「 内親王ご誕生で改めて感じた文化歴史を伝える言葉の大切さ 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年12月15日号
オピニオン縦横無尽 第425回
「ローマの休日」は、なぜあれほど、愛され続けるのか。「神がお遣(つか)わしになった最も美しい天使」(エリザベス・テーラー)のようなヘプバーンの笑顔のゆえか、魅力的なグレゴリー・ペック演ずる特派員生活への憧れのゆえか。
理由はこの両方に加えて、ヘプバーンの演ずる主役がユア・ロイヤル・ハイネスと呼ばれる立場、つまり皇女さまだったからだ。
皇室や王室は米国民の憧れの存在である。時として、米国民の大統領に寄せる支持には、色褪(あ)せた政界図を見慣れた日本人にはまぶしいものがある。それも、皇室王室を持たざる人びとの憧れの対象への渇望の表現の一端だと思えないこともない。
その皇室が、日本にはある。世界最古の歌集の万葉集も、源氏物語も枕草子も伊勢物語も、皇室なしにはありえなかった。皇室は、日本の歴史と文化のエッセンスとなってきたのだ。
その皇室のお祝いごとを、メディアはどう伝えたか。
宮内庁は「皇太子妃殿下には……宮内庁病院においてご出産、内親王がご誕生になりました。御(おん)母子ともお健やかであります」と発表した。
内親王という歴史の響きを含んだ言葉でニュースを伝えたのは「内親王さまご誕生」の見出しを付けた産経新聞だけだった。他の全国紙はすべて「雅子さま女児ご出産」の見出しだった。
せっかく内親王というゆかしい言葉があるのに、なぜ女児にしてしまうのか。機能的表現ではあるが事務的で、文化や伝統の香りもしない表現になぜ傾いてしまうのかと疑問に思うのだ。
私は永井路子さんの一連の著作がとびきり好きだが、永井さんは多くの皇女(ひめみこ)や皇子(みこ)の織りなす人間模様を存分に描いておられる。描かれた世界は、緻密な資料調査と研究に支えられて秀れた歴史研究書ともなっている。
永井さんの研究以前には、日本の女帝たちは、幼い皇子が成長して天皇の地位に就くまでの“つなぎ”としてとらえられていた。永井さんはしかし、そんな生やさしい役割ではなかったという説を丹念に系譜をたどることによって証明したのだ。
たとえば大和朝廷を舞台にして彼女の描いた“持統さま”の物語は、天皇家における蘇我氏の血筋を護(まも)るための壮絶な戦いだった。持統さまは大化改新の年、645年に蘇我氏の倉山田石川麻呂の孫娘として生まれた。持統の母の遠智娘(おちのいらつめ)は中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と結婚、つまり中大兄は持統の父である。
持統が5歳のとき、祖父の倉山田石川麻呂が謀叛の疑いをかけられて自殺する。それを悲しんで母の遠智娘も死んでしまう。母はなぜ悲しみのあまり絶望して死んだか。永井さんは、その理由を、祖父を無実の罪に陥(おとしい)れた人物は、あろうことか、中大兄であったからだということを、系譜のなかから読みとっていくのだ。自分の父を無実の罪で死に追いやったのが自分の夫だったという衝撃に耐えきれずに、持統の母は悲しみのなかで死んでいった。ここから持統のその後の人生と、蘇我氏の血筋を護る戦いが始まっていく。
持統さまはしかし、何年も何年もの戦いのすえに敗れ、御后(おきさき)の血筋を藤原氏に奪われていった。永井さんの作品群のあとに改めて万葉を読めばひとつひとつの歌のなかに隠された多くのドラマと味わいに否応なく気づかされる。歴史の事実は是非の判断の対象ではない。歴史と文化の濃密さにかかわることなのだ。
内親王ご誕生のニュースは、再び女帝論をかきたてることだろう。その時、単に機能的に事務的に論ずるのでなく、日本が幾世紀ものあいだ歩んできた歴史を学び、文化を楽しむためにも、文化文明を伝える主体としての言葉は大切にしたいものだと思うのだ。