け道を用意し、その体制を1年半も続けたからだ。
化製場と呼ばれる施設に送られるのは、法律上は死亡牛のみである。だが、病気などで動けなくなり、他に行き場のない牛も、運び込まれるのが現状だ。
死亡牛を含めて化製場に送られる牛の感染牛の割合は、健康牛に占める感染牛の割合に較べて異常に高い。アイルランドでは健康牛に較べて死亡牛中の感染牛は実に68・2倍、フランスでは23・2倍、イタリアでも4・7倍である(『日経』2002年9月7日)。日本では毎年約15万頭の死亡牛が出る。
農水省は、危険率の最も高い化製場送りの牛を検査なしに処理させ続けた。他方で、2001年10月18日から、市場にまわる牛、つまり健康牛の全ての検査を始めた。彼らはこれを“全頭検査”と呼び、“世界一厳しい基準”だと胸を張った。が、18万頭の感染牛を出した英国でさえ、生後30カ月未満の牛は検査なしで市場に出している。BSEは30カ月未満では発症しないとされているからだ。したがって若い牛も含めて全頭検査する日本の政策は、科学的には意味をなさない。非科学的な全頭検査は、政治的には、世界一厳しい検査体制という看板の裏で、真の原因を隠す皮肉な役割を果たした。
農水省が死亡牛の検査を始めさせたのはようやく今年4月1日からだ。それでも北海道や畜産県が集中する九州など16道県は、来年4月までさらに1年間猶予された。
代用乳から目を逸らすな
今年6月末まで農水省生産局畜産部衛生課長としてBSE問題を担当してきた伊地知俊一氏は、検査開始に1年半を要したのは、屠畜場での検査体制が整わなかったからと説明した。だが、この猶予期間が、その間に感染の疑われる怪しい牛、特に、95年暮れから96年春にかけて生まれ、全農子会社製のミルフードAスーパー、ぴゅあミルク、ぴゅあミルクHなどの代用乳を与えられた牛は処理せよと言わんばかりの措置と受けとめられたのは事実だ。1年半あれば、粗方の疑惑牛は病気や故障牛、死亡牛として、片づけられる。まさに巧妙なBSE隠しである。
その間、世間の注目をあびた給与牛だけは健康牛・死亡牛にかかわらず、全頭を検査、焼却処分にしてきた。
こうしてBSE感染牛もほぼ片づいたと思われる今年6月25日になって、農水省畜産部飼料課長及び衛生課長から各道府県に「事務連絡」が出された。給与牛の監視体制を緩め、市場への出荷を解禁する内容だ。
北海道別海の給与農家、伏見昭子さんが怒った。
「給与牛から感染牛は見つからなかったから市場に出してよいということですが、農水省の原因究明調査はどうなっているのでしょうか。私たちに対するあの疑いの目は、一体、何だったのか。農水省は謝罪はおろか説明もしません。ミルフードAスーパーなど、代用乳の調査もはっきりしないまま、製品はいま、別の名前に変えられています」
給与牛への監視の緩和も、部分的な死亡牛への検査の開始も、疑惑牛が粗方、片づいたとの判断から生まれてきたのではないか。粗方片づいたと思われるからこそ、死亡牛の調査に半歩踏み込んだのではないか。
そんな状況で出された検討チームによる報告の配合飼料に混入した肉骨粉を強調する内容は、代用乳から目を逸らしつつ、原因を特定しない点で農水省の予定調和の枠内に、結果としておさまっている。死亡牛の検査を先送りすると決めたときから、日本のBSEの原因は究明されないことが決まっていたのである。