「 五人の帰国は謎解きの始まり 情報公開求める戦いの段階へ 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年11月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 467回
「親を取るか、子どもを取るか」。蓮池透さんが弟の薫さんの心境について語った言葉だ。24年ぶりに帰国した弟を、蓮池さんは明らかに日本にそのままとどめたいと考えている。
帰国当時の蓮池薫さんはじめ他の4人の方がたの表情は、固く暗かった。帰国した日の夕方、初めて記者会見に臨むために控え室に集っていたとき、私は全員の表情の固さに虚を突かれた気がした。だれ一人言葉を発する人もなく、一つの部屋に多人数がいるにもかかわらず、部屋の雰囲気は非常にぎこちなく、沈黙していたのだ。
だが、無条件で受け入れようとするそれぞれの故郷の愛によって、全員の様子がかなり変化してきた。まさに故郷の温かさによって、心のなかの鉛のような塊が溶け始めているのか。
日本という国を見るとき、東京や大阪などの大きな町と地方とのあいだには、あまりに大きな落差がある。こう言う私は、久びさに母の生まれ故郷の新潟県小千谷市を訪ねた。叔母である藤巻ツルの米寿祝いがあったのだ。
上越線の長岡駅からクルマで小一時間、信濃川の流れに逆行しながら山間部に向かって走っていくと、池ヶ原という開けた風景に出会う。山間部には珍しい、地平線まで広がる空間には、すでに刈入れの終わった稲田が広がっていた。そのまままっすぐ走り続けると、「雪峠」という美しい名前の峠にたどりつく。山を切り拓いて造った道路は、気をつけないと深い谷底への誘い水となる。そこからは、山間部をゆるやかに蛇行しながら流れる信濃川が見渡せる。紅葉の始まった森と稲田のあいだを縫うように走る、豊かな信濃川の流れが見える。
母は、この雪峠から見晴らす信濃川の姿と周辺の風景こそが、世界で最も美しい風景だと言ってやまない。母が最も大切に思っている風景を、私もまた、大切に胸にしまって叔母の米寿の会へと急いだ。
集まったのは直系の子ども5人に孫10人、ひ孫が早くも4人いた。親戚中の人びとがそれぞれの伴侶と子どもを連れ立ち、ご近所の方がたも一家総出で寄ってくる。そのにぎわいを見ながら、故郷とはこういうものだと実感しつつ、私の気持ちは、拉致された人びととその家族へと引き戻されていく。
故郷の力で心の氷が溶けたとしても、まだ行方不明者が幾人もいる。10月15日の帰国の日、ホテルで最も広い会場を使っての記者会見が終わり、家族ごとに各部屋に戻って夕食を済ませる段取りになっていた。そのとき、身内が戻れなかった家族はどうしているのか、できるだけ多くの家族の様子を見てみようと思いつつ、各部屋を回ってみた。増元るみ子さんの弟の、照明さんの部屋を覗いて愕然とした。
記者会見でのフラッシュとテレビカメラのライトとは対照的に、増元さんは一人ポツネンと部屋にいた。有本恵子さんの母親の嘉代子さんも、市川修一さんのお兄さんも、田口八重子さんのお兄さんも、同じ状態にあった。
彼らの部屋は効きすぎるホテルの冷房のなかで、まさに静寂と孤独のなかに沈んでいた。私たちは誘い合わせて夕食を共にした。皆で話し合ったのは、5人の帰国がまさに多くの謎解きの始まりになっていかなければならないという点だった。5人の一時帰国で沙汰やみにさせないためには、できる限りの情報を国民と共有する。そのために情報を積極的に公開していくこと、北朝鮮が隠したがる事柄についてはなおさら公開していくことだと話し合った。
その後の展開を見れば、蓮池さんも横田さんも、増元さんも有本さんも、全員が敬服する勇気をもって情報公開し、闘い続けている。たとえ5人が北朝鮮に“帰国”しても、家族の方がたの、北朝鮮との戦いの姿勢こそが拉致問題解決の大きな力になると考える。