「 巨大商業銀行システムはケインズ体制からの脱皮で真の自己責任経営確立を 」
『 週刊ダイヤモンド 』 2003年6月28日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 499回
長年株式市場に携わり、それにコミットしてきたドイツ証券の武者陵司氏が、経済の歴史から見て、今は経済の体質が変わりつつあるとでもいうべき転換点に来ている、と語る。
これまでの経済とは何か。それは錬金術を用いて実力以上の繁栄を享受してきた戦後の世界経済だという。錬金術は、主として三つの要素からなる。第一が、政府の財政赤字による需要の創出、第二は中央銀行によるマネープリンティング、第三は株や不動産などのキャピタルアプリーシエーションによる信用と資本の増殖である。増えた資産を使ってより高い成長を実現してきた経済が、壁にぶつかっているというのだ。
「別の言い方をすれば、ケインズ的な経済体制が壁に直面したということです」と、武者氏。
かつて、ケインズは資本主義ではないとさえいわれた。修正資本主義、あるいは混合経済などの言葉が使われた。つまり、社会主義と資本主義の中間である。資本主義ではあるが、政府に非常に大きな力を与え、民間経済に介入することで市場経済の問題をカバーする。大きな政府であり、その大きな政府を可能にするのが中央銀行だ。
「戦後の世界経済の発展は、大恐慌の前の非常にピュアな原始的な資本主義ではなくて、修正資本主義なのです。それは、ややフリーランチに近い資本主義です。資本主義は、本来は自己責任のものですが、米国でさえも(有力ファンド)LTCMを政府の意思を反映して救済した。真の自己責任ではないのです」
こうした一連の政策の極端なかたちが、ケインズ的な大きな政府による民間経済の保護だと、氏は指摘する。レーガン、サッチャーの時代になって、自己責任が強調されはしたが、どの国でも、大きくて優しい政府が、芯の部分で続いており、その仕組みが今、本当に機能できなくなりつつあるというのだ。日本の、りそなグループへの公的資金の注入を見てみよう。
「基本的に、竹中さん(経済財政政策担当大臣)の政策は正しいと考えています。しかし、非常に本質的な話をしますと、これは最終解決にはならないのです。結論は、今、なにをしようとも最終解決は無理だということです。日本の巨大銀行システムは、行き詰まっています」
国民の預金700兆円を銀行は集めながら、それをどこに貸したらよいのかわからない。その一方で、不良債権を抱え、700兆円の預金に利子を付けて返済することなどとうていできない。それどころか、自己資本比率を維持するために貸し剥がしをし、企業をつぶしにかかっている。銀行は700兆円をタダで借りているのに加えて、この国を支えてきた本来健全な企業をつぶし続けている。
お客にサービスも対価も提供しなくなって久しい銀行は、金融業としての役割を放棄しているのだ。
巨大商業銀行システムは、恐竜のようになくなっていく存在ともいえるだろう。巨大銀行システムのなかには、すべての都市銀行と郵便貯金が含まれると考えるべきだ。そうしたなか、生保各社の利回りの引き下げで、実質的な徳政令が始まっている。国民に犠牲を強いつつ、消えゆく運命にあるとしか思えない銀行を、りそな形式で救済するのは、遠回りでも、それが日本の経済にプラスになるとの判断だ。銀行の生き残りの可能性もわずかながら生まれてくる。旧日本長期信用銀行方式で完全に国有化し、公務員経営にしてしまえば、改革への政治的抵抗は計りしれない。銀行の株式が価値を損なうダメージも大きい。
力ずくの方式を取れないなかで、かろうじて出直しを可能にする措置が、たとえばりそな方式である。完璧な解決ではないが、ケインズのフリーランチから抜け出して、真の自己責任を目指すことだ。