「 コンプライアンス本部が本来の機能を果たすなら徹底調査の矛先は藤井総裁 」
『 週刊ダイヤモンド 』 2003年8月9日16日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 505回
日本道路公団が、異常事態に陥っている。7月25日付で公団の広報・サービス室から報道機関に、公団のコンプライアンス本部による「財務諸表に関する雑誌記事に対する対応について」という意見具申が配布された。
「コンプライアンス」は、最近とみに聞くようになった言葉だ。もともと法律や規則を遵守することを意味する。コンプライアンス委員会または本部は、企業の経営、業務が公正に行なわれているか否かを監査するための、第三者からなる独立した機関を指す。経営者にも社員にも与(くみ)せず、公正な立場で公平に物事を見ることが要求されるが、主眼はむしろ、経営者への監査である。
だが、日本の企業や組織のコンプライアンス委員会のなかには、経営者側に立って、経営者擁護のために働くような、公正さに欠けるケースが少なからずある。経営側の手先となって、社員の締め付けに力を貸し、本来果たすべき役割と責任をまったく果たしていないケースも目につく。
道路公団のコンプライアンス本部は、2002年3月に発足した。本部長は日野正晴氏、元名古屋高検検事長であり、元金融庁長官でもある。本部員には岡田良雄・元大阪高等裁判所長官と垣見隆・元警察庁刑事局長で警察大学校長だった人物が就いている。
同公団は6175億円にも上る債務超過に陥っているとの財務諸表が2002年7月に作成されたと、片桐幸雄・四国支社副支社長が「文藝春秋」に書いた。それに対してコンプライアンス本部は、「本記事に記載された財務諸表を公団が正式に作成しておらず、これをあたかも公団の正規の業務として作成したという虚偽の主張をする者の存在が明らかになった場合」「公団は毅然とした態度」を執れと意見具申している。
私は、財務諸表作成に携わった複数の職員に取材したが、いずれも、公団職員としての仕事であるとの認識で作業を行なっている。
先週の小欄でも報じたように、それは全公団挙げての組織ぐるみの作業である。専用の部屋も設けられ、本社各課と全国の支社を動員した協力体制が築かれていた。まさに正規の業務そのものである。
公団が財務諸表について事情聴取した60余人のなかで、4人が上司に財務諸表を報告したと語り、7人が財務諸表を作成したと語っているそうだ。
大半の職員が、財務諸表を否定する藤井総裁ら経営陣の意向に沿う証言をしたなかで、これらの人たちへの圧力は、心理的にも組織的にもそうとう強いはずだ。
日本が抱える問題は多様だが、いちばん深刻なのは人間の質の低下である。企業や組織のトップに立つ経営者のなかにも、むろんそうではない人も多いが、倫理にもとる人が目につく。経営に失敗しても非を認めず責任も取らず、卑怯な振る舞いに及ぶ類いだ。批判や攻撃からわが身を守るために、健全な批判を押さえ込もうとするケースだ。
そのような経営者を監査するのが、コンプライアンス委員会の本来の役割なのである。
公団のコンプライアンス本部は、意見具申をこう結んでいる。「必要があれば、コンプライアンス本部による再調査を行ない、状況を把握の上、更なる法的措置を講じること」。
おお、怖いこと。なんといっても、同本部の構成員は元高検検事長や警察大学校長だったりした面々だ。こんな“プロ”に再調査されるのか。
財務諸表作成にかかわった人たちには、キャリアもいればノンキャリアもいる。力のある人もない人も、気が強い人も弱い人もいる。彼らを調べるのもよいが、コンプライアンス本部が言葉どおりの本来の意味の組織であるなら、この際まともに疑問に答えてこなかった藤井総裁をこそ、徹底調査するのが筋というものだ。