「 “米百俵”の町・長岡で続く田中真紀子氏支持の不思議 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年4月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 442回
国会議員が秘書の給与をかすめ取る事例が曝かれている。田中真紀子前外相にも疑惑が浮上した。4月8日現在、田中氏は「秘書給与を私的に流用したり、名義借りをしていたこともありません」という疑惑全面否定の談話を発表したきり、沈黙を決め込んでいる。
他方、すでに複数のメディアが報じているが、田中氏の元秘書は、秘書手当として月5万円を受け取っていたと証言している。さらに公設秘書の確定申告は、越後交通から支給される給与と公設秘書の給与を二重に受け取ったことにして行なわれ、公設秘書の給与で支払われていない分の税金を、田中氏側が負担していたとも報じられた。
両者の主張は真っ向から対立しているが、田中氏はこの主張の食い違いを明確に国民に説明する責任がある。外務省職員による税金のムダ遣いを厳しく指弾した田中氏である。万一、報道が事実ならば、田中氏自身、国民の税を詐取していたことになる。一方、「秘書給与は袋のまま開封することなく本人たちから会社に渡しておりました」という田中氏の談話が正しいのであれば会社、つまり越後交通の元社長、現在の副社長として、秘書給与が最終的にどう処理されたのか説明する責任がある。その場合、仮に、秘書本人には一部しか渡らず、会社が受け取っていたとしたら、会社が国民の税を詐取していたことになる。
長岡市など新潟5区での氏への支持には熱狂的なものがある。私はその長岡市で中学から高校時代を過ごした。今も長岡には行き来していて、父角栄の時代からの熱情が続いていることを実感する。
ふるさとのそんな現状を、私はなぜだろうと思わざるをえない。真紀子氏に関する洪水のような報道をきちんと読めば、彼女の実像は間違いなく見えてくる。外相時代の多種多様の報道からは、彼女が勉強不足であること、日本の国益を担っていく政治家としての能力はないこと、あまりに変わるその言葉ゆえに人間としては信頼しがたいことなどが明らかになったと思う。
加えて彼女のこれまでの物事の処し方を見れば、舌を巻くほど巧妙な知恵をめぐらすことも見えてくる。少し古いが、1994年10月号の「文藝春秋」に掲載された「田中真紀子『仮面』の裏側」および同年10月号の「宝石」の「疑惑の相続人田中真紀子、新金脈の研究」に、狡猾ともいうべき彼女の手法が詳述されている。
にもかかわらず、今も衰えぬ真紀子支持である。だが、本当にそれでよいのか。思いは全国的に有名になった「米百俵」の物語につながっていく。
米百俵は北越戊辰の役で敗れた長岡藩に、三根山藩から贈られてきたものだ。長岡での戊辰戦争は1868年5月9日から9月24日まで続き、長岡藩は河井継之助を筆頭に309人が戦死、「城楼、御殿、城門など長岡城内の80以上の建物はことごとく焼却し惨憺たるありさまとなった」(『米百俵 小林虎三郎の天命』島宏氏著)。
雪国の冬の訪れは早い。稲田も焼かれ、領民たちは武士も町人も農民も、寒さのなかで飢えていた。米百俵は飢えた人びとにとって天与の恵みと映ったに違いない。それでも小林虎三郎らはこのコメを売り、教育のために使うことを決めた。百俵は当時の値で270両だったと島氏は記している。学校建設にはまだまだ不足である。しかし、百俵を未来のために使うことを決意したその心が、疲弊し希望を失っていた長岡の人びとの心を蘇らせた。
食糧やおカネよりも、潔く今のわが身の私益を振り切り未来への可能性に挑むことで蘇ったのだ。そんな伝統が息づく長岡で、なぜ、私益で固まっているとしか思えない真紀子氏支持が衰えないのか、私には本当にわからない。