「 都会で生息する鴬・雀・桜が告げる今年の早い春の訪れ 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年3月30日号
オピニオン縦横無尽 439回
18日の月曜日、ベランダで早朝の水やりをしていると聞こえてきた。
ホーホケキョ ホーホケキョ
なんという美声だろう。肌に心地よい早朝の冷たい微風のなかで、如雨露(じょうろ)を手に、しばし佇んで聞き惚れた。以来、鴬は毎朝のように訪れてきて美声を聞かせてくれる。
ささやかな都会の庭を訪ねてくる鳥たちのなかで、最も愛らしく、人間にたとえれば小さな健康な子どもたちのようなのが雀たちである。小さいころによく歌った歌に「雀のお宿」がある。舌切り雀を優しいおじいさんが訪ねていく物語を歌ったあの歌、
雀、雀、お宿はどこだ
チッチッチィ チッチッチィ
こちらでござる
おじいさん いらっしゃい
ご馳走 いたしましょう
お茶にお菓子 お土産つづら
ベランダにやってくる雀たちは、草や花のなかにもぐるのが好きだ。青々と葉を広げ鮮やかな花々を咲かせているシクラメンの鉢にもぐった雀たちが、葉のあいだから、ピョッコリ頭をのぞかせる姿は、まるで「お宿」にもぐって遊ぶイメージだ。
愛(いと)しいと思う彼らではあるが、チビ助君な割には仲間内でしょっ中、いさかいを繰り返すのは困ったものだ。エサ場に集ってわれ先にお腹を満たそうとするあまり、あとからやってくる仲間を羽を精一杯広げて威嚇する。
鳥や獣など野生の生き物を支配するルールは強いものが上に立ち弱いものがその下に従うというものだが、雀たち鳥の仲間を見ていると、時折このルールが逆転するのがおもしろい。
わが家の常連の鳥には鵯(ひよどり)もいるが、鵯と雀の体格の相違は圧倒的に鵯が大きく強い。ところが雀と同じエサ場に集まる鵯を、雀がつつくのだ。正面から頭をつつく雀もいる。後ろから背中をチョンとやる輩もいる。笑ってしまったのは、一羽の雀が鵯の長い尾にぶら下がってその尾羽をつついていたことだ。
つつかれる鵯のほうはそれほど痛くはないようで別に逃げるわけではない。「うるさいなぁ、わかったわかった。君たちが食べ終わるまで待ってあげるよ」とでも言っているのか、雀たちの大群のなかでおとなしくしているのだ。
「大群」と書けば大げさだと思われるかもしれないが、“食事時”には40~50羽がやってくる。彼らの生活は本当に規則正しい。春の訪れとともに日が長くなり、お宿に帰る時間が少しずつ遅くなる。手帳をめくると、エサを食べ終えて最後の一羽が巣に戻っていったのは、今年は2月7日が夕方の5時8分だった。昨年の2月9日の手帳には、5時10分と書いてあるから、雀たちのベッドタイムはほとんど変わっていないことがわかる。同じく今年2月12日は5時18分、昨年2月19日は5時23分。3月に入ると5時半を過ぎ、すぐに5時40分になった。
まさに太陽の光とともに起き出して、太陽が西に沈むといっせいにサァーッと塒(ねぐら)に引き揚げるのだ。鳥たちは来る年も来る年も太陽の動き、否、地球の自転に呼吸を合わせて暮らしている。
春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれる鴬がそうしてくれたのか。今年のさくらの早さはどうしたことだろう。3月18日にお堀の脇の三宅坂を通ったらさくらはすでに一分咲きだった。翌19日、同じ場所を通ったら花はほぼ満開である。いつも少々早咲きの半蔵門のさくらは満開を通り越して、風のなかで散り始めていた。北の丸の土堤のさくらも妖しいまでの美しさで六分から七分咲きだ。胸がしめつけられるほどの美しさ、陶然と酔わせる美しさである。半蔵門のさくらの風に散る花びらを受けつつ、早すぎる花が伝える温暖化への警告をしきりに聞いてしまうのである。