「 対テロ対策外交でのプーチンロシア大統領の見事な手腕 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年12月22日号
オピニオン縦横無尽 第426回
米国を襲ったテロ攻撃からちょうど3ヵ月の12月11日、攻撃の主謀者とされるウサマ・ビンラディンのテロ組織「アルカイダ」が投降に同意した。投降部隊の規模や、ビンラディンの所在は不明ながら、アルカイダの潰滅が近づいているのが見えてくる。
ブッシュ大統領が「新しい戦争」と呼んだこの戦いは、そのネーミングにもかかわらず、各国の国益をかけた、きわめて伝統的な国際政治の駆引きの舞台となった。最もめざましい活動をやってのけたのはロシアである。ロシアは、事実上、指一本、兵一人動かすことなく、ロシアに寄せられていた冷ややかな視線を一挙に変え、このアルカイダとの戦いを見事に自国の国益につなげてみせた。
9月11日のテロ攻撃後、最も早く、ブッシュ大統領に直接電話をかけ、米国支援を伝えたのはプーチン大統領だった。
事件翌日、ロシアはいっせいに半旗を掲げ、正午には国民が犠牲者のために黙祷を捧げた。
9月22日には、プーチン・ブッシュの電話会談が行なわれた。プーチン大統領は国防相セルゲーエフ、内相ルシャロイ、安全保障会議書記イワノフらを伴って黒海沿岸の避暑地ソチにいた。そこにこれまた大統領補佐官ライスやCIA長官テネットらを伴ってキャンプデービッドで戦略を検討していたブッシュ大統領から電話がかかったのだ。米露両国の劇的な接近は、この時に決定づけられたといってよい。
2日後の24日、プーチン大統領は対米協力五項目を提案した。テロリストに関する情報提供、人道支援に限るとしながらもロシア上空の米軍機への開放、中央アジア諸国の基地の米軍の使用の了承、捜査および救援活動への協力、北部同盟への支援である。
5項目提案はあまりにも見事にロシアの国益にも貢献した。第一にロシアの抱えていたチェチェン族との内戦に終末をもたらした。チェチェン民族へのロシアの弾圧は1999年に始まったが、以来2年あまりのあいだに、ロシア兵一万人が死傷してきた。強大なロシア軍がどれほど弾圧してもチェチェン族の抵抗は止まず、内戦は泥沼のように深まるばかりだった。ロシアを米欧諸国は“少数民族の弾圧は許さない”“人権無視”として批判した。
だが、米英軍によるタリバン攻撃が始まるとまもなく、チェチェン族の側からロシア政府に和平の申入れがあった。イスラム教徒であるチェチェン族を背後から支援してきたタリバンの力が弱まり、武器弾薬、資金、人材の援助が途絶えたからだ。プーチン大統領はどれほど、満足したことか。
さらにプーチン大統領は11月13日から初めて米国を訪れた。ワシントンは当然の訪問地だが、プーチン夫妻はクロフォードに招かれた。 そこはブッシュ氏所有の牧場のある場所だ。
私有の牧場に招かれ、家族ぐるみの歓待を受け、両首脳は少なくとも3回の公式会談を行なった。共に過ごした時間は数十時間にのぼる。
プーチン大統領は結果として大いなる実益を手にした。約4200億円の対米負債の棒引き、WTO加盟を米国が支援促進するとの約束、最恵国待遇を受ける道への可能性などである。
そんなロシアに対してNATOさえもが、新たなる加盟国としてロシアを視つめ始めた。NATOはもともと“敵国ソ連”に対抗する軍事同盟として出発した組織だ。そのNATOさえもがロシアを仲間と見做し始めた。
この劇的な変化でロシアの国益がどれほど増進したか。プーチンの一連の動きは秀れた外交の一例である。指輪で騒ぐ日本国の外相や、裏金のプールに気をとられる外務官僚はよくよく外交について考えるがよい。