「 夏の朝 わが家のベランダに息づくバッタと黒アゲハたち 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年8月11・18日合併号
オピニオン縦横無尽 第408回
連日の猛暑の効用は、早朝に目ざめることだ。このところ早起きして、ささやかなベランダの木や花たちに水遣りをするのが日課となった。
好きで集めた緑の生きものたちが、勢いよく葉を広げ、花を咲かせ、実をつけている。大きなジョーロで何度も水を運び、毎朝30分ほどもかかって水遣りを終わると汗が流れ落ちる。そのあとでいただく冷たく冷えたスイカが、なによりの喜びである。
ある朝、勢いよく水をかけていると、何かがピョンと飛んだ。もう一度水をかけるとまた、飛んだ。よくみると1.5cmほどのバッタの赤ちゃんだった。都会のまん中のベランダにしつらえた小さな庭に、なぜ、コメツキバッタの赤ちゃんがいるのか。思いがけないバッタの姿に、私は大いに驚き喜んだ。そして注意深く追跡したら。このバッタ君が紫蘇(しそ)の葉陰から飛び出してきたことを突きとめた。
この紫蘇は、家庭農園が大好きな千葉に住む兄が大きな鉢に植えて届けてくれたものだ。土がよいらしく、驚くほど成長が早い。1枚1枚の葉も大きく元気がよい。どの葉もあまりに大きく育つので、食べ心地は悪いかしらと思うと柔らかく、香りは抜群である。
コメツキバッタは、この葉っぱにくっついて、千葉からやってきたと思われる。バッタのほかにも、こんな小さな庭であるにもかかわらず、ここには多くの生き物がいる。これまた鉢植えの柚子の木は、黒アゲハの好みの樹だ。
彼らはやってきて、香りのよい本柚子の葉に、小さな卵を産みつけていく。ゴマ粒のような卵はやがてかえり、黒い斑点をつけたムシになる。このムシが、柚子の葉を食べていくのだ。
私は何匹ものこの青ムシならぬ黒ムシを見つけて悩んでしまうのだ。彼らが大きくなり、蛹(さなぎ)になるまでの間ずっとここで過ごせば、柚子の葉はほとんど全部食べられてしまう。それで柚子の木は大丈夫だろうかと。
かといって黒ムシを葉っぱから落としてしまえば、それは蝶になって飛んでいくこともできずに死んでしまう。
で、私は決断を下した。自然に任せようと。水遣りをする時に落下してしまう卵は拾ってはやらない。その代わり、じっとしがみついて黒ムシになって大きくなり、蛹になって脱皮し飛び立っていくのは、そのままそっと、そうさせてやろうと。
こうして、今年もまた、ベランダの柚子の木は、そしてレモンの木も、葉っぱの大半を食べ尽くされてしまった。
だが、そのおかげで、私はいながらにして、蛹が脱皮して蝶になる姿を見ることができるのだ。蛹になると、もう彼らは何も食べない。ひたすら、小枝にしがみついてじっとして過ごす。何日も何日もそうして過ごすうちに、かつては美しいとはとても言えない姿だったのが、変身を遂げるのだ。やがて色が少しずつ透明感を帯びてきて、つい、うっかりすると、いつの間にか、脱け殻だけが小枝にぶら下がっている。
こうして夏のあいだに幾世代もの蝶がこのベランダの小さな柚子の木から育っていく。ある日、その蛹のひとつが小枝から落ちているのを見てしまった。自然に任せようと考えていた私も、さすがに蛹にまで成長したものをほうっておくことはできず、小枝に戻してやった。しかし、人間の手で戻しても、蛹は小枝にしがみつく作業を、もはやしないのだ。かといって人間は、蛹を小枝にくっつけることもできない。
翌朝見るとまた蛹は土の上に落下していた。小むずかしい論を展開しながら、蛹ひとつの命を助けることさえままならない身をどうとらえればよいのか。私は考えつつ、またもや水遣りに励んでいる。ふと気がつくと、コメツキバッタは何を食べているのか、好きな紫蘇の葉陰で少々大きくなった姿を見せていた。